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2011年5月

2011年5月31日 (火)

初めて聞いた言葉「エリートパニック」

  福島第一原発の事故で公の情報が二転三転している。

今朝の新聞に「エリートパニック」なる言葉が載っていた。
お恥ずかしい話だが、自分にとって初めて聞く言葉だ。
インターネットでも既に多数の説明サイトが出ているので説明はそちらに譲る。

きょうの国会中継を見ていても、政府や東電のトップ(エリート)は、こんな情報を流せば国民がパニックに陥るという恐怖にはまって、エリート自らがパニックに陥った結果に思えなくもない。

現に、米国スリーマイル島の原発事故の際もエリートパニックによって同様なことが起きたたらしい。

国会などでは「国民の皆様」などと持ち上げているが、今回のような重大事故が起こると賢明な国民は「衆愚」に一変するらしい。衆愚には知らしむべからずだ。

まあ、お隣の大国も政権維持のためにはどんな小さな民主化の動きも神経質に抑え込んでいる。
ましてやわが政府・東電にとって今回の未曾有の大震災、加えて未経験の原発事故だ、肝っ玉の据わらない政治家がオタオタしない方がムリかもネ。

2011年5月30日 (月)

今頃、子育ての大変さを実感

  娘夫婦は共働きで子育て中だ。
子供(孫)は生後8ヵ月で保育園の送迎も夫婦が協力して行っている。

昨夜、娘からSOSが届いた。孫の面倒を昼間みてほしいとの頼みだ。
高熱をだした孫の熱が引かない、夫婦とも仕事を休めないのが理由だ。

ガンバリ屋夫婦からの依頼,、切羽詰った状態で放って置けない状態だ。
それで急遽、カミさんに引かれて早朝からの支援出動となった。

まず、小児科へ。今、流行りの風邪で4~5日で高熱が出て喉に炎症が出るそうだ。どうりで機嫌が悪い。

その後が大変で、なが~い時間だった。
横にしても寝ない。抱くか、おんぶでなければダメだ。
写真はジジイに抱かれて眠ってしまった孫娘

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これを老夫婦で交代で行う。
他にカミさんは授乳、オムツの取替えなどがある。
妹の子守以来、60年ぶりで赤子を背負った。これが一番楽だったから・・。
腰痛の悪化が心配だったが、当座の苦労を少なくする方を選ぶ。

二世帯では当たり前かもしれないが、老夫婦にとっては疲れた1日だった。
夕方また熱が上がり、カミさんはそのまま残留した。

少子高齢化といいながら、日本の子育て支援は完全ではない。
親が元気なら何とかなるが、そうでない家庭も多いはずだ。
安心して子育てのできる国ではないね。

帰宅したとたん、夕食もそこそこ、すぐ寝てしまった。

2011年5月29日 (日)

四字熟語で見る政局、「衆怒難犯」を忘れるな!

最近読んだ「四字熟語新辞典」から政局をみてみると・・・

与党の代表(首相)がサミットに出席中に、100人以上の与党議員が誕生会を開いたという。自民党が提出する内閣不信任決議案に賛成する仲間をつくる話題だったという。

この国難のときに、参加した議員は“掩目捕雀”(まさに目をおおって雀を捕うようなもの、現実から逃げること)といえる。岩手県、福島県出身の大物政治家(政治家とは言いたくないが)が中心なら、被災地で作業服を着てガレキの片付けを後で、避難所の片隅でやったらどうか!

それに小沢一郎さん、ご自分の汚染疑惑が未だ除染されていないでしょう。いくら力を誇示しても、まさに“局地蹐地”の身でしょう。

“衆怒難犯”を忘れるな!

2011年5月28日 (土)

久しぶりの「緊急地震速報」など

 22時54分、いっせいにテレビ、携帯で「緊急地震速報」が報じられた。

震源地は千葉東方沖だという。幸い揺れは来なくてよかった。

小さな有感地震は慣れっこになっているが、久しぶりの緊急地震速報で緊張した。

市役所から医療費明細が送られてきた。

胃の内視鏡検査、大腸がん検診、ピロリ菌除去で112,000円(薬代含む)が国保から医療機関に支払われている。もちろん自己負担はごくわずかだ。

なるほど国保が赤字になるわけだ・・・と妙なナットクをした。

若い頃は、自分がトシを取っても病気などとは無縁だと思っていたが、いざその年齢になると無縁どころか、有縁も有縁、それもアチコチ同時に多発する。

大地は揺れ、身体は痛み、まさに内憂外患だね。

2011年5月27日 (金)

お互いにトシですなあ、ご同輩!

