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2010年12月

2010年12月31日 (金)

さらば2010年!

 10年前、退職時の健康診断で「君の体型では70歳は越えられないよ」と老齢の担当医師は言った。
でも、70歳になった今、現実に命がある。この10年、体重を10kg減らし、妻の協力を得て食事に注意し、少しは働いて何とか元気で生き延びてきた。
10年ひとくぐりと考えれば、この1年は私にとって大きな意味をもったことになる。

作家、曽野綾子の言葉は私は好きだ。
“その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人が、どれだけこの世で「会ったか」によって計られるように私は感じている。
人間にだけではない。自然や、できごとや、或いはもっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと私は思うのである”(曽野綾子著「孤独でも生きられる」イースト・プレス)

数年前、事故で死線をさまよったとき、「俺の人生もまんざらではなかったな!」と思った。まあ、いろいろあったけど多少は豊かな人生だったと思う。でも、今でも魂や精神的や思想をについてはまったくの未熟者だと思う。来年も精神的なものを探し求める旅が続くことになる。

2011年の抱負は明日の朝までに朝までに考えよう。

強い風の中を自転車を走らせた。
大晦日でも歩いている人がいる。枯れた田畑に色鮮やかな植物が広がっていた。歳月の流れは速い。
さらば2010年!

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2010年12月30日 (木)

2010年、わが身・わが家の5大ニュース

  2010年、わが身・わが家の5大ニュースを挙げてみた。これらは世間的には九牛の一毛に過ぎないが、自分の人生には大きな意味があると思っている。

1. 車を買い換えた。
  買った車は新車でなく結婚した娘が乗っていた中古の
  小型外車だった。乗った感想は、車は日本車がイイ!
  外車がステータスシンボルの時代は終わっている。

2. 病気で初めて入院した。
  病名は腸閉塞、猛烈な腹痛で即入院。どんな豪華な
  病院でも再び入りたくない。

3. 娘が結婚した。
  子供は娘が2人、残っていた長女が結婚、都下にサラ
  リーマンの夫と住む、正直ホットした。

4. 初孫ができた。
  長女に娘が出生まれた。初孫だった。理屈なしに可愛
  い。孫の成人式まで生きたい。

5. 会津地方に仏教を訪ねた。
  特に冬木沢の八葉寺阿弥陀堂の由来には心が痛ん
  だ。亡くなった人を土葬しない、いわば風葬の場所だ
  ったから・・。(写真)

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 そういえばこのブログは明日を書いて今年の365日間、1日も欠かさなかった。誇りに思うがニュースにはしないことにした。

 

2010年12月29日 (水)

“みかんの危機”

 “昨今は果物の消費量が低下している。02年~09年の消費量増減率で見ると果物全体が87%のところ、とりわけみかんは75%と減少幅が大きい。70年代に全国で350万tあった生産量は近年は100万tと三分の一に激減した。結果、みかん農家の収益性は低下し、後継者不足、従業員の高齢化やみかん園の荒廃が進んでいるという”(AGORA11年1月号)

記事は、こんな状況の中で“1番の問題は「おいしいみかんをお客さんに提供できていない」”と、前向きに取り組んでいる和歌山県紀の川市の児玉典男さんと紹介している。

取り組みは、うまみのチェック、機械化の見直し、物流の改善、卸売市場から直販への切り替え、地域ブランド化による高級化をめざすなど、生産からマーケッティングまで及ぶ。

まとめは以下の記事で十分だと思う。
“工夫しておいしいものを作った農家は生き残り、気力のない人は淘汰されていく。「シビアだけれど、どの業界もそうでしょう。農家もそうなって然るべき。それを目標に農家もがんばってくれたらいいと思います」”

TPPなど更に経済のグローバル化が進みそうだ。農業も例外ではありえない。

2010年12月28日 (火)

年末あれこれ

 引き出しの中に今は亡き両親、母と母の兄弟とその両親(私の母方の祖父母)、祖父母のモノクロ写真がつい今朝まで入っていた。雑多な書類と一緒に・・。写真に魂があるわけはないけど雑然としっぱなしは心が痛む。
これらは母の葬儀の時に実家で焼き増ししたものをもらってきたものだ。

