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2011年1月

2011年1月31日 (月)

昼食会

 地域のサークル仲間8人の昼食会に参加。
女性と男性は各4人ずつ、最高齢は83歳の男性、私など若い方だ。

場所は埼玉県春日部市の「山ノ月」というお店。ホームページには・・
「少人数様でゆっくりとくつろいでお料理を楽しんでいただける、隠れ家のようなお店です」とある。
もちろん、下世話にいう「隠れ家のようなお店」を想像してもムダ、「少人数でゆっくりと料理を楽しめる」店だ。

特に私は他のメンバーとご無沙汰しっ放し!
2時間あまり楽しく食べ、話した。
ただ、お腹の調子が悪くお酒が飲めなかったのが残念だった。
ついでに前任者から、この4月からの1年間、上部団体の役員になる確認を取らされた。
これは順番だから仕方ないネ。

2011年1月30日 (日)

レポートの締めくくりは「六波羅蜜」で

 この数ヵ月間、「日本仏教の歴史と文化」を学んだ。
受講した感想だか個人的な研究だか知らないがレポートを提出せよとのことだ。

そこそこ文章を作ってみたが終章がうまくまとまらない。
そこで「実践すれば人間が迷いの凡夫から悟りの仏へと変化できる六項目」という、いわゆる六波羅蜜について書こうかと思う。

それは①布施、②自戒、③忍辱、④精進、⑤禅定、⑥智慧の六項目だ。
この六項目への思いだけを書いて何も努力しなければそのまま凡夫で終わってしまう。
まあそれでもよいか・・。

2011年1月29日 (土)

久しぶりに歩く

 寒い寒いと、ここ数日、外出は車や電車を利用しなるべく寒気に触れないようにしていた。

運動不足気味なので、カミさんと昼飯を兼ねながら今日は歩くことにした。
川に沿った土の道、静かな住宅街、橋、桜が満開になれば人が溢れる城址公園などを経て歩くこと40分、国道筋のレストランへ。

帰りは別の道を選んだ。公園の池には数十羽のカモがノンビリ泳いでいる。
池の淵には「死んだり弱った鳥には直接手を触れないで××へ連絡して下さい」の看板。鳥インフルエンザの影響がここまで及んでいた。

往復90分の冬のウォーキング、たまに見る蝋梅が春の近いことを知らせている。

2011年1月28日 (金)

孫娘へのひな人形

 初節句を迎える孫娘のためひな人形を買いに行った。

人形の木目込みをしているTさんの案内でさいたま市岩槻区の人形の店「靖月人形」を訪ねた。Tさんはカミさんと同郷で小中学校の同級生だったので、彼女の紹介なら間違いはなかろうということ、それに値切って欲しい気持ちも大きかった。
陳列された人形の説明をおかみさんから受けた。率直に言って人形の価格の差は素人には分からない。
ただ、この店の人形の顔は丸くてふくよかだ。それに目の高さ20cmに持ち上げて、下から顔を眺めれば上品に微笑した顔に変わる。これが気に入った。(携帯で撮影)

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2011年1月27日 (木)

“月2000人の訪日中国人が訪れる寿司店の工夫 月2000人の訪日中国人が訪れる寿司店の工夫 [東京魚心]

 2月3日は旧暦の元日、中国では春節だ。
この時期、中国からの観光客が大勢来日する。この観光客への取込例をインターネットで紹介している。

東京・新宿の[東京魚心]だ。
月2000人の中国人観光客が食事をるという。
滞在時間はわずか20~30分、月商250万円とか。
紹介記事はhttp://vl-fcbiz.jp/article/a001095.html

2011年1月26日 (水)

孫は生後4ヵ月

 たった1人の孫娘は昨年9月27日生まれ、明日で生後4ヵ月になる。離れて住んでいるが娘が母親(カミさん)によく写真を送ってくる。どうやら順調に育っているようだ。
よく笑い、はしゃく姿が愛らしい。

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2011年1月25日 (火)

