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2011年1月 3日 (月)

“捨てたのは日常生活の延長にある死”<「江戸の気分」から>

 最初に断っておくが昔に戻りたいという願望の文ではない。

「江戸の気分」(堀井憲一郎著、講談社現代文庫)を読んでの感想を少し・・。(「お気に入りの本」をご参照下さい)
第九章  棺桶は急ぎ家へ運びこまれる
“「死穢「という考え
でも死はどんどんやってくるし、現実問題として、その死を自分たちで処理しなきゃいけない。死から目をそらすわけにはいかない。そういう実務に繰り返し参加していれば、いつか自分も死ぬんだと実感する。いつか死ぬ、それも理不尽に死ぬ可能性がある、と考えながら生きていくばかりである。”

“(往時は)日常が死に取り囲まれている世界での考えである。現代人にはわかりにくい。そもそも、喪中の概念が理解できない。喪中のハガキを出すときに「死の穢れ」を意識して出している人はほとんどいなくなった。
・・ここ20年くらい、死は生活と切り離され、別のエリアで処理されることになった。・・(略)・・守られたのは日常の生活空間で、捨て去ったのは日常の延長にある死。”

「喪中とは 年賀ハガキの 休みどき」

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