額に入れて壁に掛けてあった家族写真に、この3枚の写真を追加して貼った。
困ったことに、写真を貼ったあと、はずした額縁が元に戻せないのだ。なんとか元の鞘に収めたがこれが意外に時間を食ってしまった。そのほかの掛け物も張り替えた。

自転車でさいたま市岩槻区の岩槻城址公園へ。最初は運動公園へ向かったが閉門中で入れない。
止むを得ず城址公園へ。自転車を置いて歩く。冬の午後の公園は何となくもの悲しい、木々に葉なく人影もまばら、赤い八ツ橋が池に映えて橋が二重に華やかだった。(写真)

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2010年12月27日 (月)

歳末風景

 年内中に処理したい案件で2つの銀行の支店へ、どこのCD(現金預払機)の前は長蛇の列だった。そのワリに待ち時間は少なかった。

よいお天気だったので、サイクリング気分で遠回りして帰ることにした。
スーパーマーケットも商店街にもあまり人は見かけない。やはり庶民は年末の金繰り算段に追われているのかナ!

さいたま市岩槻区の坂東十二番札所慈恩寺の境内も人気は皆無。きれいに掃き清められた箒の跡がすがすがしい。この境内、大晦日から正月三が日は善男善女で溢れる。準備は万端のようだった。

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冬はやはり関東がいい、雪国育ちの私にはこの地は天国だ。

2010年12月26日 (日)

テレビ出演者と「江戸しぐさ」

 テレビの討論番組を見ていると、偉い先生が腕組みをしているのをよく見かける。また年配の著名な司会者が腕組みをして偉そうなことを言っている。

たかが「腕組み」だが見ている者に良い印象を与えない。

この時期、「断捨離」のうち「捨」をしていたら、新聞のスクラップ記事が出てきた。その1つに「江戸しぐさ」(2006年11月22日、朝日新聞)という囲み記事があった。ゴミ箱行きの前に一筆書き残しておきたい。

“衰運招く? 腕組み・足組み”として・・
“「足を組む」しぐさは日本でも江戸でも現代でもあまり好感は持たれない。
「腕組み」は商人にとっては衰運の印と言われ、足組みと同じくしてはいけないしぐさの1つだった。”

私も学校を出て入社した会社が客商売だったので、特に「腕組み」はうるさく注意された。立ち商売だったので足組みについては触れられた覚えはない。

確かに“腕組みしぐさは、偉そう!とか、何を構えているの?など、客にいらぬ警戒心を抱かせる。これでは到底、店は繁盛しない。”

こんなしぐさで立派なセンセイ方が警戒心を持たれるのも残念だ。テレビ局側でも言いにくいと思うが注意した方が良い。

2010年12月25日 (土)

ヒマラヤ杉の剪定

 毎朝、2階自室の雨戸1012252_2を開けるたびに気にしていることがある。

隣家の庭に接するヒマラヤ杉が伸びすぎたことだ。
その結果、この木の枝が、わが家へ引き込んである電話線を覆ってしまったこと。それに横に伸びた枝が隣家の敷地へはみ出しだしたことだ。高さは4m弱くらいだろう。

今日は寒いけど良いお天気で風がない。思い切って剪定をすることにした。
シニアが集まれば病気、墓、死亡、孫、怪我などが主な話題になる。怪我で1番多いのが骨折、それに植木の手入れ、わけても脚立での作業での事故が多いらしい。そんな心配をしながら注意深く剪定した。

どうやら2時間半くらいで終った。怪我はなかったが、剪定した枝を片付けているカミさんの頭に私の身体をぶつけてしまった。あれから数時間経つのに「痛い!」と言う。
たいしたことはない、すぐに治るさ!