川越の散策

 昼食で食べた埼玉県川越市にある「うなぎ いちのや」うな重は美味しかった。この店は天保3年(1832)に創業した老舗だそうだ。うなぎの好きな方が川越を訪れた際はぜひ食べてほしい。

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われらパソコンを通じて知り合った仲間11人は真冬のこの日、小江戸川越を散策した。
陽は注ぐが風が冷たい1日だったせいか観光客も少なくユックリと街歩きを楽しんだ。
写真は喜多院と時の鐘

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2011年1月24日 (月)

“定年後は女房対策こそ重要”<A新聞の投書欄から}

 読まれた方も多いと思うが、23日のA新聞の投書欄に載ったのが上のタイトルの記事だ。投書者は68歳の無職の男性だ。身につまされたので書いておきたい。

要約すると、“定年後、何が1番変わるか。答えは女房と四六時中向き合っていることではないだろうか。・・”以下女房対策を挙げている。

第1の対策は・・
“台所、掃除、洗濯、買い物など日常生活はとうていかなわず、「家来」にならざるをえない。どうしても食べたいものがあったら自分で作れ。”

第2の対策は・・
“小遣いは家計費からもらわない方がいい。もらえばますます監視され、従属的になる。現役時代からチビチビためておくことだ。”

第3の対策は・・
“けんかにならないようにすること。その秘訣は会話で「NO」という否定語を少なくすることだ。”

さて、わが身はどうか?
第1と第2はクリアしている。食い物に好き嫌いがないことが幸いした。更に女房作の美味くない料理でも食べ終わったら「美味しかったよ」と言えばよい。ただし、手作りと店屋物をはっきり見極めた上で言うべし。
小遣いは定年後、全部自分の財布から出している。定年後で財布が別でない人に今更言っても間に合わないから、卑屈にならないようにうまく女房と交渉して欲しい。

第3はまるでダメ、すぐ言い合いになる。でも考え方1つでどうともなる。近所ではこの2ヵ月足らずの間に5人の旦那さんや奥さんが亡くなった。彼や彼女たちは、話しかけたくとも相手がいない。生きていてこその言い合いだ。変にストレスをためないためにも、言いたいことは言い合った方が健康によろしい。またつれあいと死別した場合も、残された方にその残像がなつかしい思い出として残る。先に旅立つ者が残す重要な遺産だろうと思う。

2011年1月23日 (日)

小自治会の悲しみ<5人の死亡>

 わが家が属するのは世帯数60余りのこじんまりした自治体だ。更にその下部組織のわが班は世帯数18で、1部の世帯を除いてお互いに40年以上の顔馴染みだ。当然、高齢化も著しい。

この班で昨年暮れから昨日までわずか2ヵ月余りで5人の世帯主か、奥さんが亡くなった。
実に5/18で28%の死亡率だ。昨日(22日)はご主人の介護をしていた奥さんと、わが家の隣家のご主人が、1月8日には更に3軒先のご主人が、昨年の暮れには別々の家庭のご主人と、奥さんが亡くなった。全部が病死で60才代から70才代後半だった。

カミさんによると近所の旦那衆は「次は自分の番かな」と言っているとか・・。
当然、わが夫婦もこの年齢層に入る年齢だ。
死ぬのは必然だから仕方ないが、できるだけ残された者に負担をかけないように身辺整理はしておきたい。

夫婦のどちらが残るにしても、それなりの覚悟をしておく必要がありそうだ。
明日は、隣家のご主人のお通夜、カミさんと参加する予定だ。
亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。 
合掌!

