2022年1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011年12月31日 (土)

大晦日その日その日の積み重ね

 今日は2011年の大晦日ですね。また1年が経ちました。
どうやらこのブログも1日も欠けることなく続けられました。

ざ~と、1年をふり返ってみますと・・
3月11日の大震災でに筑波山で遭遇して避難所で一泊したこと。
この震災で多くの死者・行方不明者がでたことに心が痛みます。
幸い、私の関係では被害者はいませんでした。

それに東電福島第一原発の事故、国策で進められてきた原子力
発電。「絶対安全」などないことを証明しました。
今は情報過多の時代、国民自らも受ける情報の真偽、影響力、
対応などを自ら検証する必要がありそうです。まず「疑え」ですね。

日本は内外とも多事争論でしたが、わが身の周りはいたっ平凡
な1年でしたね。なんやかや言っても平穏無事がいい。
概ね、健康で過ごせました。身体に一抹の不安を抱えての年越し
となりましたが、ここまで来れば人生もしめたもの・・です。

来年も身の丈に合った生活をと・・思っています。
また1年の人生の旅の始まりです。途中で挫折するか、大晦日の
ゴールにたどり着けるか神のみが知ることです。

この神様は私にとっては「観音様」です。なぜって?
毎朝、仏前で近くの坂東十二番札所・慈恩寺でいただいた十句観
音経を唱えています。宗徒ではなく単なる習慣です。
観音様は黙して語りませんが、わが身の行く末はご存じだと思うか
らです。年が明けましたらさっそくお参りに伺います。

本ブログもここまで8万を超える皆さまにご訪問いただきました。
皆さまのご訪問を感謝するとともに来年のご多幸をお祈り申し上げ
ます。

2011年12月30日 (金)

こがらしや植木逃げ込む部屋のなか

  今日は12月30日、あと30時間で元日ですね。

今年の冬は例年に比べて寒さが厳しい感じです。

カミさんはグリーン育てが大好き、狭い庭やテラスには鉢が
溢れています。
冬になると寒さに弱い植木を家の中に取り込みます。
わが部屋にもグリーンが取り込まれました。

180cmの高さになったバギラ、同120cmのベンジャミン、それに
秋に花を咲かせたシャコバシャボテンです。
いつも部屋の整理を心がけていないと、それこそ足の踏み場も
なくなります。

でも冬に緑が目に映えると心が和みますね。
窓越しに柔らかい陽を浴びて輝く青葉、外は枯れ野です。
ここで一句と思いましたが、句が出ませんでした。

Img_11001

2011年12月29日 (木)

牛丼が弁当になる年の暮れ

 昨日に引き続きカミさんの業務指示に従った。

カミさんは「私が行くと余計なモノまで買ってしまうのであんたが買ってきてよ」とホームセンターへの買物を自分に命じた。店内では指定された商品がどこにあるか戸惑った。聞きたくても店員が見つからない。・・それでもどうにか用を足した。

子供たちは次女が31日から、長女が2日からそれぞれ家族でわが家に帰省する。空き部屋を使うので暖房が必要だ。その灯油を車で買いに行く。移動販売業者は1缶(18L)当たりガススタより200円も高いのので自分で買いに行くことにしている。

次いで埃だらけの車を洗う。何ヵ月ぶりだろうか。
今日はお天気もよく風もなかったので洗いには好都合、磨けば車も光る!

これら作業の間、別に飛び回っていたカミさんと昼飯をどうしようかとなった。結局はY家の牛丼、豚丼各1つずつを買い、半分ずつ食べようということになった。また「あんた買って来てよ」で自転車を飛ばす。

いつもの牛丼屋さん、昼飯時だというのに客席はガラガラ・・。
でもレジ前には既に5~6人が並んでいた。中には10個も買う客がいた。そうだ、大晦日まであと3日、みんな忙しいんだ。牛丼が弁当代わりか。牛丼は安くて速くて手頃だからね。最近はあまり美味いとは思わないけど。

