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2008年9月

2008年9月30日 (火)

中国製品と130年前の日本

 きょうはカテゴリーをあえて「読書」としました。

それは「イザベラ・バードの日本紀行(下) (講談社学術文庫)」に以下の記述があるからです。

“・・最も不快、あるいは不健全な類の偽造ラベルとにせの混ぜ物の製造に関して、東京はその中心であり、計画的な偽造を商売に変えてしまったのである。・・・(中略)・・・「プレストンレモン砂糖」やおいしそうな「ラモーニー」印の肉の缶詰のラベル、「イーグル」印、バス社の「レッドダイヤモンド」ラベルなど偽造しているのが見える。これで英語のつづりが正確なら偽造も完璧になるところであるが、幸い必ずしもそこまで細かく気を遣っていない。・・・(中略)・・・長崎から函館に至るまでまがい物の食料品や飲料や医薬品が売られている。”

“・・ここでも再び甘草と糖蜜のかすで色をつけた日本産ビールを、せっせと樽からバスやギネスの瓶に詰めている男たちの姿が見られるかもしれない。こういったまがい物を日本の工業の進歩の印と見なしていいものだろうか。”

上記の地名を「中国」に、「英語」を「日本語」の読み替えれば、程度の差はあれ、まさしく現代中国の製品になるのでは?

ちなみに、この記事は1878年(明治11)に書かれたものです。どこかの国の宰相の祖父が生まれた年だということです。

2008年9月29日 (月)

テレビで観るわが故郷(その2)

 NHK、29日20時からの「鶴瓶の家族に乾杯」の撮影地は、自分が4歳から上京する18歳まで住んでいた故郷です。

長野県飯山市愛宕町(仏壇の街)和紙屋のご主人、「稲田和雄」さんが出ていました。
彼は中学の同級生です。卒業後、数回会っていますがそれも50年以上も前で、若かりし頃を思うと過ぎた歳月の長さを痛感しました。
写真はこの5月に訪れたときに撮った愛宕町通りです。 080511

それにしても、離れてみると懐かしさが一杯です。お年寄りは明るく、元気で、親切で、地域のコミニュケーションの良さは、首都圏では考えれないほど濃厚ですね。

この地方は豪雪地帯で、雪さえなければ・・・、残っていたかも。
統廃合で無くなった母校の中学校歌の一節、「こもるに長き真冬の4月・・」、寒くなるといつもこの部分を思い出します。

2008年9月28日 (日)

品薄の一端を担う

 「バナナダイエット」が盛んだとか!

かく言う私も朝食を「バナナ」2本と烏龍茶に切り替えて2ヵ月余り、これに毎朝のストレッチ、毎日1万歩を歩き、1日3回脂肪を落とす漢方薬の服用で6kgのグラムの減量に成功しました。

ダイエットの話になると、バナナ、そしてバナナは品薄だ、という話題になります。

カミサンも「夕方になるとスーパーではバナナが売りきれよ」と言います。まして特売でチラシに載ると、すぐに完売だとか。

ついこの間まで「朝食の支度をしなくて楽だ」と言っていたのに、バナナの買出しが大変みたいに言います。

それにしても、バナナは消化がいいんですね。空腹で昼食までの時間がこんなに長いとは! まだまだ新しい食事のリズムに乗れません。

2008年9月27日 (土)

旧青梅街道むかし道を歩く

 半袖では寒いくらいの朝でした。薄いジャンパーを持ってお出かけです。

仲間11人と旧青梅街道の奥多摩湖からJR奥多摩駅までの、3時間45分のウォーキングをしました。

著名な登山家が奥多摩湖付近で熊に襲われた事件をご存知ですか?

