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2010年9月 5日 (日)

甘楽町は城下町だった。

 昨日出かけた群馬県甘楽町は城下町だった。

高崎や富岡などへは行っているが、甘楽町は単なる通過地点で上信越道の甘楽SAくらいしか印象がなかった。小さな町にも立派な歴史がある例だ。

甘楽町HPと「大名の日本地図から近世支配史を追ってみた。

この町の小幡地区(旧小幡町)は秩父七党の児玉党の一派、小幡氏の支配する地域だった。当時の城址もいつか残っているらしい。

天正18年(1590)から元和元年(1615)までの25年間に5度も城主が代わった後、小田信長の次男信雄は、大和松山3万石と上野小幡2万石を領有、そして子の信良に小幡2万石が分封され、次の信昌が小幡陣屋を造営した。

明和4年(1767)、7代信邦の時に、いわゆる明和事件に連座して蟄居を命じられ、養子信浮は出羽高畠に移された。

代わって幕府若年寄松平(奥平)忠恒は上州上里見から2万石で入府。凶作で困窮した農民救済制度を作ったが、農村振興はむずかしく、藩財政は窮乏化した。借財は年収の10倍、7万4千余両に達した・・という。

道の真ん中に川が流れ、大手門跡とか武家屋敷などが往時の面影を伝えている。

財政規模は年間予算50億円程度、年収に占める町税は約22%、支出に占める人件費は約25%で町税で人件費を賄えない状態とみた・・。それにしても立派な文化会館、福祉会館が建っていたけど・・。自治体財政に疎い素人には分からない。
赤城山も合併で前橋市になった。熊が出る県庁所在地だが、熊が出ない小さな町が果たして生き残れるのか? 興味深い旅だった。

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