2011年1月22日 (土)

甲州道中を歩く

 JR湘南新宿ラインから京王線に乗り継いで下車したのが調布駅、時刻は9時だった。
9時25分、ここから旧甲州街道の日野宿めざして仲間12人で歩き始めた。
お天気は快晴、無風、湿度が低く歩きやすい。

土曜日のせいか車は少ない。旧道の面影は都市化でスッカリ無くなっている。史跡はヒッソリと道路沿いにこじんまりと身をひそめている感じだ。史跡探訪ウォーキングと言うより、運動不足解消ウォーキングといったところか、それならしっかり歩いて鍛えよう。

道は平坦、道路沿いには広い敷地をもった大きな家が多い。これと比べると埼玉県は見劣りがする。

府中の競馬場を垣間見て大国魂神社に参拝、ここは2度目の訪問だ。
分倍河原駅付近の中華飯店で食事、美味しかったが量が多すぎてライスを半分残した。
(写真は曹洞宗高安寺境内の蝋梅、写真上をクリックすれば拡大します)

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以降、谷保天満宮、青柳などを経由して多摩川を渡り、日野宿へ。
日野宿本陣を見てJR日野駅へ。着時刻は16時ちょうどだった。

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体調は良くなかったがどうにか歩き通した。歩数は朝、家を出てから帰宅まで34921歩だった。

2011年1月21日 (金)

さすがにカラダにガタが来たようだ

 生後4ヵ月の孫娘が母子で来宅しているので、カミさんはそっちの世話で手一杯、私の検診には送り迎えなし。なぜ送迎かというと、胃の内視鏡検査で麻酔を使うので帰りはどうしても足元がふらつくから自分で運転はできない。それと検診結果を男どもは正直に家族に言わないという不信感をもっているようだ。それで医師の診断に立会いたいらしい。
でも、人生もだいぶ生きた。結果がどうあれ、その出された診断で対応を考えるしかないと思えば気が楽だ。
しかたなく電車と徒歩で往復、でも今回はワリと短時間に元の状態に戻ったような気がする。

検診結果は組織の一部分を検査に回した未明部分を除いて大きな障害はなかった。胃炎あるのと胃潰瘍の治癒部分が残っているそうだ。
それでも胃腸に不快感があるので、ピロリ菌の除去と大腸がんの検査をすることにして帰宅した。薬(ピロリ菌除去薬がかさばった)で、はちきれんばかりの袋を提げてフラフラと電車で帰る姿はわれながら情けない。

また1週間後には尻からカメラが入る。この頃は車検ならぬ身検の時期らしい。

昨年から続いている歯科治療も未だ終わらない。今朝のニュースでは歯を80歳まで20本以上残した人と、総入れ歯の人との長生きの差を伝えていた。自慢の歯も、歯の上の銀色のカバーが目立つようになった。

医者通いと薬を多種類飲むナミの年寄りになったか!

2011年1月20日 (木)

寒さに身をすくめてもいられない

 関東はこの冬、本当に雨が降らない。連日晴天が続いている。

晴れは続いているが風は強く冷たい。
午後から時間がとれたので自転車で出かけた。分厚いジャンパー、耳カバー、手袋、マスクで身を固めて走ること30分で自然公園へ。西風が強く、行きは向かい風がモロにぶつかってくる。ギアを2段ほど落として走った。帰りは逆に追いがものすごく楽チンだった。「苦あれば楽あり、その逆も真なり」だった。

1周5kmのサイクリング道路を半周、残りの半周は歩いた。
さすが、この風と寒さ、車も人も少ない。

1.5時間でも身体を動かすと気持ちがいい。
カメラを持参したが、撮影ポイントはいずれも冬枯れ、あきらめて撮らずに帰った。

2011年1月19日 (水)

小事小論

「小学校の教師が児童の親を告訴」・・
実態が分からないからコメントのしようがない。でも教育問題は法廷に似合わないね。学校で問題が起きると担任でなく校長がコメントしているが、この件では出てこない。不思議だ!