苗字に「熊」の字がつく仲間が、鈴を持ってきていました。こんな賑やかでうるさいグループには熊なんか近寄りません。案の定、「熊」の「く」の字も現れませんでした。

気候は快適、お会いした地元の方々は親切、仲間の会話は弾む、おいしいオヤツが次々に回ってくる。それを紅葉手前の木々が優しく包んでくれる自然!多摩川の流れが目を癒してくれました。 写真は断層の下の部分が無くなった部分に建つ白髭神社です。080927_2

楽しい1日でした。皆さんありがとう。

2008年9月26日 (金)

2時間も待たされると・・

 約束時刻の10分前には指定の場所に到着するのが私のキマリです。

車の場合、渋滞などで思わぬ時間がかかりますので、余裕をみて出発します。

きょうの到着は約束の25分前、それから延々と2時間も待たされました。お客様の社内会議が延びた結果です。

最近はダイエットの関係で次の食事時刻前には猛烈な空腹感を覚えます。

打合せが遅く始まり、それでいつもなら夕食と摂っている時間にかかってしまい、ますます空腹感がつのり、ついイライラしてきつい言葉や大声を出したようです。
「何を怒っているの?」と聞かれてしまいした。

こういう時は何か口にいれておくといいですね。

亡くなった母親は、自分が幼い頃、夕食前はとても不機嫌でした。
働いていたことでもあり、疲れて帰って夕飯の支度はとても辛かったと思います。

2008年9月25日 (木)

“車が坂道を登れないのは運転手のせいか!”

 わが仲間たち、同級生、そして夫婦燗でも最近の政治情勢について語り合いう機会が多いですね。

きょうも、地域サークルのスポーツ大会終了後の食事どき、麻生内閣の組閣人事、次の選挙などに話がおよびました。

「民主党にやらせてみて、ダメなら自民党に戻せはよい」が圧倒的でした。

きょうの「BPnet Mail夕刊」に、田中秀征氏(同じ高校の同期生)が以下の記事を載せています。「欠陥車の運転手を換えても問題は解決しない」と、首相を自民党という欠陥車の運転手に例えています。

“車が坂道を登れないのは、車の構造的欠陥のせいであって運転手のせいばかりではない。運転手が交代すれば坂道を登れるわけではない。統治構造(政治と行政の仕組)を変えなければ車は一寸でも前に進むことができなくなっている。自民党総裁選で封印された改革論争は目前の総選挙で徹底的に行われるべきだ。”

国民をナメてはいけない。国民も本質を見失ってはいけない。こんな思いです。

2008年9月24日 (水)

数千万人の犠牲者を出している“異形の大国 中国”

 櫻井よし子著「異形の大国 中国」を読んでいます。(「お気に入りの本」参照)

この本に「中国が日本に軍事侵攻する日」という項目」あります。

そこには
“1949年の建国以来、毛沢東ら中国共産党指導部が瞬時もぶれることなく実践してきたのは、核と軍事力を以って大国となる大戦略だ”

“「たとえ国民が飢え死にしようとも、たとえ国民がパンツをはくことが出来なくても、中国は核大国になる」というのが、毛沢東以来の中国共産党の考えだ”

1958年~61年の毛沢東の大躍進政策で、農民ら2000万~4000万人が餓死した。
1966年~76年の中国全土に吹き荒れた文化大革命で2000万人規模で死者が出た。

別の書物を読むと、“中国では王朝が変わる度に、数千万人が死に追いやられている”そうです。

これが事実なら、中国共産党も歴代王朝の体質を引き継いでいることになります。
現代の中国を後世の歴史家たちはどう位置づけるのでしょうか?
果たして、その時の日本はどうなっているのでしょうか?

2008年9月23日 (火)

秋分の日

 きょうは秋分の日、朝は涼しく、日中は晴れて少し暑くなりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」、暑いといってもたいしたことはありません。

散歩中に彼岸花を撮りました。朝顔も咲いていて、草むらに夏秋が同居しています。0809232

2008年9月22日 (月)

テレビで観るわが故郷(その1)

 NHK総合20.00時からの“鶴瓶の家族に乾杯”は、4歳から18歳まで育ったわが故郷が舞台でした。

鶴瓶、吹石が最初に訪れた「阿弥陀堂」は、映画「阿弥陀堂だより」のセットを残したもので、テレビで面白いオジサンが言っているとおり史跡ではありません。

地元の皆さんの言葉、3世代にわたる家族、家庭の雰囲気、風景など懐かしいものでした。
こんな中で育ったのですね。

“うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川”
“夢は今も巡りて、忘れがたきふる里”
“・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”