  地域の某シニア団体の理事会に出席しました。

会員が81名で数年ごとに任期1年の役員が回ってきます。
きょうは23年度最初の理事会でした。私も末席を汚しています。

新年度最初の会議でもあり執行部が会議の運営に不慣れだったせいでしょう。

議題説明もぎこちなく、質問も答えも的を得ず、ゴチャゴチャと進む。
結局、今、何を議論しているんだかワカラン状態になってしまう!

自分もこんな理事会の片棒を担いだ2時間でした。

「どうでもイイことにこだわったワイ、お騒がせしました。お互いにおトシですなあ、ご同輩!反省しています」

2011年5月26日 (木)

さくらんぼの季節

  2011年も「サクランボ」の季節になりました。

産地、山形の会社からカタログを送ってきました。
微力ながら応援している産直の通販会社です。

サクランボだけでなく山菜やお米など豊かな自然で育った産物が盛り沢山、詳しくはこちらのサイトをご覧下さい。

2011年5月25日 (水)

旅で感じたこと

 昨夕、旅から帰って首都圏の駅で電車を降りた。

たった3日間の留守だったが、あまりに首都圏の人の多さにビックリ!

22日は日曜日、岐阜県美濃加茂市、岐阜市の市内を歩いたが、雨のせいもあり歩いている人は少なかった。美濃加茂市の旧道などはまったく深閑として物音一つしない。

薄日が差した夕方、岐阜市の加納地区などは人影は皆無、ネコの方が多かったくらいだ。
泊まった岐阜駅前のホテルも空室が多いようだった。
写真は岐阜市の加納城大手門跡の交差点、歩行者は見当たらない。

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23日は大垣市の駅前こそ下校時間で生徒らを多く見かけたが、駅から続く中心街は人影なし。シャッターを下ろした商店も目についた。

新幹線内も上記の市内も観光客を見かけなかった。
やはり東日本大震災の影響が大きかったと実感した。

3月11日の東日本大震災で、あれだけの帰宅難民が出たけど、これが首都圏の直下型地震だったら日本がマヒしてしまうと思う。

首都圏と地方とはバランスの取れた発展が望ましい。
機能分散を真剣に考えるべきだ。

2011年5月24日 (火)

旧中山道を行く(近江路に入る)

  美濃と近江の国境は今須宿を出て車返坂の先にある。

旅の最終日のきょうは垂井宿から関ヶ原古戦場、今須宿を経て近江の柏原宿まで約16kmを歩いた。朝は豪雨、出発時は曇り、歩行時は初夏の晴れ日になった。

垂井の一里塚では、地元のオジさんがパンフレットを配って説明してくれた。誰も歩いていない、車もタマにしか通らない道、どこでわれわれを見ていたのだろう。

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関ヶ原でまず徳川家康が最初の陣を敷いた桃配山に寄った。(写真)
家康が腰をかけたという岩でしばし休憩、411年前に想いを馳せる。

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関ヶ原歴史民俗資料館で説明をパノラマを見ながら聞いた。
鬨の声を耳にしたような気がしたが、外へでたら初夏の陽気が爽やかだった。とても天下分け目の合戦があったとは思えないノンキな風景だった。

関ヶ原宿から今須宿を抜けると、わずか1尺5寸(約45.4cm)の川が境を示す美濃・近江の国境だ。Img_04911_2 整備された街道を歩くと間もなく柏原宿だ。ここは艾で有名、店内に大きな福助が座る伊吹堂亀屋で仲間がお灸を買ってから柏原駅へ向かう。米原経由で東京へ、車内でビール飲んでいれば歩かなくても新幹線が運んでくれる。

こうして2泊3日の旅は終わった。

2011年5月23日 (月)