「うちのホテルに有名人」つぶやいたら・・・」(守秘すべき情報すぐネット拡散、朝日夕刊)
“ホテルの飲食店でアルバイトしていた女子大生が、来店した有名人の男女をツイッターに書き込んだ。・・・ネットの特性を踏まえた発信者の自覚が求められている。”
“飲食店名や自分の名前は出さなくても、ネット上で特定された。”という。
ネットでは「気をつけよう出していいもの悪いもの」

「無個性な死、何とかならんかと開業」・・(朝日夕刊)
野の花診療所院長の徳永進氏が、このホスピスケアの診療所を開業する前に周りの住民に事前説明したとき“「死んでいく人の叫び声が響きやせんか」という声が聞かれて・・やっぱりな”と思ったとある。そして“「(死は)構えずとも自然に受け入れられます。”と述べている。
「やはりなあ!」と私も思う。生と死を分けているからいけない。生の延長の先に死があるのだから死はごく自然なことだ。いっとき、死を覚悟した経験をもつこの身でもよく分かる。
この点では仏教の「無分別」の教えがピッタリだと思う。

「ニコニコが泣き声になる三週目」・・(ショック!)
間もなく生後4ヵ月になる孫娘が来宅。正月以来3週間目の再会だ。正月はニコニコ顔だった。あれから3週間、顔を見て泣かれ、抱いて泣かれ、風呂へ入れて泣かれ、あやして泣かれ、赤子に泣かれジジイは悲しいネ!
「でも、これは成長してしている証だから喜ぶべきことかもネ・・・」と、カミさんや娘からの慰めの言葉が心に響く。

2011年1月18日 (火)

西は夕焼け東に満月

 ここ連日、寒い日が続いています。そのせいか空気が澄んで景色がきれいです。

朝だけでなく日中も白銀をいただく富士山が見られます。

今日は旧暦12月15日です。西は残照の夕焼け、東には高く昇った満月が見られます。
旧正月は15日後の来月の3日です。中国からは沢山の観光客が来日するのかナ、観光業界はてぐすね引いて待っていますね。(写真上をクリックすれば拡大します)

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                 マ・メールアンジュというケーキ・洋菓子店へカミさんと行ってきました。なかなかしゃれたお店で若いケーキ職人さんがキビキビと働いていました。いつもJJBB (シニア層)ばかり見慣れている身にはえらく新鮮に見えましたよ。

2011年1月17日 (月)

AFCアジアカップ2011

 今、17日の22時40分になるところだ。
この日のブログネタを考えながら、TVで日本対サウジアラビア戦を観ている。日本が3-0でリードしている。数分前に3点目をとったばかりだ。

やはり自分の国がリードしているのは気持ちがいい。結果はまだ分からないけど、このまま勝利に持ち込んでほしい。

札幌のジャンプ競技では日本はまったく元気がなかった。わが国の閉塞感を地で行くような結果だったから、サッカーの活躍は頼もしい限りだ。

昨年11月から始まった歯の治療が依然として続いている。以来、今日が8回目の治療日だったが未だ終わりではないとのこと。
治療前に念入りに、糸楊枝で歯間を磨いて行ったら「今日はブラシをよく使っていますね」と歯科医師に言われた。どうもゴマカシは通用しないようだ。
親にもらった歯、抜いた親知らず1本を除いて31本が健在だ。手入れの良し悪しはすべて自分が負わなければならない。しっかり守っていこう。

2011年1月16日 (日)

寒い日

 今朝は寒かった。起床時の室温は3度、布団から出る気がしない。暖房が効くまでしばらく時間がかかった。

雨戸を開けると、薄く雪が積もっている。この冬の初雪かナ? 間もなく陽が昇ると溶けてしまったけど・・

こんな日は出ないに限る。TVで女子駅伝を観て、本を読んで過ごした。家から1歩も出なかったのは久しぶりだ。前はいつだった覚えていない。たまにはこんな日があってもいいか・・。0101162

2011年1月15日 (土)

「断捨離」その後

 昨年末から始めた「断捨離」活動(自称:シンプル化活動)は一応第1ステージは終了したと思う。身の回りはサッパリした感じになったし気持ちも軽くなったような気がする。

「断捨離」のうち「離」(物への執着から離れる)へは簡単に気持ちの転換はできた。一品購入、1品捨てるで、物は増えないし、必要な物はたいてい揃っているから消耗品など不足分を補充すればよい。でも、売る側すると、皆がこれをやると物が売れなくなるから真似してもらっては困る。

「断捨」は思うように進まない。新聞、ダイレクトメール、写真、様々な資料などこっちの気持ちにお構いなしに入ってくる。処理を先送りするとあっという間に溜まってしまう。特に写真が困る。自分が写っている写真はさすがに処理し難い。仏教の唯識でいう「マナ識」に縛られているからかナ?

