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2008年12月12日 (金)

日光御成道を歩く②<御年寄瀧山の墓>

 <街道を往く> この日は日光御成道の2回目、東京都北区のJR赤羽駅から埼玉県川口市のJR東川口まで約7時間を11人で歩きました。

川口市の錫杖寺は2代将軍徳川秀忠が日光参詣の際、休憩をとった寺です。以来これが慣習となり、歴代将軍の御膳所(昼食の休憩所)となったということです。

この寺には徳川幕府大奥御年寄(総取締役)瀧山の墓がありました。

明後日(14日)で終わるNHK大河ドラマ「篤姫」で、薩摩からお供してきた松坂慶子演じる幾島が篤姫のもとを去った後、大奥にあって存在感を示すのが稲森いずみ演じるところの瀧山(たきやま・文化2年(1805年)- 明治9年(1876年)です。081212

“大奥御年寄り。家定、家茂、慶喜の3代にわたり、1000人を越える大奥女中の総取締り役をつとめ、井伊直弼の大老就任にも力を振るったと言われ,篤姫とは激しく対立した時期もあったそうです。”

“瀧山は、13代将軍家定・14代将軍家茂・15代将軍慶喜と3代に亘り大奥に仕えました。慶応4年(1868)大政奉還により江戸城が明け渡されると、家定、家茂の妻や生母を退出させ、次いで250人にも及ぶ奥女中達に年功によって拝領物を与えて立ち退かせます。自らはしばらくの間残務整理に当たり、大奥の最後を締めくくりました。

 その後、伯母の染島とともにかつての侍女の生家を頼って川口市朝日町に移り住みます。夫婦養子を迎え「瀧山」家を興しましたが、明治9年(1876)に71歳でしの生涯を閉じ、錫杖寺に埋葬されました。瀧山の墓の隣には、染島の墓もあります”(川口市広報課「ふる里だより」より

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