美濃・中山道を行く(岐阜から垂井宿へ)

 昨夜は岐阜市の長良川河畔の文化屋岐阜店で夕食、食後は付近を散歩、ライトアップされた岐阜城が山頂に、長良川の川面には街の灯が映えて幻想的な夜景だった。 

宿泊は岐阜駅前のビジネスホテル。清潔で寝心地の良いホテルで、サービスで提供された今朝の朝食も美味しかった。

曇天下を出発、きょうは今回の最長距離、約25kmを歩く。予報では昼頃から雨になるとか。まったくの平坦路の濃尾平野を行く。高いところは長良川、揖斐川の堤防と橋くらいだろう。

それにしても沿線では殆ど歩いている人を見かけない。

長良川の清流を渡り河渡宿、美江寺宿へ。美江神社付近で雨になった。
  写真:美江神社Img_04871

美江寺宿~赤坂宿間はジグザグ道で、前回も雨で道に迷ったところだ。
  写真上:小簾紅園(和宮記念公園)。写真下:赤坂宿赤坂港跡023

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赤坂宿から更に5kmを歩いて、岐阜駅前から8時間後の15時30分にJR垂井駅に着いた。
仲間の方々、雨の中をお疲れ様でした。ちょっと速く歩きすぎようです。ご勘弁を・・。

垂井宿の江戸期から残る旅籠屋に宿泊できなかったので、これから大垣へ出て泊まることになる。

2011年5月22日 (日)

12年ぶりの美濃・中山道

 1999年8月24日(火)、美濃・中山道の御嵩宿から太田宿を経て鵜沼宿まで歩いた。ほぼ12年ぶりに、この日(22日)は太田宿から加納宿までを歩くことにした。

この日の歩く仲間は総勢9名。前回は単独だったから随分賑やか道中だ。

ただし、雨足も賑やか!
名鉄の日本ライン今渡駅に着いた頃は土砂降りだった。出足から完全な雨装備だ。

それでも雨にも負けず中山道の三大難所(太田の渡し、木曽の桟、碓氷峠)の一つを渡ることができた。前回にはなかった歩道橋ができていて難所は解消されていた。

それだけ歩く旅人が増えているのだろう。
写真:太田宿側から見た「太田の渡跡」と太田橋、船着場へ続く石畳が残っていた。

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写真:太田宿の臨済宗妙心寺派祐泉寺にある芭蕉句碑
    「春なれや名もなき山の朝がすみ」

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写真:坂祝で木曽川と分かれうとう峠へ。

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2011年5月21日 (土)

真夏日もどきの暑さ

  これからの季節、歩くのは涼しい朝のうちが快適です。
紫外線もそう気にしないですみます。

玄奘塔の脇に咲いている花、道端の花など陽に映えてきれいでした。
明日から2泊3日の予定で美濃路を歩いて来ます。

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2011年5月20日 (金)

地域の歴史

 嫁いだ娘たちが残していったモノの中に新聞の切り抜きがあった。

この地域にある埼玉県内最古の石造り橋の「やじま橋」についてだ。
捨てるものを選別していたら出てきた。

新聞の発行年月日が切られているので不明だが、記事の内容から1980(昭和55)年前後と考えられる。たぶん小学校の高学年で教材で使ったものだろう。

「やじま橋」があったところは日光道中の粕壁宿と岩槻城下を結ぶ脇往還にあったが、今は近くの公園に移設され往年の姿をとどめている。

紙面では当地に越してきた頃の原風景が見られて興味深い。

そういえば春の田んぼには花が咲き、水辺では芹がとれた。のどかな田園風景にピッタリの橋だった。時は流れ住宅地は広がり、また広大な田んぼは遊水地に変った。

しばし、頭の中に40余年前の風景がよみがえった。
も、田植えが終わった田んぼから蛙の合唱が聞こえる。

当時の新聞記事(写真上)と現在の矢やじま橋110518_3

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2011年5月19日 (木)

“原子力村用語辞典”から思うこと

 朝日新聞の「素粒子」に「原子力村用語辞典」が載っていました。

全部で11項目、例えば・・
安全=危険が発覚しないこと。
科学的合理性=学者が理解できる範囲
・・・・・・
定検=隠れてする修理や交換
保安院=広報担当の協力会社
放射線=健康を増進するもの
立地=土地に金を注ぐこと

