わが街で泊まったイザベラ・バード
1878年(明治11)6月10日に英国婦人イザベラ・バードはわが街に泊まっています。
彼女の著作「日本奥地紀行」(このブログの右欄「お気に入り本」の写真をクリックして下さい)に記事がありました。
“大きな町ではあるが宿場の大通りも、東京の貧弱な街路に似ている。”
“大きな宿屋に泊まった。そこは1,2階に部屋があり、大勢の旅人が泊まっており、多くの悪臭がした。”(日本の宿や民家の悪臭については頻繁に記述されている)
“宿屋は大きくて老朽化した建物で、30人程の召使が台所で働いていた。”
“案内された部屋は2階で、障子で仕切って4つの部屋を即席で作り、そのうちの1部屋をあてがわれた。(タタミを紹介している)タタミには無数の蚤がついている。”(蚤にはどこでも悩まされた)
“しばしば襖が音もなく開けられ、幾人かの黒く長い眼が、隙間からじっと覗いた。プライバシーノ欠如は恐ろしいほどだった。”
“按摩をやっている盲目の男が2度も障子を開けた。
かん高い音調で仏の祈りを唱える男がいた。
三味線を奏でる少女がいた。
家中がおしゃべりの音、ばしゃばしゃという水の音。”
“外ではドンドンいう太鼓の音。
街頭からからは無数の叫び声、按摩の吹く笛、拍子木の音。”
“盗難に遭うことも容易、井戸は汚れている。病気も心配だ。”
<原注:その後、北海道まで旅をしたが、まったく安全で、しかも心配なかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。>
“警察官が来て、旅券をチェックしているが警察官は丁寧に対応している。”
“翌朝7時までに朝食を食べ終わり、部屋は空っぽになった。80銭の宿料を支払った。”
“出発後、人力車の車夫が腹痛と吐き気に襲われた。彼は契約を厳重に守って代わりの者を出し、病気だからといってチップを請求することはなかった。”
“その正直で独自なやり方が私には大変嬉しかった。”
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