2010年12月24日 (金)

一気に片付ける

 年賀状の作成は一応終わった。あとは電子年賀状の作成と未投函分への返信が残った。

今年は1枚の失敗もなかった。こんなことは今までなかったことで、やはり作業手順をきちんと確認すればできるのだ・・と悟った。認知症とは無縁でありたい。

電子年賀状は毎日コツコツと大晦日までに入力すればよい。全体の数からすればEメールの方がはるかに多い。紙ベースは時間がかかる。次の予定が先送りになってしまった。

作業の合間に娘から孫の写真が届いた。この27日で生後3ヵ月になる。首がすわってうつ伏せができるようになったそうだ。正月の来訪が文句なく楽しみだ。

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2010年12月23日 (木)

昨今の年賀状つくり

 一日一日先と先延ばしてした年賀状作成に重い腰を上げた。

最近、少しずつEメールの割合を高めてきたので賀状で出す枚数は減ってきている。それでも100枚近くなるので楽ではない。加齢のせいか昨今は正直、作るのは面倒だ。

カミさん分の裏面デザイン作成と印刷を請け負っている。
いつもならこっちにお任せなのだが今年はなぜかうるさい。一応、デザインができると見せるのだが今年は最初からのダメ出しで数回のやり直しだった。
どうも斬新なデザインを期待していたらしい。やはりオッサンのデザインは古くさいらしい。

できたら年末と正月はない方が良い。こんな思いとは逆に、年月の流れの速さは年齢の二乗に比例する感じだという。そうなら来年は今年の1.3倍の速さになるから、年末にはますます「1年経つのは速いですね」の会話が多くなるはずだ。

さあ、遅れた分を早く作ろう!

2010年12月22日 (水)

冬至のお月さまがきれいです。

 今年の忘年会は今晩で終わりました。何回目かなあ・・・!

家から会場へ、会場から家へ、片道3.5km、50分、往復100分、約13000歩歩きました。
往路は、朝、雨で歩かなかったので健康のため、往路は同伴者がいたので途中までご一緒に歩きました。

帰路、別れて1人で歩いていると駅の近くで「お月さまがきれいですね」と見知らぬ人に言われました。空を見上げると澄んだ空に見事な月が輝いています。そういえば今日は冬至だったネ。
昨夜は皆既月食だったけど曇天で見えませんでした。輝いている月が見えればそれでよしです。

体調が悪く、ここ3回ほどの忘年会ではお酒が飲めませんでした。周りの人から見ると私が辛い思いをしていると思われたでしょう。
でも、何事も慣れ、慣れると何ともないんです。よく寝られるし気分もイイ、しばらく節酒してみようと思います。

2010年12月21日 (火)

下総佐倉を歩く

 下総佐倉(現:千葉県佐倉市)は11万石の城下町だ。
地域の仲間十数人と城址内にある国立歴史民族博物館を訪ね城址と街を散策した。
さすが幕末に南関東の学都といわれただけに緑が多く落ち着いた趣があるいい街だ。

城は天文年間(1532~1555)に千葉氏一族の鹿島幹胤に原形が築かれ、後に佐倉に封ぜられた土井利勝によって慶長16年(1611)から7年をかけて構築された。この城には石垣がないのが特徴だ。明治になると歩兵57連隊の兵舎がおかれ城は取り壊された。藩政当時の遺構はなにも残っていない。「坂の上の雲」に登場する児玉源太郎も連隊長として在住した。また正岡子規も当地を訪れている。(写真:佐倉城址の残り紅葉と空堀)1012212

城主の変遷も面白い。堀田正亮が延享3年(1746)、出羽山形より入封し堀田氏は幕末まで在封する。正亮が入封されるまでは譜代大名が頻繁に入封している。
また江戸期前期には佐倉宗吾(惣五郎)事件が領内に起こっている。(写真:佐倉の武家屋敷通り)

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国立歴史民族博物館の見学予定時間は2時間だったが常時展示の半分も見切れなかった。機会があったら改めて見学をしたい。近世の領内統治も詰めたいと思う。

2010年12月20日 (月)