来週の予告をしていました。和紙の販売店のダンナが映っていました。
彼とは中学で同じクラスでした。来週が楽しみです。

2008年9月21日 (日)

“埼玉県の仏像ベスト10”

 実を言うと「仏像」にはあまり興味がありません。

「埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会」会員であり、またI学園校友会のクラス会長をしています。

クラス会のイベントを博物館の無料イベントに相乗りさせて省脳化を図っているのです。

博物館のイベント名がきょうのタイトルです。

スライドで平安、鎌倉時代の仏像が次々と紹介されていきます。
部屋は暗い、ついウトウトzzzzz、目が覚めたら半分ほど進んでいました。

故郷、信州信濃の善光寺のご本尊の流れをくむ仏像や、地元にある円空仏などのお話はけっこう興味をひきました。

「ありがたや仏の前でひと眠り」

2008年9月20日 (土)

台風一過、秋晴れの日

 昨夜のうちに、台風情報に従いスダレや物干し竿(いつか台風で飛ばされ車庫の屋根を突き破った)をなどを片付けました。

きょうは風も大雨もなく静かな朝を迎えました。多少、無駄なことをしたナア・・とも思いますが何事もなかったことを喜びましょう。

いつもの早朝のウォーキングを朝食後にしました。抜けるような青空、輝く雲、刈り取った後の田んぼ、すっかり秋の気配です。路端に咲いていた花(メランポジウム)を撮りました。080920

2008年9月19日 (金)

この営業マンもイマイチ!

 あるサービス商品の見積もりについて担当営業マンに問い合わせました。子供と同じ世代の若手、マア勤める会社は世間で言う一流会社でしょう。

こちらの問い合わせに対して
「これが業界のジョーシキです。」
と、その業界のジョーシキをしゃべり始めます。

「あんたの業界のジョーシキなんか知らないよ。こっちは世間の常識で聞いているんだ」

「こういう取り引きはハジメテです。」

「こっちも初めてだから聞いているんだ。ハジメテならアンタの勉強不足だろう。どう対応したらいいか、シッカリ勉強して答えてヨ」 
マア、おおまかに言えばこんな具合です。

客の言い分を最後まで聞かない。業界用語で説明する。問い詰めると言い訳をする。

「分かった、もうイイ。アンタの業界ジョーシキを知らない俺が悪かった」

「私も言葉足らずですみませんでした。」

客が先に譲らないと、決して自分の努力不足を認めない。お前もマダマダだね。
ケンカしたわけでないので、こっちはある程度の妥協を引き出したつもり、逆に相手に「この程度で済んでよかった、ヤレヤレ」と思われたかも・・。

2008年9月18日 (木)

“生産者見失った消費社会”

 事故米の拡がりが更に続いています。

18日の朝日新聞朝刊に、事故米についての記事が今日のタイトルです。
結城登美雄さん(民俗研究家、農業)の記述です。

“生産現場から遠いところで、えたいの知れない人たちが、人の営みに欠くべからざる食べ物を、単なる換金するための「物体」として扱っている。本来、食べ物を作る人間を支援することを職責とする人たちが、何のために、誰のためにという問いを捨て去って、「利益があがれないい」「効率があがればいい」と拝金主義に走る。市場原理のもと、農林水産省を含め官民、業界、政界がこぞって引き起こした゛犯罪″だと思う。”

農業だけでなく、世の中すべて拝金主義に染まっているみたい。持たざるもののヒガミかな。

“農業生産者はどんどん減り、昨年2月現在で312万人、漁業従事者は一昨年で21万人、合わせて333万人と、全人口のわずか2.6%の人が4割の食料自給率を支えているのだ。しかも、農業者の7割は60歳を超え、4割は70歳以上である。”

4割自給率を人口の2.8%の60歳以上の高齢者が支えている。見方によればスバラシイ4割ではないか!

