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2011年3月

2011年3月31日 (木)

身近な年度末あれこれ

 2010年度の末日になった。

東日本大震災など未曾有な出来事もあったが、わが身近にも庶民の暮らしがあり、ささやかな出来事が起きている。

10年度の自治会総会があった。
ご多聞にもれず、わが自治会も老齢化が進む。
10年度は自治会世帯数58世帯中、6人の世帯主またはそのつれ合いが亡くなった。
実に世帯数の1割強だ。60歳後半から70歳後半までが殆どだ。
団地ができて二十数年、長年顔を合わせ親しんだ近隣の人がいなくなるのは寂しい。
次ぎは自分の番か!
死に向き合う覚悟も決めなければネ。

きょうはわが夫婦の結婚記念日だ。四十数年前のこの日に式を挙げた。
けじめとしてカミさんと二人で近所の和風レストランで食事をした。
出がけに、このレストランに勤める人に会い、食事に行くと言ったら2割の割引券をくれた。
最初に熱燗の酒を頼んだのだが、冷めたそれを持って来た。
冷めた酒で乾杯、冷めた夫婦によく似合いそう!
まあ安く上がった分だけガマンしよう。


結婚生活を振り返って、わが夫婦が健康であること、娘2人は結婚して自立していること、孫も元気、平凡ながらこれに勝る幸せはない・・との結論になった。

Oh! Very Happy!

2011年3月30日 (水)

体の重心

 初めて聞く「体の重心」の話だった。

成人男性の重心は床面からおよそ身長の56%の高さ。
小生の身長は166cmだから床から約93cmのところだ。

この重心がどんな意味があるのかが肝心だ。

それは・・
加齢に伴う体位の安定性に影響がある。
重心の移動で小さな力で体を動かせる。

介護する立場では、被介護者の重心を利用することで介護の負担を減らせる。

自分の重心位置を意識して、重心移動で身軽に動ける動作、また逆に重心を下げて体の安定を保つ動作を身につけることも大切だ。・・と感じた半日の勉強会だった。

2011年3月29日 (火)

ささやかな経済貢献

 地域仲間10人と震災後初めて居酒屋へ行った。
今日は計画停電がなかった。

やはり店はガラガラだった。これじゃ正直、商売にはならんだろうネ。

食べ、飲み終わって、さて帰ろうかとしたら・・グラグラと来た。
余震が少なくなったとはいえ、やはり気分がいいわけないし、もし震度が大きくて停電や帰りの電車が止まってしまったら、後悔しても悔やきれないよネ。

家賃、リース料などは売上に関係無くかかる。

計画停電も、もう少しやり方に知恵が出ないものか!
店だけ出なく、物作り、医療などの現場も考えて然るべきだと・・・とも思うけど。

2011年3月28日 (月)

ウォーキング再開

 東日本大震災(3月11日)の翌日から途絶えていたウォーキングを再開した。
この期間、殆どの予定が中止になり、また余震もあり外出が億劫だった。
そのせいか身体も気持ちも重くなった。こんな時は歩くに限る。

快晴の午後、自然公園の1周5kmのコースを8の字に歩いてきた。
今日の歩数は総計12000歩だった。
(写真はクリックで拡大)

更に花が開いた庭のハクレン
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北帰行の準備か、池のカモ
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桜が七分咲き
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2011年3月27日 (日)

老々同室で寝不足が続く

 寝不足の原因はネコのローラだ。 メスで推定20才超だ。

老々の老は小生、もう一つの老はこのローラで、人猫の老々が10.5畳部屋に同居している。
カミさんは別の部屋で1才のメスネコのモモと寝ている。

老猫のローラ、昼間は殆ど寝ていて夜に動き回る。奇声をあげる。餌を食べる。小生のベットへ遠慮なく乗ってくる。これで目が覚めると、再び寝つけないことが多い。

昨夜は特にひどかった。
睡眠3時間くらいだったろうか。

お陰で小生も昼寝をすることになる。

良い天気だったが寒い。花粉症がひどく出かけるのも億劫だ。
こんな日曜日・・。まあ イイとするか。

2011年3月26日 (土)

ハクレンの時季は風が強い

 庭のハクレンが見ごろになってきました。
(写真:2階のベランダから,クリックで拡大します)
この時季は風が吹く、それも強風が!