断酒して2週間

ブログネタ: お酒を飲むとどうなるタイプ?参加数拍手

胃に痛みを感じて2週間、食事は粥をメインに野菜を中心にしたおかずで、酒は飲まなかった。こんな長期間(自分にとってはなが~い日数だったのだ!)断酒したのは初めてだった。

酒は飲まなければ特別禁断症状も出ないし口寂しい思いもしない。それよりも胃の痛み、重苦しさがなくなることの方が先決だと思うからガマンもできた。
飲んだらどう変わるかって? 愉快になるタイプだろう。おとなしいものだ。

どうやら胃痛も治まった。

ところが今朝は起床時に目まいでフラついた。血圧は正常だったから何か別に原因があったのだろう。

夕方、歯科医院へ行き先週に型をとった金属を歯に被せる治療を受けた。ところがイライラする時間(たいした時間ではないが口を開けたままでは疲れるから長い時間に感じただけ)、治療が終わらない。
「うまく被せられないから、また型をとります」と歯科医師。
結局、再度の出直しとなった。治療代を請求されたら文句を言おうと思ったがそれはなかった。
「口開けて耐える姿やのど仏」と言ったところか・・。

2010年12月19日 (日)

たまには妻とドライブを・・

 数日前に着いていた添付付きメールを開いたら応援している山形村上地域のイベント(産直)案内で、添付はチラシだった。

寒いけどいい天気だ。ドライブを兼ねてカミさんと出かけることにした。
二人で車で出かける機会はあまりないからたまにはいいネ。TBSラジオ「安住伸一郎のにち10リストリスナーの調査・私の街自慢」を聞きながら・・。ルンルン気分とはいかないけど・・。

けっこう人が集まっていた。餅つきをして安倍川餅にして売っていた。購入希望者が列を作り餅が間に合わない。
こっちは串コンニャクを食べながら買物。結構安いし農家の皆さんと交流もできて楽しい。

知り合いの関係者もカンバッテいた。ただ会場がビルの日陰になり寒く気の毒だった。(写真)

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カミさんはたくあん漬けにする干し大根が欲しかったようだがこれは無かった。
帰りに道の駅ごか(五霞)に寄ったらそこには売っていた。こちらも駐車場は満杯、売場は買物客で溢れていた。
店頭のフリーマーケットは閑散として元気なし。陽があたっていてもレジは陰っていたはずだ・・。(写真)

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2010年12月18日 (土)

カントリーサイクリング

 西高東低の気圧配置で少しの向かい風でもペタルが重くなり、厚着でも肌に冷気が染みる。でもお天気は良かった。

午後のひととき、愛車のペタルを踏んで、30分ほどのウォーキングを含む2時間ほどのサイクリングに出かけた。自然がイッパイ!、整備されたサイクリング道路を走ると歩くの組み合わせだ。
サイクリングウォークと名付けようか。

すっかり葉が落ちた林、風に舞う落葉、陽に輝く残り紅葉(写真)、林の向こうには巨大な工場、ひっそりとたたずむ団地、遊歩道をペットと歩く愛犬家・・・、

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陽が落ち始めると東の空には旧暦11月の十三夜の月が浮かぶ。
春が待ち遠しい!

2010年12月17日 (金)

圧縮された講義

  F大学院の講義は「日本仏教の歴史と文化」の近世編で、期間は元亀2(1571)年信長の延暦寺の焼打ちから明治元(1867)年までのおよそ300年間だった。これをワンコマ(90分)で受講した。

これでは、江戸幕府の宗教統制で仏教が葬式仏教化していったのはわかるが、この時期の一般庶民の仏教感とか仏教が庶民の精神にどう影響して変化したかには答えていない。近世史に一番興味をもつ身には物足りない。

高校の日本史もそうだったが、学期末になると近世、近代史はハイスピードで終わらせてしまった。ここでも同じだった。残念!