撮った人は好意で焼き回ししてくれるのだが、実を言うと写真は欲しくない。

明日からは「断捨離」の第2ステージが始まる。

2011年1月14日 (金)

新たな死生観を!

 1月13日付けの朝日新聞に「土葬を復活して新たな死生観築け」という記事が大きく載っていた。

この地域のシニア学級で「日本仏教の歴史と文化」を全10回(1回90分)学んだ。今日が最終講義だった。
私が求めていたのは「現代に通用する仏の心」だったが残念ながら、この内容は無かったか理解できなかったかで物足りなさが残った。

講師の大学教授からレポートの提出を求められた。上記のようなことを率直に書くつもりだ。

わずか数分の新聞記事の方が宗教の概念を理解しやすい。
葬式は土葬でも火葬でもいいけど生まれて死ぬまでの心の支え、または世界観、死生観についてどう時代ごとに変わってきたか、今に仏の心を感じるにはどうしたらよいかを最終講義で聞きたかったのに・・・残念だ!

2011年1月13日 (木)

牛丼チェーンの価格競争

 自転車で用足しに出かけた。厚手の防寒着をきていても、やはり寒さが身にこたえる。

一区切りついてみれば昼食時だ。ちょうど牛丼チェーンの前を通ったら、値下げの大看板が目についた。

松屋、すき家、吉野家の3社とも並盛りを240円~270円で売っている。いつものことながら期間限定とはいえ、1社が値下げすると他社が追従するパターンだ。企業の体力勝負になっている。

せっかくの機会だから昼食は牛丼にした。寒い時は温かいどんぶり物はいい。値下げは食べる方からすればありがたい。

2011年1月12日 (水)

わが国の不思議なこと!

 各地の児童養護施設に善意の贈り物が届いているとメディアは伝えている。

こうした寄付行為は永続性をもって続けばいいなあ・・と思う。

今のような閉塞感をもった社会には宗教が大きな役割を果たすと思うのだが、残念ながら日本にはそうした風潮はない。
米国などでは休日の教会には、食事のサービスを求めて長が~い列ができている。宗教と慈善がうまく混ざり合って困っている人たちをサポートしているのが実感としてわかる。

日本には6世紀以来、仏教が根を下しているが、こうした難しい時代に積極的な慈善の行為なり、励ましの言葉をかけたとは聞いていない。せいぜい「念仏でも唱えていろ」・・といったところか。
悟りの境地に達し、得を積まれた住職さんたちは、檀家の寄付で新築や改造された庫裏でノウノウと暖をとっているのだろうか?

暮の年越し村など宗教団体や寺が積極的に動いたとの報道はなかった。また雪道で立ち往生した1000台近くの車に乗っていた人たちのために寺の本堂を解放したという話も伝わってこない。

仏教の基本は「縁」なはず、社会が精神的に混乱している時ほど、精神面のフォローも大切だと思う。こんな時ほど宗教の出番だと思うがどうだろうか・・。

2011年1月11日 (火)

なるほど納得!「空」の意味

 般若心経には「空」の文字がいくつか出てくる。
「照見五蘊皆空」、「色不異空」、「空不異色」、「色即是空」、「空即異色」など。

私はこの仏教でいう「空」を「空しい」、すべては去っていき消えてしまって終わりだ、といういわば俗世の「無常感」を表すものだと理解していた。

どうもそうではないらしい。
日本仏教史を習っているが、仏教の基本的な思想は自分にはわかっていなかった。以下の文は目から鱗の解説だった。

「唯識のすすめ・仏教の深層心理学入門」(岡野守也著、NHKライブラリー)のよると
“非常に大まかな言い方をすれば、原始仏教以来の仏教の中にあった、例えば「縁起」「無自性」「無常」「無我」「苦」といった基本的な考え方を、視点を変え、叙述の仕方・角度を変えて総合した、ある意味でいうと深めたのが「空」だといっていい。”