そういえば、15~16日に訪問した山形地方で会った農業生産者のほとんどが高齢者だった。でも、自分の畑で育つ白菜の苗を説明するときのイキイキした目の輝き、忘れられませんね。

2008年9月17日 (水)

歌声が機械で評価されるなんてネ!

 夕方から、ご近所の夫婦3組でカラオケへ出かけました。歌も食事もでき、飲み放題の店だそうです。(それなりの費用がかかりました)

カラオケなど久し振りです。歌い終わると機械で評価されますね。これがオモシロクない。

まあ仮に80点以上を優、79~60点を良、59~50点を可とします。
自分が歌った結果は良の下限ばかり、すべてです。
もちろん6人中最下位。コンクールをしたわけではないのですが、評点が出る度に心が傷つきます。
うまいとは思っていませんが、自分は人並みかな・・、見事に裏切られました。

でも、「NHKの素人のど自慢」も下手な人もいてこそ番組が盛り上がります。盛上げ役を仰せつかったと思いましょう。

2008年9月16日 (火)

引き続き山形にて

 泊まった寒河江駅前のホテルの朝食は美味しかった。いも煮汁を2杯もおかわりしました。

午前中は物流センター業務について打合せ。

午後は朝日町の「ホテルAsahi自然観」へ案内していただきました。白亜の本館と数十棟のコテージが自然に囲まれて建っています。また大規模なスキー場が隣接されています。080915

11月中旬に大型バス2台で仲間たちと当地を訪れ宿泊します。その宿泊条件の確認のために支配人、担当者と話し合いました。ご案内いただいた当地出身の物流会社の社長さんから話が通っていて、スムースに事が運びました。

旅行日に雨が降らないことが一番の願いです。
宿泊後、麓の朝日町で「いも煮会」を予定しているからです。

2008年9月15日 (月)

農業を通じて地域の活性化を!

 山形県朝日町に来ています。

ここは山形県の村山地方で主産業は農業です。
農業を通じて地域を活性化しようと活躍している方々との出会いの日です。

ここの出身で千葉県が本社の会社社長が中心になって町おこしをしています。

北関東地方でファミリーレストラン「坂東太郎」など60店舗を経営する(株)坂東太郎の青谷社長がスタッフとともに、この農産物生産地を訪れていました。(写真はたわわに実ったりんご園で、前列左から2人目が青谷社長)080915

早稲のりんごは早くも赤くなっています。りんごの王様「ふじ」はまだ青く、あと2ヵ月ほどで出荷になるそうです。

ついで野菜畑を訪ねました。白菜の苗が一面に広がっています。これも80日ほどで抱えるほどの大きさになるとか・・。他にトウガラシ、コンニャクの木、ソバなど種類も多いですね。080915_2

いずれは首都圏のお客様の口に入り好評を博することと思います。

夕方は青谷社長の講演会を拝聴しました。「自分で値段を決められる物を作ろう」など前向きなお話に地元の皆様方は熱心に聞き入っていました。本もいただき増した。(右サイト「お気に入りの本」をご覧下さい)

楽しい交流会でした。

2008年9月14日 (日)

“名月をとってくれろと泣く子かな”一茶

 中秋の名月、旧暦の8月15日ですね。

タイトルはご存知、同郷のご先祖(?)小林一茶の句です。今どきの子供はゲームに夢中で、お月様を観るために、わざわざ空を見上げることもないでしょう。

満月は、恥ずかしげにうす雲に隠れながらも顔を見せてくれました。

むしろ、12日の十三夜や前日14日の方が晴れ渡っていてきれいでしたね。

“月はくまなきをのみみるものかや・・”などと古文にもありますが、十三夜、満月、十六夜など、昔の人はこれと決めつけない広い観方をしていたのですね。

2008年9月13日 (土)

“パソコンが退院”しました。

 パソコンの入院先から電話があり、無事快復したとのことでした。

エラーの出たメモリー板の交換、LANカードを増設して新しいLAN ポートに接続したところ症状がでなくなったそうです。いろいろ負荷をかけてみても大丈夫だったとのこと。