年内の講義は今日でお仕舞い。学友と忘年会を兼ねた昼食会へ。お店は「寿司割烹 松葉」、胃の調子が悪く酒が飲めないのが辛かったが、話は弾んで楽しかった。料理は美味しく店の雰囲気も最高!、

2010年12月16日 (木)

映画「武士の家計簿」

 この映画「武士の家計簿」は同名の本(新潮新書版、磯田道史著)をもとにしている。
新書版が映画になったのは初めてかどうかは知らないが珍しいそうだ。
本は読んでいたので久しぶりに映画館でユックリできた。

加賀百万石の算盤係として仕えた猪山家の家計簿を時系列的に追ったものだ。
“天保13(1842)年7月から明治12(1879)年5月まで、途中1年2ヵ月間の欠けている部分を除いて37年2ヵ月も書き続けれていた。”

すでに幕末から明治・大正の時点で、金融破綻、地価下落、リストラ、教育問題・・など、現在のわれわれが直面する問題を経験していたのだ。

映画のあらすじは映画を観ていただくか、本を読んでいただきたい。観やすく読みやすい映画であり本だから。(写真はイン101216ターネットから)

本の「あとがき」で著者が書いている。
“私はというと、猪山家の人々から、大切なことを教えてもらったように思う。大きな社会変動のある時代には、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の生死をわける。かつて家柄を誇った士族の多くは、過去をなつかしみ、現状に不平をいい、そして将来を不安がった。彼らに未来はきていない。栄光の加賀藩とともに沈んでいったのである。一方、自分の現状をなげくより、自分の現行をなげき、社会に役立つ技術を身に付けようとした士族には、未来がきた。私は歴史家として、激動を生きたこの物語を書き終え、人にも自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。まっとうなことをすればよいのである・・・・。”

まったく同感だ。

2010年12月15日 (水)

果たして生き残るのは!

 倒産した食品スーパーの建物を化粧直しして新しい食品スーパーが開店した。
今日が開店日、出かけたついでに寄ってみた。

倒れたのはこの地方の中小スーパーだった。今日開店した店を経営する会社は関東地方の有力スーパーだから、不振店を閉鎖しても会社が倒れる可能性は低い。

建物も居抜で使っているから開店投資も格段に低い。
地域の消費額が増えるわけではないので、どこかの売上げが減る。こんどはどこが倒れるか、さもなくば店を閉じるか。歴史は繰り返す。101215

これで半径500m内に食品スーパー、食品を扱うディスカウントストア、ドラッグストアなどが7店以上になった。富裕層は極端に少ない地域のはずだから価格競争がますます激しくなりそうだ。生活する者にとっては結構だが経営者は辛いはず。

スーパーだけでなく歯医者も同じエリアに8軒もある。
こちらは個人経営の歯科医院が多く、学資や開設投資額が大きいから患者が少ないところは困るだろう。それとも歯を患っている者が多いのかな・・。

この駅付近に住んで40年以上、当時は一面の田んぼ、駅前ながら速達も届かなかった地域だ。世の中も世相も環境も変わってしまった。

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都下に住む娘がカミさんへ孫の写真を送ってくる。縫いぐるみの熊さんに話しかける笑顔が可愛い! 
わが家は「子ならぬ孫がカスガイ」になっている。これも仕方ないか・・。

2010年12月14日 (火)

モーツァルトの墓

 松本清張に「草の径」という短編集がある。(お気に入りの本)

その中に「モーツァルトの伯楽」という小説がある。
東京からウィーンを訪れた男が通訳の在留邦人女性と聖マルクス墓地を訪ねるところからこの小説は始まる。

“これがモーツァルトの仮の墓です、と彼女が指したのは高さ二メートルの白い大理石の石塔である。”(写真:モーツァルトの墓、インターネットより)101212_2

確か、私もオーストリアに旅行したとき、モーツァルトの墓に案内された記憶がある。でも小説の書く情景と私の記憶ではかなり印象が異なる。インターネットでモーツァルトの墓の写真を探し、私の旅行写真を比べてみた。やはりまったく違う。

“モーツァルトがこの共同墓地のどこに埋められたかは、埋葬後二百年経った現在でもいまだにわからない。”

華麗だった結婚式に比べ、あまりに格差のある葬儀、また彼の死因(彼は梅毒だったとの説があるとか)など興味が尽きない小説だった。

あちこち観光をして回る旅行もいいが、ポイントを絞って深堀したい旅がなおいいと思う。

2010年12月13日 (月)