今日も今日とて朝から強風が吹きまくっています。強風に乗せて花粉を運んできます。目が痛い!鼻水タラタラ! 

そうそう、放射能も運んでいるかもネ、こちらは自覚症状がないけど・・あったら大変だ。

荒れた世相に関係なく花は咲きます。
人間も元気を出して生きましょう。

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2011年3月25日 (金)

地域で感じたこと

  地震で遅れていた検査のため朝から内科医院へ出かけた。
混雑かと思ったがそうでもなかった。相変わらず高齢の患者が多い。
検査室の壁には罅割れがあり、地震の凄まじさを感じた。検査中も余震があり検査時間がこんなに長く感じたのは初めてだ。

いつものガソリンスタンドから会員メールが届いた。きょうから営業するという。ガソリンは不要だが、灯油が不足しているので補充することにした。震災後、10日から2週間で元に戻ると思っていた。事実そのとおりになった。購入客も列を作ることではなかった。

役所、大手スーパーにも寄ってみた。
役所ではいつもより慌ただしさが伝わって来るが、なぜなのかはわからない。
店はどこへ行って売る水は無くなっていた。
一般食品は徐々にではあるが元に戻ってきたような気がする。

2011年3月24日 (木)

いつも身体がユレている

 相変わらず余震が続いている。

身体がいつもユレている感じだ。ちょっとした振動でも地震かなあ・・と思う。
午前中には震度4のユレもあった。

ストレスも溜まっていく。

被災地の皆さんも、これ以上のストレスを感じていることだと思う。
身内に犠牲者がいればなおのことだ。
心のケアについては、どんな支援を受けているのかな・・。

キャンセル続きだったイベントや集まりもどうやら来週あたりから始まりそうだ。

来月使う資料作りをした。グラグラ意識が抜けないから能率は上がらないネ。

2011年3月23日 (水)

ボヤキを聞く

 昼食をとっていると、車の音がしてカミさんの40年来の友人が来た。わが家から徒歩15分くらいの所に住んでいる。この人はいつも予告なく訪れる。

わが家のダイニングキッチンに入り、さっそく友達どうしの会話が始まった。
いつもなら、小生は自室へ逃げ出すのだが、あいにく暖房(灯油)の節約で居場所はここしかない。小生は同席はしたが会話に加わる余地はなかった。

3月11日は、東京・池袋のサンシャインビルで地震に遭い、タクシーを6時間待って帰宅したそうだ。

どこを探してもガソリンが買えない。灯油も買えない。
停電中は寒くてどうしようもない。
食器棚の扉が開いて食器類が落下した。
その他、諸々の不便をボヤくと疾風のように帰って行った。

小生、内心思ったこと・・。
オレなら、6時間も待つなら歩くか、避難所で一夜を過ごすけどな!
ガソリンが無ければ車なんかに乗るな!歩くか自転車に乗れ!ここまでわずか1kmしかないよ。ところが自転車を持っていないという。

問われるのは、日常生活で危機管理をどこまで意識していたのか、と思う。
灯油も、予備の灯油一缶(複数の缶で保存し常に一缶を万杯で残す)があれば慌てない。
食器棚も転倒防止器具をつけておけば食器は転落しない(家と同じ振動をするので扉は開かなかった)
常に歩くか、自転車で動く習慣になっていれば、いざとなれば歩けばよい。最後は自分の足が頼りだ。
不要不急で車は使わない。なるべく満タンにしておく。などなど・・

今回は水道も電気もガスもきている。
水、電気、ガス、いずれか1つがなかったらどうするの。
ボヤいていないで教訓にしてほしいネ。

2011年3月22日 (火)

ネコがパニクル

 私が不在だった3月11日の大地震、わが家の1才になる♀ネコのモモ、揺れている間パニクッテ飛び跳ねていたそうだ。

相変わらず余震が続いている。
初めて気がついた!緊急地震速報がテレビで映し出されるとモモの様子がおかしい!
急に脱兎のごとく走り出すのだ。

テレビに合わせて携帯電話のエリアメールの振動が更に不安をあおるらしい。

その瞬間、抱いてやったら落ち着いた。あの揺れがよほどのショックだったのだろう。
可愛そうに・・。

外出したおり、スーパーに寄ってみた。
大分、食品も出回ってきたようだ。米も売れ切れていなかった。
納豆、牛乳、ヨーグルト、即席ラーメンなどの棚はカラッポ!