今回、学習したこと。
1. バックアップは必ずとること。メールも同様、メールはWebメールにしておいて良かった。
 今回は、一部を除いて対策は十分でした。
2. カミナリ対策は電源、インターネット回線ともに必要。
 今回は、この面で未対応でした。さっそく手を打つことにします。

2008年9月12日 (金)

“パソコンがついに入院”です。

 一旦は復旧したと思った主力のデスクトップパソコンがダウン、ついに近くのパソコン専門店に運び込みました。

症状は、電源を入れるとすぐに休止状態になる。Windowsの画面が開いても、使用中に突然休止状態になる。オフライン状態でも同様です。・・などで安心して使えません。

調べてもらったらメモリーに損傷あり、LANポートにLANコードを差し込むと上記と同じ症状になります。

メモリーを交換してもLANポートでの状態は改善しないため、入院して検査、治療をすることにしました。

入院中はノートパソコンで代行します。メールアドレスはメモリースティックの保存してあり、データは外付けHDDに保存してありますので、スイッチですぐに切り替えられます。

やはり「カミナリ」が原因との診察です。皆様、ご用心を!

2008年9月11日 (木)

里山を歩く

 ポッカリ予定が白紙になってしまうことがあります。きょうがその日。
残念ながら明日の古道歩きウォークが都合で参加できず、朝、思い立って近郷の里山へ出かけました。1人歩きも「孤独の人」にはふさわしい楽しみですヨ。

まだ緑を残す里山の古道を歩きます。ガイド資料には「地元の人と出会ったらお気軽に声をおかけ下さい」とあります。

でも、人っ子1人に出会いません。3時間中、狭い道で軽自動車2~3台と出会っただけ。

古びた民家の路端でオジサンが草刈をしていました。080911_3 

思い切って声をかけます。
「こんにちは!」と私。

「おう、こんちは!、元気だね、雑草が伸びて草刈なんだ。暑いから半袖かい?」 (草刈はわかっています)

「ええ、上から歩いて来たから、汗ビッショリです]

「そうかい、こっちは(標高が)高いから長袖2枚を着ているよ。下の○○より2度も違うよ」

「怪我しないように、ユックリ行きな、気をつけてナ」

他愛無い会話ですが、旅人に対する思いやりが感じられます。

道路が舗装されていないと、もっと気分がでたのですが、やはり地元では生活道路です。お互いの思いやりがあってこその旅の楽しみでしょう。よかったネ!

2008年9月10日 (水)

ますます元気でお出かけです。

  I学園へ昨日に引き続き出かけました。

11月に行われるI学園校友会旅行の説明と打合せのため、午前中の校友会理事会に出席しました。私は校友会役員ではありませんが、クラス役員として本件を企画しています。

旅行参加者は60名で収支トントンになるように見積もりました。申込者は69名(昨年度は62名)で予想以上でした。参加者募集に携わった方々に厚く御礼申し上げます。

この結果を持って来週、旅行先で詰めの交渉(宿泊、イベントなど)をして来ます。ビジネスの打合せがありますので、「ついで」に寄って来るのです。

午後は東京へ。
地下鉄の銀座駅で下車、用をたして、外国語が飛び交う銀座通りを新橋へ。

新橋駅SL前で、高校の同級生と待ち合わせして居酒屋へ。恒例の首都圏在住組の懇親会で6名が集まりました。

5月に学校所在地で行った卒後50周年のクラス会に話題がおよび、「恩師より生徒の方が先に逝くのではないか」と言います。それだけ恩師は80歳を過ぎてなお元気なんです。

スッカリ! ホロ酔い気分で帰りました。

2008年9月 9日 (火)

Never give up!