ところで原子力村の実態は・・
「徹底解剖!原発産業のカネ・利権・人脈」(週刊ダイヤモンド5/20)によると
まさに、政・官・財・学・労組などに網の目のように張りめぐらされた、まさに100年間食わせるネットワークなんですね。

原発に関係する国会議員(政界)は・・
菅首相のお膝元の民主党では、与謝野 馨大臣、川端達夫全文科大臣、直嶋正行元経産大臣など
自民党では、甘利 明元経産大臣、細田博之元官房長官など

学会では、東大工学部原子力工学科の卒業生が原子力の政策に関して、前記の国会議員が参加する原子力プロジェクトに助言をしています。

原子力プロジェクトは、東大工学部原子力工学科の卒業生から推進派を原子力委員会等の委員として承認しています。彼らがいわゆる御用学者ですね。東大卒の学者もすべての電源喪失を理解していなかったことになります。

他に原発メーカから広がった裾野産業、役人の天下り、肥大化した行政組織などが2兆円の原発産業に食い込んでいるわけです。

菅首相の政治力で果たしてエネルギーの再編成ができるのでしょうか?
結末は東電を温存して継続させ、事故補償などを電気料金に上乗せして幕引きを図るのではないでしょうか?

国民も冷静に成り行きを見つめる必要がありそうです。

2011年5月18日 (水)

目を細めわれを見下ろす花の上

 柵の上のネコはポーズをとっているんです。
カメラを向けたら動きを止めてこっちを向いて屈んだから。

自然堤防上にある公園近くの家の庭です。
木々の間からこぼれる朝日を浴びて歩く・・いい気持ちです。

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2011年5月17日 (火)

「断捨離」の産物でボケ防止

 わが家は「断捨離」の真っ最中です。

私は一息、今はカミさんが何周か遅れで「捨」の最中です。

嫁いだ娘2人の残しモノが多く、いろいろ迷っているご様子!

電子オルガン(正式には何と呼ぶのかな?)が出てきました。
どこも故障がなく使える機能は充分だそうです。

捨てるか、使うか、子供たちは要らんと言うでしょう。

そこで「あんたのボケ防止用にどう?」・・って、私の部屋に置かれたのが写真の電子オルガンです。

ついでに、音楽にまったく縁がなかった私に音符まで付けて・・。
写真はカミさんが使った教科書「中学生の音楽1」が乗っています。

やってみましょうか!
でもパソコンのキーボードみたいにはならんでしょう。

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2011年5月16日 (月)

もう釣りが始まっていた

 朝7時前の池ではオジサンたちが釣りをしていました。
これから始める人は池を覗き込んでいます。

本当に好きなのか? それとも家に居場所がないからか?
最近亡くなった隣のオジサンも来ていたそうだから、多分好きなんだろう。

陽が昇ってくると花が一段と輝きます。

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2011年5月15日 (日)

春三景

 今朝のウォーキングから久しぶりにカミさんが参加しました。

日中はお天気がよかったですね。
春三景写真です。(クリックで拡大します)

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2011年5月14日 (土)

稗田阿礼と藤原不比等は同一人物?

 昨年、「文学としての古事記」を学んだ。

「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」(梅原 猛著、新潮社版)を読んで、古事記編纂の理由として感じたことは・・・

日本書紀は当然として、古事記も限りなく当時の政治状況を意図して書かれているということだった。

古事記と日本書紀の双方に関係する重要人物は子孫繁栄の地盤を固めた藤原不比等(藤原鎌足の子)らしい。

彼は将来を見据えた政治人間だった。表に出てこない真の仕掛け人だったという。

“藤原不比等は、不比等の子孫にのみに藤原姓を名乗らせ、他の藤原氏を元の姓、中臣氏にして、政治を藤原氏、神事を中臣氏に司らせて、政治権力とともに宗教権力も握ることにより、藤原氏の末永い繁栄を図った。・・(略)・・しかし中臣氏には従四位下しか与えなかった。それはおそらく藤原氏と中臣氏の上下関係を固定するためであろう。かくして藤原氏→中臣→出雲臣という従属関係が半永久的に固定された。”(同書)