いつも灯油を買うガソリンスタンドは閉鎖されたまま、しばらくのガマンだ。

2011年3月21日 (月)

Twitterに見る東日本大震災

韓国人がまとめた大震災の写真がTwitterに載っていた。

「災害に遭わない人に何がわかるんだ!」という気持もわかるが、わからないながらもこの写真は自分だったらどうなっていただろう、という気持ちにを充分持たせるものだ。

11日は茨城県でこの地震に出遭い、避難所で一夜を明かした経験で言えば、まず家族の安否が頭をよぎった。命があれば家財などどうでもよいと思った。

2011年3月20日 (日)

“わが家 楽の釜盥”

 きのうに引き続き「江戸の人生論」(笹沢左保著)より・・。

タイトルの意味は
“盥がないので、その代用として釜を使う。たとえ、そんなふうに貧しい生活をしていたとしても、わが家がどこよりも気楽で最高だー。”・・ということ。

さて、東日本大震災の影響で、3月12日から今週末までの予定がすべてキャンセルや参加をお断りをさせていただいた。
でも、余震で頻繁に揺れる家の中で、カミさんの同じ顔とテレビを四六時中見ているのも気楽ではない。たとえ、釜で顔を洗っても外へ出たいところだ。
おそらく、カミさんも同じ思いだろう。

そうかといって、外出すれば花粉症でくしゃみと鼻水の二重苦が待っている。それを考えると外出も億劫になる。

早く、余震だけでも落ち着いてほしいネ。

2011年3月19日 (土)

“頭おさえりゃ尻ゃ上がる”

 菅総理から自民党谷垣総裁への入閣要請を谷垣総裁が拒否したという。

本記事のタイトルは笹沢左保氏の「江戸の人生論」(ことわざ漫歩)によった。
裏長屋の放屁をめぐっての小咄で説明している。

タイトルに続くは“あわてて尻をおさえりゃ今度は頭が上がる”となる。

民主党内部、各政党間、屁みたいなことで対立している。

何事も対立関係にあると、収拾することは難しい。困るのは国民だ。

2011年3月18日 (金)

再再・停電なし

 9時20分から13時まで計画停電の予定だった。
毎度のことながらそれ相応の覚悟で臨んだ・・が停電はなかった。
まだこの地域は引き続き停電バージンだ。

どうしてか?
近くに大手私鉄の車両基地がある。どうもそこに東電からの私鉄への受電設備があるのではないか・・と憶測した。
この地域を停電にすれば、それでなくても間引き運転をしている電車を止めてしまうことになる。
これをつぶやいたら肯定の返事があった。

この推測が正しいなら、いつもお世話になっている私鉄に更にお世話になったことになる。
わが家の電力使用はささやかなものと思うけどできるだけ節電しよう。
これが停電をガマンしている他の地域への感謝になれば・・ネ。

2011年3月17日 (木)

再・きょうも停電なし

 2Gだから12時20分頃から15時頃まで停電になる予定だった。
しかし、電気は止まらなかった。都下に住む娘宅はもう2回もローソク(電池切れ)暮しだという。個人的にはうれしいが確かに不公平感を感じる。

朝刊にスーパーのチラシが入った。所用のついでに寄ってみたが開店後1時間弱で閉店でだった。それでも買えなかった人たちは静かに引き上げていく。

狭いダイニングに家の機能を集めて節電や情報収集に努め、危機対応に備えている。
暖房は設定温度を大幅に下げた石油ファンヒーター(停電時は石油ストーブ)1台に限定、テレビ、懐中電灯、携帯ラジオ、食料、ノートパソコンなどなど・・足の踏み場もない。

