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2008年8月24日 (日)

“果てしなき消耗戦・レイテ戦記”

 終戦記念日の8月15日に放映されたNHKスペシャル「果てしなき消耗戦・レイテ決戦」を見られた方も多いと思います。

高校同期生の父親が軍医として従軍していたそうです。メーリングリストに掲載された記事をご紹介します。

私の伯父は補給を無視した無謀なインパール作戦で亡くなったと聞いています。幼い2人の子供を残して死んでいった無念さは胸に迫ります。

国の指導者が国を誤った方向へ導かないよう政治家、官僚を監視するとともに国民も歴史を学び、再び戦火に見舞われないよう努力する必要があると思います。

“戦後63年、私の父も去ってからもう30年以上たった。

先の815日終戦記念日のNHKスペシャル「果てしなき消耗戦・・レイテ決戦」はあまりに悲惨・衝撃的だった。

国運を賭けたフィリピンのレイテ決戦はなんと日本軍の97%・・・8万人(捕虜800、生存者1600)が戦死した。

戦死者の多さ・死亡率の高さにおいて太平洋戦争中最悪だろう。

(フィリピン戦線全体での戦死者46万人・死亡率は約75%ということである。同級生の肉親でも戦死した方がおられるかもしれない。)

私の父はレイテの隣のセブ島の第35軍(と思う)の軍医少尉だったが、幸運にも帰還した。

父のセブ島戦時日記は殆ど亡失しているが、一部残っている中にレイテ戦に関した部分がある。

昭和十九年十月十八日

レイテ戦開始

院ヨリ田島大尉ヲ長トスル機動衛生班出動ス。

空襲ハヤヤ下火トナル。飛行場ヨリハ毎朝三機位宛戦闘機飛ブ。

時々上空ニテ空中戦アリ。

(註:米軍がレイテに上陸したのは1017日。その3日後にマッカーサーが”I Shall Return”とレイテに上陸した。セブからも衛生班が派遣された。)

(日付記載なし)

レイテ戦敗北ノ報多シ。

各部隊共ニ赤痢患者多発シ過労、給与不良ニヨル栄養低下ノタメ死亡率甚ダシク悲惨ヲ極ム。

(註:この悲惨を極める各部隊とはレイテのことなのかセブのことなのか?)

十一月二十四日

初メテ病院内ニ爆弾投下アリ 至近弾を受ク。 死傷者数名、誤爆ナラント言ワル。

レイテ戦ハ終結ト共ニ米軍ノセブ島上陸必至ト予想サル 天山ヲ中心トスル山塞陣地構築ニ各部隊トモ全力ヲ傾倒ス。

(註:レイテ戦の組織的戦闘は1219日に終わった。軍司令部は「自給自戦、永久抗戦」を命じた。

未だ生存していた日本兵は約1万人。彼らの辿った運命を明らかにしたのがNHKスぺシャルである。正に筆舌に尽くしがたい。悲惨の極み。バンザイ突撃をくり返し、負傷兵は蛆虫のなかで苦しみ果てる。なんと「人肉食」をめぐって仲間討ち・・・大岡昇平「レイテ戦記」など)

(日付記載なし)

レイテ島ヨリ帰還セル田島、土井氏等病気静養ス。

(註:レイテからセブに逃れた兵士はわずか900名ということであるがその中に田島大尉等は入っていた!)

三月二十六日早朝数十隻ノ船団現ハレ米軍「クリサイ方面」ヨリ上陸ヲ開始ス。

コノ朝本院ハ悉ク爆砕サル

セブ市周辺並ニ市内各所ニテ激烈ナル戦闘続クモ次第ニ山塞陣地方面ニ圧迫サレ遂ニ殆ンド包囲セラル

病院ハ東谷ニ陣地構築。戦闘隊ヲ一線、二線ニ配シソノ後方ニ患者ヲ収容ス。二線ニテ戦闘隊ヲ指揮スルモ命ニヨリ中谷第二陣地ニ後退ス。

(註:遂に米軍はセブに上陸。圧迫された日本軍はセブ市を撤退し山岳陣地へ。

第二線とはいえ軍医の父が「戦闘を指揮」したとあるが、もはや大半の将校は戦死してしまったのか?)

日ノ丸高地天山等ニ集中スル砲爆撃言語ニ絶ス

四月十六日重要ナル陣地相次イデ奪取セラレ陣地ハ陥落ニ瀕ス 突如転進命令アリテ二十時

で父の戦記は終わっている。転進(退却)する兵に日記の余裕はない。

セブ島戦史によると「米軍の熾烈な砲爆撃により4月下旬遂に転進の已む無きに至り同島北部に転進し、自活を策すると共に絶えず遊撃戦を続行した」とある。

4月16日日本軍陣地は陥落、20時退却命令が出て日本軍の組織的戦闘は終わった。(326日の米軍攻撃開始以来セブの正式な戦闘は20日間と短い。レイテは2ヶ月。)

追われる兵を待っていたのはレイテの日本軍同様、密林の生き地獄。軍医はさぞかし多くの死を看取ったことと思う。

しかし私も弟もその模様を父から全く聞いたことがない。

レイテの生存者たちは一応に「密林内の悲劇は今まで肉親にも言ったことがなかった」と語っていた。人間あまり辛いことは人に話さないものらしい。

タカ派の評論家上坂冬子氏は最近「大東亜戦争は爽やかな戦争」と讃えているが、「果たしてあの戦争は爽やかな戦争か?」

父が存命なら「そんならテメエが(戦争に)行ってみろ。」と激高するかもしれない”

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