“その不比等こそが、ヤマト王朝に敗れた出雲王朝の神々を出雲の地に封じ込めた張本人だと、私は思う。”(同書)

そして著者は、出雲王朝の悲運の英雄オオクニヌシこそが万人に好かれる神だと結論づけている。

こんな目で出雲神話を改めて見直して見たい。

2011年5月13日 (金)

ウォーキング再開

 腰痛がひどくなって今日で10日、通院治療の開始から1週間経ちました。

痛みで立てない、屈めない、歩けない状態からどうにか歩ける状態に・・。

この13日間で体重が2kg増えました。家では動かず食べてばかり、外出は殆ど車、たまに電車だけでは仕方ないか・・。

適切な治療をしてくださったS整形クリニックの先生、お世話になりありがとうございました。

お陰様で来週の2泊3日予定の長距離ウォーキングには参加できそうです。

試しとリハビリを兼ねて春爛漫の自然の中を歩いてみました。約1時間半です。

やはり身体が重く感じる、右足に力が入らない、15分くらいで疲れたなど、多少後遺症はありますね。でも何とか1万歩以上歩けました。

25度以上の夏日、久しぶりの汗、田植えが終わった田んぼ、ストレスが発散した午後でした。

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2011年5月12日 (木)

そんなに逼迫?薬の生産

  このところ、アチコチ身体が故障し薬の厄介になることが多くなった。
勢い受診する医療機関も多くなり、受ける医療サービスのレベルも一定ではないと感じている。

今度の大震災で薬品の生産工場も被災し必要な量を生産できないという報道があった。

行きつけの医院からもらう薬の量は震災前は4週間分だったが、震災後は2週間になった。工場が被災したとの理由だ。

その後、2週間分が3週間分になったが、そのまま3週間で留まっている。聞いたら扱う全部の薬を最大3週間分しか出さないと言う。厚労省からの通達とかで張り紙まで出している。

ところが他の医院では、ちゃんと4週間分を出している。もっとも薬によって差があるようだ。
その差が工場の生産力の差なら理解もできるが、全部とはおかしい。厚労省の通達など掲示なんかしている所は他に1つもない。
行きつけの医院は患者側の手間と負担増を考えていないようだ。

支給期間の短縮は医院の増収政策ではないかと疑いたくなる。
医療機関も競争が激しく、新たに開設された医院が評判がいいと、相当数の患者が新設医院に流れるそうだ。

処方箋の作成費は薬の量に関係ないから、処方箋を作れば作るほど収入が増えることになる。もしこんな理由だったらこの医院もやがては退場せざるを得ないだろう。

こんな見かたが間違っていることを祈っている。

2011年5月11日 (水)

リハビリ室の雑談

 受付終了まで1時間あまりの整形外科医院リハビリ室。
自分を含めた患者は男性女性とも2~3名くらい、時間の経過とともに患者は入れ替わっていく。全員が高齢者だ。

リハビリ室では男性患者と女性患者とは際立った違いがある。

男性患者は黙々とリハビリを続けている。自分もそうだ。

女性患者は、これも中高年の医院職員(女性)とすぐに話を始める。ほとんど例外はない。患者さんもたびたび通院してお互いに顔馴染みなのだろう。

「ねえ、断捨離って知っている?」と女性患者

「ええ、聞いていますよ。入ってくる要らない物を断つ、家にある要らない物を捨てる。物への執着から離れるっていうことでしょう」と職員。

「私、お友だちから本を勧められたの。どう断捨離をするのって聞いたら、本を読んだらわかるわよって言うの、それで本を頼んじゃった」

この先は、職員が「友だちが溜まった写真の整理をしたこと」を話題にし、次にタンスの着物(呉服)はどうしたらよいかの話になっていった。

次ぎの女性患者は花の話から、十数年前に亡くなった花好きなご主人の話になった。

どうやら、この部屋は体のリハビリだけでなく、女性患者のストレス発散の場であり、職員は知らないうちに多くの情報を得ている場なんだと思ったね。

黙って聞いている自分も結構勉強になったと思うよ。それに院長の人柄が出ているのか、あったかい雰囲気があって楽しかった。
「断捨離」もこの地の高齢者層に広がって来たようだ。はしりから何周かの遅れで・・。