情報収集はインターネットのTwitterが役に立つ。
Twitter情報の方がNHKテレビより早い。ただし、ガセネタ情報もありそうなので選別が必要だ。公共機関の公式Twitterは役に立つ。

近所でも高齢者の一人暮らしが増えている。
聞けば、連絡手段は電話(固定・携帯)だけだという。これからは高齢者もインターネットのホームページの閲覧やメールの送受信くらいはできないといけない・・と思う。

2011年3月16日 (水)

きょうも停電なし

 予定されていた15時20分からの計画停電は今日もなかった。

停電がないのはうれしいが止まるか止まらないかを、「知っていた」と「知らなかった」は生活に大きく響く。商売をやっている人たちにとっては尚更だネ。

おむつなどを送った娘から荷物の到着を知らせてきた。
近隣の店の棚はカラッポだという。

日本中のおむつが無くなったワケでもなし、買いだめをしても使用量が増えるワケでもないんだから、使う分だけ買えばいいんだ・・と思うよ。
それとも被災地の赤ちゃんに送ってあげるのかナ?

暖房の温度を下げて灯油を節約しながら、きょうは福島原発の安全を祈っているヨ!

2011年3月15日 (火)

今週の予定はすべてキャンセル

 19日(土)までの予定はすべてキャンセルになった。
こちらから自主的にキャンセルしたのは1件だけ。残りはキャンセルの通知をいただいた。

巨大地震に対しても何ら力になれないのは残念だ。

2人の娘に頼まれた物を宅配便に託して送った。こんな時の物流業者は頼もしい。

街中を歩いているか自転車に乗っているお年寄りが目立つ。
こんな時は、自宅で巣ごもりしていればいいのにネ。

若い人の邪魔になるだけだなんだから!

2011年3月14日 (月)

計画停電に備えたこと、思ったこと

 目が覚めたのが6時、当地は第2グループなので計画停電は9時20分から始まる予定だったので、それまでの時間を準備にあてた。結果は停電なしだったが・・。

停電なら、一般家電のほかに固定電話(CATV会社契約)、FAX、給湯器、デスクトップパソコンなどが使えない。

そのため固定電話は携帯電話に、テレビはラジオに、FAXはアキラメ(あまり使わないので)、給湯器は通電中に湯を沸かしてポットに入れておく)、パソコンはノートパソコン(バッテリーで)などの対応策をとった。

テレビ、ラジオ、ノートパソコンを一室に集め、他の部屋の家電製品のコンセントを抜いた。
これらに加えて暖房器具、懐中電灯、水、食料、非難用品も手も届く範囲に置いた。

まず、これらで乗り切ってみようと覚悟していたのだが・・。停電しなくてよかった。

計画停電ということで交通が混乱した。
お勤めの皆さん、お疲れさまでした。
政府、電力会社、交通事業者で話し合って14日の始発前に、運行状況がどうなるかPRすべきだったと思うのだが・・。
拙速きわまりない計画停電だったと思う。

2011年3月13日 (日)

慣れが怖い

 巨大地震の余震が続いています。

つくばの避難所では、直接床に寝たので余震があると全身で受け止めました。
大きい揺れはゴ~という響きがあり、弱い揺れもすぐわかりました。

そんな影響のせいか、昨夜はちょっとした揺れでも目が覚めてしまい、今日は寝不足で頭が重いですね。
でも、揺れに慣れてくると、次第に弱い揺れでは身体を動かさなくなってきています。
ほんの数秒の遅れが大きな結果を招かないようにしなければ・・・。

そんな思いで、最低量の身の回り用品を揃えて避難に備えました。
常時用意してあるの飲料水(ポリタンク20L)の交換、風呂へ水を入れる。水を空いている容器に詰める。夫婦2人分の寝袋とマット、食料、常備薬、着替え、貴重品、懐中電灯、ラジオなどなど、考えれば切がないですね。ザックがイッパイになったところで思い切って打ち止め。両手を空けておきたいから荷物は最低限にします。
こんなモノが使わなくてすむように願っています。

何とか自分の身は自分で守り、他の困っている人の力になれたらと思っています。

2011年3月12日 (土)

