“手枕や小言いふても 来る蛍”一茶
1810年(文化7)5月11日、今の暦では約1ヵ月前の4月中頃です。
この日の夕方、雨の中を1人の旅人が、上州新町宿の高瀬屋という旅籠屋に草鞋を脱ぎます。(今は車庫と普通の民家があるだけです)
信州の俳人、小林一茶です。
私も同じ北信の出身、一茶と聞くと、なぜか格段の親しみを持つのです。
一茶は夜中に起こされ、神流川に石灯籠を作るための寄進を頼まれます。
懐がさびしい一茶は一旦は断りますが、相手の執拗な要請に、やむなく12文を寄進します。
その直後に作ったのがタイトルの句です。
さて、約200年後の今朝、新町宿の高瀬屋跡前を歩いたご一行(7名)様が私たちでした。旧中山道歩きのイベントです。もちろん靴を脱ぐことはありませんでした。
私は99年7月10日に新町から安中まで歩いていますので2回目です。
新町宿から烏川沿いに岩鼻へ。写真は岩鼻代官所跡地の神社です。上の木陰で休憩。
倉賀野宿入口当たりで昼食。
高崎駅までの約14kmを一ご行様は無事、歩き通しました。
さて、200年前の一茶は、その後どこで泊まって、どんな思いで故郷へ向かったのでしょうか? 興味があります。
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