写真はわが部屋のミヤコワスレです。バックはシンプルライフにと白を基調にしています。

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2011年5月10日 (火)

「花が二度ツリーもダメか雨男」

 朝飯を食べていたら電話がかかってきた。

「おはようございます。明日はお天気が悪そうですね。どうしましょうか?」

そう、明日のお出かけ企画をともに手がけたパートナーからだ。

地域の仲間6人でスカイツリーを見て、浅草界隈の馴染みの蕎麦屋でメシでも食べようと決めていたのだ。

とりあえず、夕方の天気予報で決めることにしたが、やはり1日中雨の予報で中止にした。

グループが違うが、雨で中止は今季で3度目になる。オレが雨男かナ!

そして出れば出たで大地震に遭遇(3月11日の東日本大震災)で帰宅難民に!
ついていない今年の春だ。

2011年5月 9日 (月)

小売業界の成長株

  2010年度の「日本の小売業調査の速報版」(日経MJ5/9版)を見た。

この速報版で特に目を引いたのが「大黒天物産」というディスカウントスーパーだ。
本部が岡山県倉敷市で中国地方を地盤とし店舗数を数えたら65店舗だった。九州地区に初進出したそうだ。そしてほとんどの店が24時間営業だ。

売上高が801.9億円、同伸び率(前期比)が9.2%、経常利益が41.66億円で伸び率17.4%だった。
売上高伸び率は全国4で位、営業利益率は5.2%で5位だった。

売上高販管費比率は17.2%(前期比0.8%減)で3位、総資産利益率(ROA)は9.6%(前期比0.9%の増)で2位だった。有利子負債・営業CF倍率(本業で稼いだ現金に対し、有利子負債が何倍あるかを示す数値で倍率が高いほど財務が脆弱であると示す)は0.4(前期0.6)で35位(順位は低いほどよい)だった。

高成長の鍵はEDLP(毎日安売り)で、購買頻度の高い食品や日用雑貨を2~5割安くして販売する。また新聞の折り込みチラシを減らすなど広告宣伝費を前期比0.8ポイント改善した結果だという。

個人的な意見を添えると、店舗の主要経費は人件費、広告宣伝費、固定費(家賃、リース代、減価償却費など)だ。人件費、固定費(特に店舗開発費)がどんな仕組みか興味があるところだ。

更に、2~5割安くして売り、かつ5%以上の営業利益を得る商品調達(仕入れ)システムはどんなものだろうか?

思えば現在の大手スーパーも発展初期は同じような状態だった。
何十年経って会社が大きくなると、いつの間に販管費率は大きくなっていた。

さて、10年後にどんな会社に成長しているだろうか?成長を祈る!

写真は岩槻城址公園で
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2011年5月 8日 (日)

「くちかずで熱がはかれる妻の風邪」

 娘と孫が昨日帰った。
「残ったのは軽くなった財布と風邪よ」とカミさんが言う。

そのカミさんが娘親子が帰ったとたん熱を出して寝込んでしまった。
40年も付き合っていると口数で熱がわかる。

きのうは何か聞いても返事をしなかった。こんな時は38度以上だ。
今朝は聞いた事には答えた。こんな時は微熱だ。
やはり今朝は口数が増えて、買物の指示が出た。

カミさんの口害に耐えている私にとって、彼女の熱出し時間は私の静かな時間でもある。
「心配と至福が混じる妻の熱」といったところかナ。

それにしてもGolden weekならぬTired weekだった。
次女と長女の家族の里帰り、連続9日間、腰痛はぶり返し風邪も引くわいな!
・・・と思いつつ孫の笑顔が懐かしい。

2011年5月 7日 (土)

屈んじゃいけないなんて!