“お久しぶりです。・・”

 朝刊が休みの日は夕刊が待ち遠しい。

朝日新聞夕刊の「素粒子」から
“お久しぶりです。ヤワラちゃん。小沢の護衛官みたい。県議選の応援にも。でも、あなたには柔道着が一番似合います。”

そういえば、ヤワラちゃん、茨城県議選の応援風景がテレビに映し出されていた。

以下はこちらの自作
「お久しぶりです。鳩山由紀夫さん。普天間に懲りて今度は小沢さんの援護ですか。共にお辞めになる準備をしているとばかりと思っていました。」

期待して投票した民主党、今の混迷には失望した。議員たちはこの現実が分かっているのだろうか?議員を「センセイ」と呼ばない運動に大賛成。

2010年12月12日 (日)

なんのために岩を登るのか?

 相変わらず胃痛が続く。横になっていると楽なので1日そんな姿勢で過ごした。本を読むかテレビを見るしかない。このブログもやっと書くことができた。

午前のNHKハイビジョン「白夜の大岩壁に挑む」は迫力があり、つい最後まで見てしまった。
北極圏グリーンランドの未踏峰の大岩壁(標高差1300m)を3人のクライマーが初登頂する。うち2人は夫婦(山野井泰史、妙子、もう1人は木本哲)だ。この夫婦、これまでの登山で足の指の何本かが凍傷のため無くなっている。それでも登る。

ここまでして登るのはなんのためか?きっと他の人には理解出来ない理由があるのだろう。
また撮影をどういう方法でしたのか、興味があるところだ。

でも、心の中で思ったことは、若い時にロッククエライミングの真似事だけでもやっておけばよかった、ということではなかったか。

2010年12月11日 (土)

初冬の公園を楽しむ

 暖かい日差しが注ぎ、とても師走とは思えない小春日和の今日だった。

家族で国営昭和記念公園へ。
予定では娘2人とそれぞれのつれあい、孫1人、犬2匹、それにわが夫婦の2人の計7人と2匹が集うはずだったが、娘の1組と犬が都合がつかず結局5人になってしまった。

さすがに180ha(54万坪)の広さに圧倒される。まだところどころに紅葉が見える。
(写真:渓流レストラン前からみんなのはらっぱを臨む)

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バーベーキューの準備、道具を借り、食材を買い、下拵えをしてから鉄板で焼き始める。徐々に他のグループも増えて賑やかになって来た。今日は150人が予約中とか・・・。

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食べ、飲み、しゃべり、(孫を)あやし、歩いて楽しんだ5時間だった。まあ、孫はほとんどベビーカーの中で眠っていた。生後2.5ヵ月では成長しても覚えてはいまい・・。

2010年12月10日 (金)

胃が痛い!

 ここ数日、胃の痛みが続いている。横になっている時は痛みはそう感じないが、起きている時は痛く、また胃が重く感じる。胃腸薬を飲んでいるが回復は遅いようだ。

食事は昨日からお粥にしてもらった。出かける時は体調がどうなるか心配だが、外では気持ちが張っているせいかあまり痛みは感じない。
とくに空腹時に痛みを感じる。

毎年、夏の初めに胃の内視鏡検査を受けるのだが、今年は暑さのせいか受診していない。

もう少し様子をみよう。

2010年12月 9日 (木)

孫が生まれて知る政治の貧困

 我が娘、大手食品会社に勤めて十数年、遅ればせながら結婚し出産した。今は産休中だが仕事を続けながら子育てしたいと思っている。子供を来春から保育園に預けるべく情報を集めている。

働くこと、それはもちろん経済的な問題もあるが、せっかく培ったキャリアを大事にしたい意向が強いようだ。

でも、公的な子育て支援が十分機能していないと嘆く。また無認可保育所は料金が高いと言う。娘が住む地域の待機児童がどの位なのか、統計的な資料が手元にないので一般論しか言えないが・・・。

少子高齢化は何十年も前から分かっていたはず、担当大臣もおいて手を打っていたのではなかったのか?無策無援で子育て支援なんておこがましいネ!

