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2007年8月25日 (土)

「しもつけ風土記の丘」から「室の八島」へ

070825  この日の皆さんとのお出かけは、いつもお天気に恵まれます。それも恵まれ過ぎての猛暑でした。向学心旺盛なシニアは、蝉が鳴き夏草が生い茂る中で汗を拭き吹き、古代に想いを馳せて学び、十数キロを歩いて身体を鍛えた1日でした。

17名で「しもつけ(下野)風土記の丘」から「奥の細道」にある「室の八島」を訪ねました。「しもつけ風土記の丘資料館」では学芸員の方に館内と国分寺跡で説明を受けました。なかなか説明上手な学芸員さんで、つい話に引き込まれてしまいます。この地は縄文時代から弥生時代を経ないで、いきなり古墳時代になった特色ある地方だそうです。

070825simituke国分寺跡は広大な草地でした。413m.×457m.の寺域だったとのこと。東側には高さ60mの芯柱をもつ巨大な七重塔があった、その礎石が地下50cmに残っているそうです。(1/20の模型が館内にあります)。 都と地方の関係で国分寺が衰退した状況は、今の首都圏と地方との状況に似ているとのこと。1000年以上経っても「歴史は繰り返す」ようです。9月8日から、この七重の塔に関した特別展が12月まであるそうです。一見の価値ありと確信します。

070825_2室の八島は大神神社の境内にあります。本来は大神神社とは関係なかったそうですが、後に神道と結びついたとのこと。いずれにしても300数十年前に芭蕉がこの地を訪れた時はどんな風景だったのでしょうか? 今も長い参道、深い木立、たっぷりと往年の情景に入り込めそうです。 写真は「室の八島」にある芭蕉句碑「糸遊に結びつきたるけぶりかな」とあります。

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コメント

「300数十年前に芭蕉が大神神社を訪れた時はどんな風景だったのでしょうか?」

大きな違いは、境内にある現在の池はまだ存在せず、在ったのは今の池よりはるかに大きな室の八島の池でした。当時の池の島には、橋は架けられておりません。この池は底が浅く、また芭蕉らが訪れた当時は水が枯れていたので池には見えませんでした。それで芭蕉らは池の存在に気付かなかった可能性があります。


[広益俗説弁](1716-27年)井沢蟠竜 著
下野室の八島の説
「俗説云、下野国室の八島は、往昔八島大臣といふ人住せしより其名を得たり。」
室の八島は、かつて八島大臣が住んでいた非常に栄えた町でしたが、その後寂れて、江戸時代には田園地帯に変わっていました。

そこで一句
「糸遊に結びつきたる(室の八島の)けぶりかな」松尾芭蕉
かの有名な名所室の八島も、今では煙のかわりに糸遊(陽炎)が立つような田園地帯に変わってしまったのだなあ。

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