縁起だから空である
縁起とは、ものであれ人であれ、「それだけで起こっているもの、それだけで存在しているもは何もない」ということだ。この「何もない」というところを「空」と表現したわけだ。

以下「無自性」は「それ自身の本性というものはない」から「無自性だから空である」という定型的な言い方になる。
「無常」は「いつまでもあるものはない」から「無常だから空である」という。
「無我」は「それだけ・自分だけで存在しうるものは何もない」から「無常は空である」という。
「苦」は「自分の思うどうりになるようなものは何もない」から「苦が空である」という。

“世界のあり方、人間の本質的な姿、「空」ということがよくわかったら、よく生き、それだけでなくよく死ぬことができるようになる。ご縁のままに、生きる縁があるときは生きればいい、死ぬべき縁のときは死ねばいい、いいも悪いも、実はそうするしかない。そういうことを心の奥底まで体験した、その体験を言葉にすると「空」という表現になった。”

2011年1月10日 (月)

映画「アンストッパブル」

 昨暮の「武士の家計簿」に続いて、映画「アンストップパブル」を鑑賞した。ただし今回はお1人様での鑑賞だ。カミサンはアクションものは観ないからネ。

筋は暴走した貨物列車を止めるだけの話だ。
アクション映画はアメリカが1番だと思っているから文句なしに面白いし迫力も充分だ。ヒーローも2人用意されているし、重要なポジションにはちゃんと女性の俳優も配置している。

米国の鉄道は斜陽だというが、貨物の輸送では大きな役割をもっているはずだ。実際に米国で見る貨物列車は長大だ。

それにしても米国の輸送の設備、機器類、運行」システムは古そうだし、勤務規律も緩んでいる感じだ。まあ、だからこれの原因で列車が暴走したんだろうから・・。わが日本では映画にはならないだろう。

いつもガラガラの映画館がほぼ満員、暴走列車の大音響が場内に響き居眠りをするヒマもなかった。

2011年1月 9日 (日)

お食い初め

   生後100日をもう超えたのか!
孫娘は首も据わりしっかりしてきたようだ。正月2日に会ったばかりなのに、人見知りも始まっらしい。昨夜は私が抱くと泣き出した。

家族(ほとんど娘とカミサンで決めたらしいが・・)で相談して「お食い初め」を行った。
5つのお膳、それに一緒盛の赤飯と筑前煮、それにお頭付きの真鯛1匹が食卓に並んだ。

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孫本人が食べるわけではないので、父親が料理を子供の唇につけるだけ、簡単に儀式は終わった。後は祖父母、両親の食事会になった。

赤子の本人は横に寝かされてグズっている。どうも抱けと訴えているようだ。

ささやかな家族のお祝い! 健やかに育て!
この頃、乳歯が生えると言われるが未だなようだ。

2011年1月 8日 (土)

記念文集の原稿チェック

 地域のシニア学級で「古代文学」と「日本仏教史」を学んだ。

修了記念に文集を発行するそうで、旧年に出しておいた原稿が入力されて戻ってきた。自分の文章のチェック要請だった。

大幅に訂正して提出した。出稿とチェックの間に長い時間をおくと、どうしても手を入れたくなる。作成時は精一杯の努力をしたつもりだが、時間をおくと色あせるのは仕方ない。

これとは別に、「日本仏教史」の講師から2000字以内でレポートを出せという指示があった。
そろそろ準備をする必要があるのだが、どうも気が乗らない。

それはなぜか?
仏教の深層心理を学んでいないからと思う。この宗教はご利益仏教、葬式仏教になってしまっており、信者の心に訴える何かがないのだからと思う。

2011年1月 7日 (金)

「武士の家計簿」に倣う

 孫のお食い初めの式をしたい、と娘夫婦がカミさんに言ったようだ。
それもわが家で・・。

カミさんがネットで調べたら大分高額になると言う。

鯛を人数分用意するのは大変だ。お金もかかるし、第一、鯛なんて美味くない。(貧乏人の負け惜しみかもネ)
それで気がついたのが、絵鯛(または画鯛か?)で良いのはないか?