これも身近に必要性を実際に見聞きしたので言えることだ。そうでなければ別の世界の現象として聞き流していたところだった。

幅広い切実な国民の声をそっちのけにして、党利党略に明け暮れている国会の貧しさを憂いる。

2010年12月 8日 (水)

猫のやきもち

 わが家の老猫のローラは推定17才、2階の私の部屋に同居している。夜行性で深夜、早朝にベッド入って来て起こしにかかる。そのせいで私はいつも寝不足だ。
私が階下に長時間いるとローラは私を迎えに2階から降りてくる。

娘がわが家の付近に用があるとかで孫を連れて夕方に来宅。私が帰宅したとき娘と玄関で鉢合わせ、さっそく孫娘を抱いて車から降ろす。

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生まれて間もなく3ヵ月だ。老夫婦の面倒見が始まる。
抱っこする、オムツを替える、風呂へ入れるなどはわが老夫婦の役目だ。可愛い孫のためなら労を厭わない。

こうなるとローラは下りてきてやヤキモチを焼く。孫の面倒を見ていると自分も可愛がれと身を摺り寄せてくる。その執拗さはハンパではない。

2010年12月 7日 (火)

山の友が逝く

 一緒に山を歩いた友が逝った。

喪中ハガキの季節、今日届いた喪中ハガキは県東部に住むH子さんの息子さんからだった。
H子さんが去る7月に亡くなった知らせだ。64歳だった。彼女とはグループで外秩父の山々を一緒に歩き回った仲間でいろいろお世話になった。
ご主人を病気で亡くし、娘さんが東京・浅草の老舗に嫁がせたこと、公務員の息子さんと二人暮し、独身の息子さんの結婚を楽しみにしていることなど楽しそうに話していた。

山歩きをしてご主人の分まで長生きするんだ、と語っていたのを思い出す。それもかなわずご主人のもとへ旅立った。ご冥福を祈ります。
(写真:2002年5月、奥武蔵・日ノ出山頂上、右側から2人目)

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~合掌~

2010年12月 6日 (月)

新自転車の不具合

 朝食後、買ったばかりの自転車で(12月2日の記事)、打合せや手続きで4軒を訪問したのだが、走行中に前輪のどこかで擦れるような音がする。

さっそく購入した自転車のチェーン店へ持ち込んだ。前輪の泥除けとタイヤが接触しているとのことですぐ直してくれた。

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出荷時にどんな検査をしているか知らないが、ちょっと走行試験をすれば分かることなのに。

自転車は複雑な移動道具だとは思わない。検査は十二分にすべきだろう。

「爽快号」と名づけたこの自転車、これからは爽快に走ってほしいと願っている。

2010年12月 5日 (日)

昼食にこのうどん

101205_2 よく晴れたこの日、カミさんと買物と昼食をすべく自転車で出かけた。頬にあたるちょっと冷たい風が心地よい。

正午過ぎに「武蔵野 腹いっぺえうどん 大島屋」の店に入った。前にこの店に来たとき他の客が食べていたうどん「富士豚こくうどん」850円を注文してみた。カミさんは別の軽い煮込みうどんにした。

写真(携帯で撮影)で見るように、もやしが山のように積み上げてある。別の食器に移してレンゲでスープをすくいうどんにかけて食べるのだが、もやしで腹いっぱいになってしまった。

上のもやしの下にはラーメン丼いっぱいのうどんが詰まっていた。さすがに多すぎ、カミさんに助けを求めた。この歳でこの量はムリ、正真正銘の上げ底でない「腹いっぺえうどん」、夕食も普段の半分程度しか摂れない始末だった。

2010年12月 4日 (土)