 腰痛が治まらなくて整形外科へ行った。

やはり心配したとおり、ここ数十年間静かだった持病の再発だった。
医師は「初期症状ですよ」と言って慰めてくれたが、発病してから半世紀、初期でないのはよくわかっている。われながらよくここまで持ったものだと思う。

医師は「屈んじゃいけない」と言った。
でも、生活では「屈む」「曲げる」「ねじる」・・なんて動きは日常的なんだネ。
このうち1つでもできないと不便だ。
人間の身体はうまくできているネ。

なんとか痛みがとれれば生活上は問題ない。
しばらく薬と理学療法でガンバッテみよう。

病気とうまく付き合っていくつもりだ。

2011年5月 6日 (金)

「因幡の素兎」の政治的な意味

 「因幡の素兎」は誰でも知っている古代のメルヘンだが、哲学者の梅原 猛氏は津田左右吉の言として、「古事記」のメルヘンにはほぼすべて政治的な意味があると紹介している。

「因幡の素兎」は、兎が住んでいた隠岐島から対岸の豊穣な因幡にワニを使って渡ろうとした話だ。
梅原 猛氏は“隠岐島から本土へ渡ろうとする島民と、その移住を手伝った船頭のとの間に起きたトラブルと思わせる話”だという。

裸になった兎を元通りの毛並みに戻したオオナムヂ(オオクニヌシ)は出雲の王だ。なぜオオクニヌシが伯耆の国の向こうにある因幡へ渡ろうとした兎を助けたのか?

その理由は、伯耆の国は既に出雲の王朝の支配下だった。次に狙うのは因幡の国だった。
“オオクニヌシが因幡の国のヤガミヒメと結婚することは、因幡の国を出雲王朝を支配下に置くことを意味した。”

それと「古事記」はオオクニヌシの人間に対する優しさを語っているという。彼(オオクニヌシ)は白面の美男子だったに違いないと述べている。詳細は梅原氏の「葬られた王朝・古代出雲の謎を解く」の77ページをお読み下さい。

時代は下るが「竹取物語」も政治的な意味をもつと、別な先生から聞いたことがある。
単なるメルヘンに過ぎないと思っていたことが、実は政治的な意味をもっていたとは面白い。
古代史もおおいに興味がもてそうだ。ただ神様の多数登場し、その名前も覚えられないのには我ながら閉口した。

わが家の門扉横のシャクナゲが咲きました。何となく弱々しく感じるのは気のせいかナ。

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2011年5月 5日 (木)

“シンプルに生きる”<経済との関連は?>

 東関東大震災で節電意識が高まっている。
また、この震災によるモノやサービスへの買い控えが起き景気への懸念も伝えられている。

一方、こんな見かたはどうだろうか?
われわれはあまりにモノやサービスにまみれた生活をしていなかったか?
物欲とは言わないまでも、モノに支配された生活ではなかったか?
今度の震災を機に、自分の生活を見直してみたら・・と思う。

でも、生活を見直したら、結果は買い控えになってしまう。
マクロ経済でみれば景気後退になってしまう。

そうなれば、モノやサービスのメーカーや提供業者は、消費者の本当に必要なものを提供しないと売れないから、もっと切磋琢磨して努力し、本当の競争が起こると思う。

こんな思いで読んだ本が「シンプルに生きる 変哲のないものに喜びをみつけ味わう」(ドミニック・ローホー著、原 秋子訳、幻冬舎版)だ。(「お気に入りの本」参照)

冒頭にシンプル主義の37ヵ条が載っている。
簡単なことから実行するのもいいが、まず自分のライフスタイルの基本姿勢をもつことが大事で、その上で必要、不要なモノを仕分けたらどうだろうか。

ここ数ヶ月で蔵書の2/3が、不要な書類の裏紙への転用でコピー用紙が購入不要になった。
本は図書館の利用で大幅購入減、長く使える本しか買わない。これでは出版業界が不況になるのは当然だネ。

きょうはまたメガネが10個くらい出てきた。このうち必要なものは3個だけだった。
 

2011年5月 4日 (水)

3メートル先がこんなに遠いなんて!