大地震の帰宅難民として思ったこと

 何とか帰宅経路を探って、日中にグループ11名全員が帰宅することができた。

被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。
また、昨夜来、避難所になったつくば市立東小学校の先生方、ボタンティアの方々にはお世話になり厚く御礼申し上げます。お疲れのところご迷惑をおかけしました。
写真は今朝の避難所(教室)のようす。食事が終わりテレビで地震情報をみている。(写真上のクリックで拡大)

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今回の帰宅難民としての思いを書いておきたい。
まず、安否の確認について
携帯電話の通話は当初はまず通じない。ただしメールは可能だった。
安否確認したい先の携帯電話メールアドレスを自分のそれに登録しておく。
携帯電話の電池切れが見受けられた。充電器は常に持参した方がよい。(避難所には電気が通じておりコンセント利用も可能だった)
災害連絡番号「171×」の使い方メモを身に付けておきたい。

交通関係の情報について
鉄道会社間の連絡がスムースでなく(JRの車内放送と乗り継ぎ先の私鉄の運行状況とが異なっていた)様々な情報が錯綜していた。
予測できる情報源(利用している駅の電話番号など)を携帯電話に登録しておく。
NHKの地域情報は意外に粗い。詳細情報は地域のテレビ局(UHF-TV)の方が細かい。家に連絡がついたらその詳細情報を携帯電話に連絡してもらう。
それぞれの情報を自分なりに分析して判断したい。
最後は自分の足が頼り、常に鍛えておこう!

備品について
雨合羽、タオル、敷ビニール、携帯ラジオ、懐中電灯、最小限の常備薬など、いざという時は一物が何役(雨合羽は掛布団に)にもなる。心がけておきたい。
それに食料・飲料、常に余裕をもって動きたい。

2011年3月11日 (金)

筑波古道から梅林へ、そして巨大地震に・・

 快晴のこの日、地域の仲間と筑波山へ。
この山へはいつも車で行ってしまうが、この日は麓から歩いた。
筑波山神社から七分咲きの梅林へ。花とガマの油売りのショーを鑑賞した。

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梅林を堪能して、下山のためにバス停へ向かう。
突然、足元が揺らぐ!電柱がグラグラ、電線が激しく震える。巨大地震の発生だ。時に14時46分。近くの駐車場には石垣の崩れが発生していた。

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2011年3月10日 (木)

ネットスパーが身近に

 朝刊に大手スーパーマーケットのネットスーパーの折込みチラシが入った。

わが家はこのスーパーから3.5km離れているのと、歩いて数分の場所に別の大手スーパーと中堅スーパーが数軒あるので、このネットチラシのスーパーへはほとんど行かない。

カミさんも買い物が好きだし、歩くのも何ら支障がないからネットで食料品等を買うことはない。利用しない傍観者的な立場で考えると・・。

果たして、以下のやり方でネット買上客数、客単価はどこいらでペイするのか興味のあるところだ。
このネットスーパーは注文がれば既存店舗から配送される。
受注から配送まで4時間だ。(例:8時締めで正午から15時まで配送)、この時間帯で商品を陳列棚からピッキングするわけだ。売場からピッキングするコストがかかる。ピッキング作業は売場のアチコチへ飛び歩かなければならない。作業時間は客数の増加に比例して増える。

配送は買上金額3500円までが315円、3500円超~5000円未満は100円、5000円以上は無料とのこと。こちらは客数が増えれば配送コストは下がる。それも商圏が狭いほど効率が良いはずだ。客からみて買上金額を3501円以上にして配送費の比率を下げるだろう。

客層はどの層に的を絞っているのだろうか?
共働き世帯か、単身者か、高齢世帯か、これらの層と発注時刻、配送時刻がうまくタイミングがあっているか、ネットスーパーを利用したい高齢者がインターネットを使いこなせるか・・など課題は多い。

興味をもって経過を見ていきたい。

2011年3月 9日 (水)