ドナルド・キーンの「明治天皇 下巻」を読んで。

 560ページにおよぶドナルド・キーンの「明治天皇 下巻」(新潮社版)を読み終わった。1日少しずつ読み続けて延べ20日ほどかかった。

下巻は「第36章 執政大院君」から「第61章 天皇崩御」に続く「第62章 乃木希典の殉死」までで、この間に大津事件、不平等条約交渉、日清・日露の両戦役、伊藤博文の暗殺、韓国併合、大逆事件など明治期を象徴する大きな出来事が綴られている。明治通史を初めて勉強した思いだ。

各章の感想はここでは述べない。歴史の流れの中で、明治期をどう捉えるかを次の文が示していると思う。
“恐らく天皇の最大の功績は、しかし、かくも長きにわたって君臨したことだった。・・(中略)・・もし明治天皇が、父孝明天皇のように三十五歳の若さで死んでしまっていたとしたらどうだろう。日本が様々な大変革を遂げた時代に、たまたま皇位に就いた若者として、かろうじて記憶に残ることになったのではないだろうか。しかし天皇の治世の長さと、天皇が徐々に築き上げてきた確固して不動の印象は、人々に畏怖を覚えさせるまでに神聖な威光を天皇に与えた。”

明治期を語る場合、有能な臣下がいたからこそ大激動期を乗り切ったといえないだろうか。だからこそ旧憲法の解釈も運用も日本の国力も十分にわきまえた上の政治ができた。

しかし、その後の日本は欽定憲法の下で破滅へ突き進んで行ったのは知ってのとおり。明治期に日本を破滅に導いた原因が、既にこの時期に芽生えていたと考えられないか。歴史の流れの中で明治をどう捉えるかが問われているも思う。

2010年12月 3日 (金)

荒天、お勉強、そして伝統芸能を楽しむ

 昨日からカミさんが娘宅へ出かけて不在。
2匹のネコが夜中に私のふとんに入ってきたこともあり、昨夜はよく寝られなかった。

午前中は、M大学のA教授の「日本仏教の歴史と文化」を聞く予定だ。
今日は講義会場の設営当番で8時前には家を出なければならない。4時起きでネコの餌やりや自分の食事をして、いざ玄関を出ると猛烈な雨、バケツの水をぶちまけたような雨だ。ニュースによればアチコチに被害が出たそうだ。

急遽、電車を車に変更。
90分間、眠気をこらえて講義を聞く。聞いたってすぐ忘れるから結果は同じ、いい加減でいい。

次いで、埼玉芸術劇場へ。江戸神楽の2演目を見る。でも、実際は1つの演目しか観ていなす。1つ目の演目中、グッスリ眠っていたから・・。写真は1つ目の演目「菩比上使」の大国主命(カタログより)

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夕方、やっと解放された時には居眠りのお陰で頭は冴えていた。
嵐の後はきれいな空だった。写真はさいたま市の夕暮れ

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2010年12月 2日 (木)

そうだ!自転車を買ってサイクリングに行こう

 12月号の埼玉県広報誌「彩の国だより」によれば埼玉県は「自転車王国」だそうだ。5つほどその理由を挙げている。
快晴日数が日本一、県土に占める平地の割合は全国2位、見どころいっぱい、大規模自転車道の総延長は約154kmで全国4位、自転車保有率全国1位(県民1.3人に1位、500万台を超える)などなど・・。

要するに「自転車でお出かけ下さい」というわけだ。

そういえば、カミさんが自転車(サイクリング用)を買ってくれると言っていた気がする。
今のママチャリではミットモナイと考えたか、それともこっちの健康を考えてか、その両方か、どっちでも良い。

ただ、寒さに向かうシーズン、タイミングが悪い。

2010年12月 1日 (水)

今日から師走、でもこの暖かさ!

 まさに小春日和というべき、この暖かさ!

地域のグラウンドゴルフの練習に参加、どうやら冬用の厚着は不要だったようだ。4R練習してもせいぜい4000歩弱、運動量としては少ない。そこで帰りは自然イッパイの公園へ寄りポッカポッカ陽気のサイクリングコースを半周した。これで累計で1万歩を超えた。

写真は刈入れの終わった田んぼと木々の紅葉(クリックで拡大します)

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