 20年近く前、自宅を立て直ししたときトイレ、洗面所を2階に作った。自室の机からトイレまで5mくらい、ベッドから3mしかない。

ところが今、その距離はとてつもなく遠い。
数日前から腰痛で今夜は特にひどくなった。座り姿勢から立ち上がる、寝た姿勢から立ち上がるのに力が入らない。そして激痛が走る。トイレは待ったなしだから辛い!どうにか立ち上がれば歩行はできるので、立ち上がるまでが悪戦苦闘が続く。

サラリーマン時代の20数年前も同じ腰痛で立てなくなった。以来、腹筋、背筋を中心に筋トレ毎朝40分、ウォーキングは、ほぼ週に4日は日に1万歩を歩いているが今回は効果がなかったようだ。

こうした場合、悲観的になるのが一番ダメだ。
自分は整形外科の対症療法を信じていないし、加齢のせいにもしたくない。

自力でなんとか少しずつ痛みを緩和させたい。
5月下旬には2泊3日で歩いて歴史を訪ねる旅が待っているから・・・それまでにはネ。

2011年5月 3日 (火)

三代でお出かけ

 娘が孫を連れて里帰りした。孫に会うのはほぼ1ヵ月ぶりだ。
婿殿の泊まりの出張を利用しての里帰りだ。

娘は生後7ヵ月の子どもをバギーに乗せて来るという。震災後の節電で駅のエスカレーターが動かないので駅へ迎えに行った。早く孫娘に会いたいのが本音かもネ。
事実、私の顔を見てニコッと笑った。

カミさんと娘に運転を頼まれて買物に、帰りは仁屋で食事、もちろん孫も一緒、三代揃っての昼食もイイネ! 主役はいつもチビちゃんだけど・・。

夜は「孫を風呂に入れろ」と大人2人に言われて、悪戦苦闘しながら小さな身体を洗った。
こうして孫と一緒の1日はスゴイ速度で終わった。
お疲れ様でした。

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2011年5月 2日 (月)

果たして今どきの若者は12無か?

 メディアは東日本大震災の罹災現場に多数のボランティアが入っていると伝えている。
現地では受入態勢が間に合わずボランティアの受入れを断念することもあるらしい。

震災前に私が尊敬する大学の先生が、今どきの大学生は12無だと言われた。
12無とは無感動、無感情、無表情、無抵抗、無批判、無能力、無作法、無学力、無教養、無節操、無定見、無思想のこと。これに無気力、無責任、無関心を加えて15無と言われたかも知れない。

しかし、震災へのボランティ報道を聞く限りでは、すべての若者ないし大学生に12無または15無を当てはめるのは酷だと思う。
3月11日の震災発生日に帰宅難民になって、1晩だけ避難所でお世話になった。その時は同室の若者にまさしく無感動、無感情、無表情を感じた。

報道と自分の視覚の乖離に驚いている。
でも、いつの世にも年寄りは「今どきの若い者は・・」と言っていたと思う・・のだが。

2011年5月 1日 (日)

行ってみたい街<コンスタンティノーブル>

 私はまだトルコのイスタンブールに行ったことはない。
イスラム教の知識はもっていないからイスラムのイスタンブールには興味はない。
今朝の新聞特集に“[Istanbul]東西の狭間を渡る”という記事があったが、私の興味の範囲は現在のトプカプ宮殿かブルーモスクあたりだと思う。
行きてる間に行けるかどうかはわかないが、歴史の場をいろいろ想像するだけで楽しい。

なぜイスタンプールでなく行ってみたいのはコンスタンティノーブルのか?
その理由は、コンスタンティヌス帝(在位306~337)が330年に帝国の首都をローマから古都ビザンティウムに遷し、名称を皇帝の名をとり「コンスタンティノーブル」と呼ばれてから、1453年5月29日にオスマントルコにより滅亡するまでの期間に興味があるからだ。

“30ポイントで読み解く ローマ帝国衰亡史”(「お気に入りの本」参照)の最終章は「コンスタンティノポリスはいかに陥落したのか」だ。この章だけで遷都のいきさつを理解するは難しい。やはり背景にはローマ帝国2000年の流れがあるからだ。

また塩野七生著「コンスタンティノーブルの陥落」(新潮文庫版)は、確かコンスタンティノーブル駐在のウ゛ェネツィア共和国の外交官の目をとおしてコンスタンティノーブルの陥落を書いたもので読みやすかったと思う。

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