古代ローマ人のテーブルマナー

 “古代ローマ人の24時間”(「お気に入りの本」で紹介)を読み終わった。

古代ローマ人の生活を24時間の時間軸で追ったものだ。
そのうちの宴における“古代ローマ人のテーブルマナー”を紹介しよう。

・手を汚しながら手づかみで物を食べる。
・食べ物のかすはすべて床に投げ捨てる。
・げっぷは、大変歓迎されていただけでなく、高貴で文明 的な行為とみなされていた。
・放屁も許されていた。
・晩餐の途中で会食者の一人が指を鳴らすと、使用人が ガラスの尿瓶を持ってくる。トガ(当時の服装)をたくし上 げられた会食者は、余分な水分を放出してスッキリ。
・晩餐で残った料理をナプキンに包んで持ち帰ることがで きた。奴隷に食べさせるためというのが建前だったが、 本音は持ち帰った料理は翌日に食べるためだった。  (これは現代まで続いている)

本書の舞台はトライヤヌス帝(在位紀元98年ー117年)治世下の紀元115年のローマだ。いわゆる賢帝の世紀(当時は黄金の世紀)といわれたトライヤヌス(初の属州出身の皇帝)、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスの三皇帝にわたる古代ローマ帝国の全盛期にあたり帝国の版図は最大になった。
これらの皇帝については、塩野七生「ローマ人の物語・賢帝の世紀」に詳しく書かれている。

2011年3月 8日 (火)

美しい歩き方とウォーキング

 地域の勉強会でNPO法人 ウォーキング研究所の講師から「美しい歩き方と健康ウォーキング」を学んできた。もちろん座学でなく実技によるものだ。

室内で行えるウォーキング(歩くかぎりどこでも応用は可能)で時間は2時間、実にメリハリがきいた実技の講義だった。

内容は「美しい歩き方と健康ウォーキング」10ヶ条にあるが、無断転載・転載禁ずとあるので載せない。テキストは「美しい歩き方と健康ウォーキング」という本らしい。詳細はホームページで確認して下さい。

2011年3月 7日 (月)

亡父は生誕100年

 亡き両親はともに3月生まれだった。
とりわけ亡父は今年で生誕100年になる。
まじめでごく普通の人間で家族思いだった。
私が進学で上京するとき、いつまでも列車を見送っていた姿が目に浮かぶ。

日本における100歳以上の長寿者は4万人を超えるというが、残念ながら、わが父はそれに四半世紀も足りなかった(1985年死亡)。
私も後数年で父の死亡時の年齢に達する。

歳月の流れは速い。まさに「青年老いやすく・・」を年とともに実感する毎日だ。

午前中に雨は雪に変わった。三寒四温の繰り返しで春が迫る。

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2011年3月 6日 (日)

1周をたすきがけでwalk

 たまに歩く遊歩道(兼サイクリングロード)は1周がちょうど5kmある。
コースの形は蛇行はしているが、ほぼ楕円形で円の内側は田んぼだ。

自宅からコースまで自転車で往復40分、暖かい空気のなかを歩きに出かけた。

三々五々、ウォーキング、ジョギング、サイクリングを楽しんでいる人たちが多い。
グランドでは少年野球、公園では子どもたちの声が響く。
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写真(上)はコース横にある剪定が終わった銀杏園
1万歩が目標だが、5kmでは7,200歩しかならない。それで半周ごとにたすきがけ、1部は遠回り、ゴール付近で更に1km余分に歩き、やっと1万歩強を達成した。

心配なのは花粉症、やはり帰宅すると目がチカチカ!、鼻水がタラタラ!

健康維持も「継続が力なり」を痛感した日だった。

2011年3月 5日 (土)

“水と緑のふれあいロード”を走る

 快晴、しかし風が冷たいこの日、埼玉県が整備しているサイクリングロードを走ってみた。
さいたま市岩槻区から春日部市内牧へ行き、サイクリングロード(「水と緑のふれあいロード」)のスタートラインに立った。

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ここから白岡町運動公園まで自転車のペダルを踏んだ。
見沼代用水や騎西領用水の用水路を改修した際の余剰地等を活用したロードなので、用水路に沿って快適なサイクリングが続いている。
それに「農耕作業車は通行禁止」がいい。これがノロノロと通ると道幅イッパイで追い越しができないから・・。