  不思議なことに左肩の痛みが今朝は消えていました。

I学園校友会のグラウンドゴルフ大会の日の朝のことです。お天気は上々、微風もありました。でも日中の陽当たりの強さはまだまだ残暑と言えそうでした。

プレー参加者は同期生と1年先輩たちの、合わせて約30名。

結果は総合3位、同点者がいて年齢差(こっちが若い)で3位でした。
最初のプレーは平均なみ、以降は少しづつ縮め、4ゲーム目はホールインワンを含み15でした。
年齢ばかりはガンバッテも縮まらず、仕方ないですね。でも優勝者と3位がわが組から出たのがスバラシイ! 

もっと良かったのが、わが組のメンバーが素晴らしい人たちだったこと。同組の前期生とは初めての顔合わせでした。皆さん、紳士でしたよ。言葉使い、プレーの態度など感心しました。日頃のキャラクターが出るのですね。

お天気も、プレー仲間も、結果も心に残る日でした。

2008年9月 8日 (月)

“日本奥地紀行”を読んで

 イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読み終わりました。

本の後半は北海道紀行です。1878年(明治11)8月12日から9月14日まで函館~森~室蘭~幌別~白老~苫小牧~湧別~平取~門別~旧室蘭~有珠~礼文華~長万部~落部~森~函館と約358マイル(約576km)を人力車、馬、徒歩で旅をしています。

特にアイヌの調査、観察が詳しいですね。彼らの住まい、言葉(文字は持たない)、食事、道具、祭祀、部落や家族の序列など詳しく書かれています。
白老や平取のアイヌ調査と観察が長く記述され興味を引きました。

私も数回、白老のアイヌコタン、平取のアイヌ文化資料館(現在の平取町へは仕事で数十回訪ねています)へ行っていますが、時を戻せるなら私の北海道旅行や出張前に本書を読んでいたらなあ・・と思います。

2008年9月 7日 (日)

左肩痛で左手が上がらず!

 5日の午後から左肩が痛くなり、昨夜は激痛で眠れ間ませんでした。

4日、5日と続けて都内のビルで日中、左肩にエアコンの噴出口から直接に冷気が当たったからと考えられます。

肩から吊った布で左腕を支えています。

お陰で今日のお出かけは中止。来週もいろいろ予定あり。早く直ってほしい。

2008年9月 6日 (土)

同じ県内でも・・

 親族の入院見舞いに車で埼玉県所沢市の防衛医科大学校病院に行ってきました。

所沢といえば西武球場があるので西武ライオンズの試合を見に行くか、飯能方面に行くときに電車で通過するだけのお馴染みが薄い町です。

荒川に架かる羽根倉橋を渡り関越自動車道を越えると、右手に所沢航空公園の木立が見えます。

西武新宿線のガード手前を右折して、すこし行くと左手に戦後初の国産旅客機YS11が見え、その先右手が防衛医科大学校病院と防衛医科大学校があります。

入院病棟は10階で患者さんの術後の回復も順調で安心しました。さらに素晴らしかったのは10階から見下ろす景色でした。

一面の森の中に、グラウンド、校舎など配置され、同じ県でも東部のチマチマした町とは雲泥の差! これに航空公園の景色が加わります。

埼玉県では南北の往来は楽ですが、東西のそれは不便ですね。埼玉都民が多いのを改めて実感した半日でした。

2008年9月 5日 (金)

「夕暮れに秋を感じる田んぼ道」

 きのうときょうは仕事で都内へ。

電車を2回乗り換えて訪問先へ出かけても、1日の歩数は5500歩くらいで、目標の1万歩には届きません。

そこで帰路は1つ手前の駅で下車して歩いて帰ることにしています。約35分間です。
これで合計1万歩になります。

田んぼの中の農道を歩きます。黄金色になった稲の波、薄紅色の染まった雲、ちょうど半月の上弦の月(旧暦の8月6日)を真正面に見ながらゆっくり歩きました。

もうすぐ中秋の名月ですね。

同じ道を歩いても、周りの景色に秋の衣替えを感じるこの頃です。

2008年9月 4日 (木)

わが街で泊まったイザベラ・バード

 1878年(明治11)6月10日に英国婦人イザベラ・バードはわが街に泊まっています。
彼女の著作「日本奥地紀行」(このブログの右欄「お気に入り本」の写真をクリックして下さい)に記事がありました。