武士の家計簿が知恵をつけてくれた。

そうしたら、「アンタが作れ」と云われた。マア言いだしっぺだから仕方ないか。

娘も映画を観ている。ジョークで受け取ってくれればいいが・・。

2011年1月 6日 (木)

歩数5万歩を超えた日

 昨夜は夕方に掛川から静岡に移動した。
乗ったタクシーの運転手さん「寒い!寒い!」の連発、やはりこの地は温暖なのだろう。自分の住所地と比べたらたいした寒さではないと思うのだが・・。

ホテルを出て、仲間3人が待っている駅前の別のホテルへ向かう。そこから今日は旧東海道を藤枝宿まで歩く予定だ。曇天、風が冷たい。午後には晴れるとの予報だ。

まずは、駿府城址へ

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ちょうど、出勤、通学時間帯で通勤の人や小学生が大勢通る。復元された城門から家康の銅像まで往復し江川町交差点へ。西へ。ときに8時23分、さあ出発!
静岡の繁華街を右折、左折を繰り返しながら安倍川河畔へ、この川原で斬首されたという油井正雪の墓跡を探したが分からない。安倍川橋を渡る。道を間違えたり買物をしたりしながら丸子宿へ。広重が描く「東海道五十三次丸子宿」の丁子屋前に着いた。今日はお休みだった。

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旧道はやがて国道に吸収されて宇津ノ谷峠へ向かう。静岡の市街地を出て以来殆ど歩行者を見かけない。旧道でときに日向ぼっこをしているお婆さん達に出合っただけだ。道の駅ランを過ぎると宇津ノ谷の集落に入る。狭い道幅、古い家など往年の雰囲気が残っている。羽織屋も健在、民家が尽きた陽だまりで昼食、正午チョット前だ。ここまで4時間かかった。(写真は宇津ノ谷集落と峠からみた集落)

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快適に宇津ノ谷峠を下り国道と分れると岡部の集落だ。平らな道を歩く。旧道とバイパスが交差しながら進む。ただひたすら歩くだけ・・。南天の実が目立ち、軒先の販売用ミカンが黄色く光っている。気候が良いし、また家が大きく生活の豊かさを感じる。バスの本数も多いようだ。
須賀神社の大クスを過ぎると、間もなく藤枝宿東木戸跡だ。ここから藤枝駅まで2km以上の商店街が続く。人通りは依然といない。同行仲間がお茶販売店で茶を買う。私も倣う。

最後の見学は、日蓮宗大慶寺の久遠の松だった。樹齢700年とか・・。写真に全体が入らない。1101062_2

瀬戸川に架かる勝草橋をわたり、信号を3つ程でやっと駅へ向かう入った。旧東海道は西へ伸びていく。

16時07分、JR藤枝着。静岡のホテルを出て8時間40分ほど、歩数で47435歩だった。29km前後と推測される。

静岡で新幹線に乗り、東京駅など3駅を乗り継ぎ自宅着は20時頃、この日は50440歩だった。

過去、5万歩を超えた日はめったにない。記念すべき旅となった。同行のお仲間さん、お疲れ様でした。

続きを読む "歩数5万歩を超えた日" »

2011年1月 5日 (水)

三島駅からの富士山

  只今、仕事で東海道新幹線に乗っています。三島駅に停車中にホームから撮った富士山です。快晴、青空に白銀が映えています。

これから掛川まで行きます。午後は袋井市にある大学院で講師を務める予定です。

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2011年1月 4日 (火)

デジタルフォトフレームを使ってみた

 デジタルフォトフレームを使ってみた。

パソコンに入っているファイルは順調に整理できたが、紙ベースの写真をスキャンし取り込むのに時間がかかった。

画面に撮影日付が表示されれば良いのだが・・。この機種はダメらしい。

2011年1月 3日 (月)