今日は北西の風が吹き、往路はやや強い向かい風だった。マア、いい運動にはなったようだ。それもギアチェンジで何とか乗り切った。
花も少ないけどゼロじゃない。梅が咲いていた。

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このロードは「緑のヘルシーロード」と合流して利根川にある利根大堰まで続いている。
次回はもっと先まで走ってみよう。
走行距離は一般道も含めて20km(約時間)と思われる。

2011年3月 4日 (金)

古代ローマ人の体型

 紀元1~2世紀頃の古代ローマ人の体型ついてに記事を見かけた。(「古代ローマ人の24時間」(アルベルト・アンジェラ著、関口英子訳、河出書房新社版)

同書によると、男性の平均身長は165cm、女性は155cm、平均体重は男性65kg、女性49kgだった。
私のそれらは166cm、65kgだから、ほぼ私と同じ位の背丈、体重の人たちがローマを闊歩していたわけだ。明治の元勲(伊藤博文や山県有朋など)の身長が150cmくらいだったから、2000年前の人間がそれ以上だったとはすごいものだ。

身長、体重は同程度としても平均寿命はまったく異なる。
古代ローマ人の平均寿命は男性41歳、女性29歳だったそうだ。

これらをどう見るかは、医療、食事、衛生など当時と現代では社会状態がまったく違うので比較する意味がないかもしれない。
しかし、2000年も前に同じ体型の人たちが日々の生活をしていたことは事実だ。

読後の感想はベット書きたいと思う。

2011年3月 3日 (木)

「親孝行したくないのに親がいる」

 今日の勉強会は前回に続いてK大学教授の宣 賢奎先生を講師に迎えて始まった。題して「豊かな老後を過ごすためには」

いくつから老後というのか知らない。確実なことは自分の老後も半ばになっていることだ。
したがって、このご講義でお聞きした老後対策の大部分は私には時間的に間に合わない。老後資金の手当て、住居、生活習慣の改善などは現役時代にしっかりと計画、実践をしておかなければダメだから・・。同じ中高年でも現役末期の世代へ話すべきだと思う。

韓国人の宣先生、ちょくちょく韓国の例を引く。一部分を紹介すると・・
韓国も価値観の乱立期だそうだ。いわゆる「個人主義的価値観」と「伝統的な血統中心主義(家族主義的価値観)」が対立していることをいう。
ご存知、韓国は儒教の国、「孝」思想の希薄化が目立つ。
「親孝行したくないのに親がいる」、「親3年病して孝子なし」、それに勧孝歌(1番「子どもの大小便は手で触るが、親の唾は汚いと遠ざける」)などが世相を示している。・・云々

さて、わが身も「一つ覚えて、三つ忘れる中高年」、「オシッコも近いし、あの世も近い中高年」だ。でも、しっかり生きているよ。とりあえず非依存(pay up)でいこう。

2011年3月 2日 (水)

高齢ネコの生命力

 わが家の高齢ネコのローラ(推定21才)が2月28日にダウン、命ここに尽きるかと思ったが・・

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ローラの寝床は私の部屋にある。

昨深夜、部屋の外にある水飲み場で水を飲んでいた。
そして今朝、私のベッドに飛び乗ってきた。

夕方、動物病院で点滴、注射などの処置を受ける際は、大声で抵抗!
どうやら元気を取り戻したようだ。

まだまだ付き合いが続きそうだ。

2011年3月 1日 (火)

「“お墓に異変!寺離れをとめろ”NHKクローズアップ現代」

 私の寺への日頃の思いをNHKテレビ19時30分からの「クローズアップ現代」は率直に表してくれた。

縁=つながり」は仏教の根本であるはずだ。
「無縁社会」「孤族」といわれる時代に生きる人たちを救うのは仏教の役割でなかったか!

全国にある76000寺からお墓が逃げ出していくそうだ。
仏教は必要だと思う割合は65%、同お寺支持は25%、同僧侶支持は10%とのこと。
いかにお寺と僧侶が旧態依然かを示している。仏教への期待感のなれの果てだ。

この難しい時節、「仏教は今が出番だ」と活躍をするお坊さんを紹介していた。
まだまだ、仏教家も捨てたものではない。

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