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2009年7月10日 (金)

“手枕や小言いふても 来る蛍”一茶

 199年前の1810年(文化7)5月11日、今の暦では約1ヵ月前の4月中頃です。

この日の夕方、雨の中を1人の旅人が、上州新町宿の高瀬屋という旅籠屋に草鞋を脱ぎます。(今は車庫と普通の民家があるだけです)
信州の俳人、小林一茶で、あと1ヵ月で47歳になる時でした。

私も同じ北信の出身、一茶と聞くと、なぜか格段の親しみを持つのです。

一茶は夜中に起こされ、神流川に石灯籠を作るための寄進を頼まれます。
懐がさびしい一茶は一旦は断りますが、相手の執拗な要請に、やむなく12文を寄進します。

その直後に作ったのがタイトルの句です。

さて、約200年後の今朝、新町宿の高瀬屋跡前を歩いたご一行(7名)様が私たちでした。旧中山道歩きのイベントです。もちろん靴を脱ぐことはありませんでした。
私は99年7月10日に新町から安中まで歩いていますので2回目です。

新町宿から烏川沿いに岩鼻へ。写真は岩鼻代官所跡地の神社です。上の木陰で休憩。090710_2

倉賀野宿入口当たりで昼食。

高崎駅までの約14kmを一ご行様は無事、歩き通しました。

さて、200年前の一茶は、その後どこで泊まって、どんな思いで故郷へ向かったのでしょうか?

この頃、継母、腹違いの弟と遺産相続で争っていたときです。イライラもあったでしょう。

相続争いが決着して50歳で結婚する3年前の出来事です。 

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