“大きな町ではあるが宿場の大通りも、東京の貧弱な街路に似ている。”

“大きな宿屋に泊まった。そこは1,2階に部屋があり、大勢の旅人が泊まっており、多くの悪臭がした。”(日本の宿や民家の悪臭については頻繁に記述されている)

“宿屋は大きくて老朽化した建物で、30人程の召使が台所で働いていた。”

“案内された部屋は2階で、障子で仕切って4つの部屋を即席で作り、そのうちの1部屋をあてがわれた。(タタミを紹介している)タタミには無数の蚤がついている。”(蚤にはどこでも悩まされた)

“しばしば襖が音もなく開けられ、幾人かの黒く長い眼が、隙間からじっと覗いた。プライバシーノ欠如は恐ろしいほどだった。”

“按摩をやっている盲目の男が2度も障子を開けた。
かん高い音調で仏の祈りを唱える男がいた。
三味線を奏でる少女がいた。
家中がおしゃべりの音、ばしゃばしゃという水の音。”

“外ではドンドンいう太鼓の音。
街頭からからは無数の叫び声、按摩の吹く笛、拍子木の音。”

“盗難に遭うことも容易、井戸は汚れている。病気も心配だ。”

<原注:その後、北海道まで旅をしたが、まったく安全で、しかも心配なかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。>

“警察官が来て、旅券をチェックしているが警察官は丁寧に対応している。”

“翌朝7時までに朝食を食べ終わり、部屋は空っぽになった。80銭の宿料を支払った。”

“出発後、人力車の車夫が腹痛と吐き気に襲われた。彼は契約を厳重に守って代わりの者を出し、病気だからといってチップを請求することはなかった。”

“その正直で独自なやり方が私には大変嬉しかった。”

2008年9月 3日 (水)

ダイエットの記念すべき日

 今日はダイエット作戦で大記念日となりました。

作戦開始日71kgだった体重が、ダイエットを始めて49日目の今日、66kgを切り65kg台になり7kgの減量に成功したからです。

さかのぼって、この日のことを書いています。この後は66kg台に戻っていないからです。

さて、更に減量するか、少なくても維持する必要があります。

1. 食事のリズム(少食、栄養バランスなど)の維持
2. 運動は毎日続ける
3. 規則的な生活リズムの維持

これが基本だと身に染みて分かりました。

2008年9月 2日 (火)

今年度下期の仕事

 この下期に地方大学の大学院の講義を受け持つことになりました。友人の大学教授から問い合わせがあり受けることにしたのです。

講義の内容は、長年携わってきた職業分野に関することなので、心配はしていません。あとはどう教材をまとめるかですね。それにサブ内容の時間配分を考えなければいけません。

若い人と話をする。議論することは楽しいですね。欲を言えば、社会で業務経験のある大学院生の方が議論相手としては楽しさが大きい。それに女子学生の方が真面目だった記憶があります。

順次、準備に入ります。

2008年9月 1日 (月)

実りの秋、そして福田さんアンタもか!

 9月になりました。
残暑で蒸し暑い日ですが、田んぼの稲は黄金色になっています。(携帯で撮影)080901065854

あと数日で切れる自動車保険(任意)の継続手続きをしました。

インターネットに接続して案内ハガキのとおりID、パスワードの入力を何回しても「IDかパスワードを間違えています」で入力できず。

0120・・で始まる番号に電話したら、優しい女性の声が、みごとに継続契約完了まで導いてくれました。

原因は使っているInternet Explorer7のセキュリティが厳し過ぎたようです。
「○○をクリックし下さい」、「△△のチェックをはずして下さい」云々、と言われるママ。

結局「ダメなら保険会社はいくらもあるよ」という間もなく契約は終わってしまったんです。

この記事を書いていると突然、「福田首相の辞意表明」とテレビが伝えていました。
「安倍さんに続いて福田さん、あんたも放り出すんですか?」

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