“捨てたのは日常生活の延長にある死”<「江戸の気分」から>

 最初に断っておくが昔に戻りたいという願望の文ではない。

「江戸の気分」(堀井憲一郎著、講談社現代文庫)を読んでの感想を少し・・。(「お気に入りの本」をご参照下さい)
第九章  棺桶は急ぎ家へ運びこまれる
“「死穢「という考え
でも死はどんどんやってくるし、現実問題として、その死を自分たちで処理しなきゃいけない。死から目をそらすわけにはいかない。そういう実務に繰り返し参加していれば、いつか自分も死ぬんだと実感する。いつか死ぬ、それも理不尽に死ぬ可能性がある、と考えながら生きていくばかりである。”

“(往時は)日常が死に取り囲まれている世界での考えである。現代人にはわかりにくい。そもそも、喪中の概念が理解できない。喪中のハガキを出すときに「死の穢れ」を意識して出している人はほとんどいなくなった。
・・ここ20年くらい、死は生活と切り離され、別のエリアで処理されることになった。・・(略)・・守られたのは日常の生活空間で、捨て去ったのは日常の延長にある死。”

「喪中とは 年賀ハガキの 休みどき」

2011年1月 2日 (日)

母親はご立派です

  娘夫婦が孫とわが家に帰省する予定がダメになった。孫が風邪をひいたらしい。それを聞いたカミさんが外出を止めたのだ。

昨夜、カミさんは私を誘った「明日、娘が来れなくなったんで、それなら来てよ、と言うから一緒に行こう」・・と。
内心、俺は孫には会いたいが電車に乗って出かけたくないんだ、・・と思ったのだが、どうもそれが顔に出たらしい。
「あんたも赤ちゃんに会いたいんでしょ!、昼にはお寿司も用意するって言ってるわよ」
仕方なく一緒に出かけた。2回乗り換えても1時間チョットの電車の旅、着いた駅から3~4分も歩けば娘の家だ。

しかし、荷物が重い。聞けば米5kg、大きな液体洗剤のボトルが2本、餅の袋、安かったので買っておいたという大きなオムツのパック、その他雑貨などだそうだ。
娘一家が来たら持たせてやる予定の荷物を電車で運ぶことになったわけだ。キャスター付きのバックで運んだが、手で持って駅の長い階段を下りるのは辛かった。毎朝の腕立て伏せがこんなところで役立った。

母親の気遣いはすごいね、こっちから見れば、子供でも独立して一家を構えたんだから自分たちでやればイイと思うんだけど・・。母親はそうではないらしい。

まあ、その疲れもニコニコ顔の孫娘を見たら吹き飛んだけど・・。
行き来が逆になって、せっかく用意した我が家の飾り付けも寂しそうだ。(写真:自作のダルマも何だか悲しそうだネ)

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2011年1月 1日 (土)

謹賀新年<年頭のご挨拶>

 あけましておめでとうございます。

「こりゃ誰だ、この歌なんだ、大晦日」
新聞に載った昨夜のことを詠んだ川柳だそうです。 まったくこのとおりで番組の途中で寝てしまいました。

さて、目が覚めたら2011年は無事に明けていました。
いつものとおりの時間に起きましたが家人はまだ熟睡中、音をたてないように受信メールをチェック、さっそく年賀メールをいただきました。ありがとうございました。

6時ちょっと前が初日の出、さっそく玄関先に出てみると道路の真正面に大きな太陽が昇る時でした。お日様、今年は無事な1年でありますよう!・・・にネ、お願いします。

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沢山の方から年賀状をいただきました。ありがとうございました。
欠礼した方々にはお詫び申し上げます。
いただいた今年の年賀状、増えたのは年賀メールと氏名の誤記、お互いに年齢を重ねているので多少のミスは許し合いましょうね。

それでは世の中が多少良くなることと、平穏な情勢が続くこと、それぞれの最大幸福を願って年初のブログとさせていただきます。

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