牛丼屋近くの会社では、従業員総出で大掃除をしていた。きっとこの会社も昼飯は牛丼かもね。終われば一杯やって打ち上げかな・・

2011年12月28日 (水)

真新し手帳引き継ぐ年の暮れ

 カミさんの指示で神棚のしめ飾りの取替え、鏡餅セットの組み立てをやった。一事が万事で自主性がないのは仕方ない。

次いで2012年用の新しい手帳へ旧手帳から必要事項を書き換えた。
新手帳は今年と同じT社製のモノ、使い勝手がよい。

各月毎に1ヵ月分の予定が書ける見開きの頁と見開きに日別に1週7日分が書ける頁になっている。
1週分の日別にはその日の日記、使った金額(後でPCに入力)と費目、朝に計測した体重、体脂肪率、1日の歩数を記録している。血圧も毎日記録したいが計測器が使いずらく未だ実現していない。

新旧で昨年の数値をザックリ比べて見ると・・
体重はほぼ1kg減、体脂肪率は2%落ちている。1日の平均歩数は約1万歩くらいで変らない。
今月は今日まで使った小遣いが約55,000円、昨年12月の約2倍だ。

23歳で就職して以来、保存してある手帳も50冊に迫る数になった。就職時と比べると身長は3cm縮み、体重はその後15kg増えたが食事と運動で当時と同じ数値に戻した。

毎年、手帳は生きた証として残されていく。

2011年12月27日 (火)

朝ウォークネギはサービス野菜買い

  今朝も寒かった。
昇る陽と合わたようにカミさんと約1時間の散歩にでかけた。

この朝、カミさんの目的は歩く他にもう1つあった。
それは、途中の農家の無人店で年末用の野菜をゲットすることだ。いつもの農家の軒先で大根、白菜、ホウレンソウなど6種類を買った。1部を除いて全品100円で新鮮で安い。今スーパーの野菜は値上がり傾向とか・・。
大根、白菜など重いモノは持参の袋で私が肩にかけて残りの35分を歩いた。黙って歩いたが1歩ごとに肩が痛くなった。ガマンしたよ!結局は自分の口に入るモノだからね。
タイトルのネギは冬の季語、俳句のつもりで作ったが寒さを表現できなかった。

この朝は、運よく農家のおかみさんが店先で品出しと商品整理をしていた。
おかみさんはネギを1束サービスしてくれた。たまにはこんな時もある朝のウォークだ。

午後の予定が急にキャンセル。実質的に今日から年末休みになった。
さっそく、カミさんから業務命令が出る。
ハクレンとヒマラヤ杉の剪定だ。ハクレンのどの枝を切るかはカミさんが決める。足の下から指示が出る。言われたどの枝にも蕾が出ている。切る時は一瞬躊躇したが終わってみればスッキリだ。全体的に均整のとれた枝ぶりに変わった。やはり老いては妻に従うべきだね。

ヒマラヤ杉は高さ3m近くある。道路と隣家に枝が張り出して迷惑でもありみっともない。脚立を使い慎重に作業を進めた。この木のテッペン近くには電話回線、光回線ケーブルが通っている。長い剪定鋏を使う時は特に注意が必要だ。

どうやら事故もなく無事終了。
孫は正月にわが家で2泊するそうだ。
楽しみだね。「早く来い来いお正月」の気分だ。

2011年12月26日 (月)

バカハサミほかに時間も使いよう

 本日も医療機関行きだ。

きのう受診した医院発行の紹介状を持ってJ医大学付属医療センターへ。初診は予約できないので早朝起きで電車、バスを乗り継いで7時10分にはセンターに着いた。

実はここへは2度目の訪問だ。前回は入院患者への見舞で受診は今回が初めてだ。

受付整理券の受取から採尿、採血をして受診まで4時間かかった。でも苦にならなかった。
なぜか、受付した時点で受信番号と受診が何時台になるかが表示される。診療科入口には今、何番の人が受診しているか分かるからだ。私は303番でこれは11時台の3番目を示している。

ということは・・
人間は、ある幅でも予定が分かればそれなりに時間潰しができるということだ。
私もこの巨大な施設の内部を見学したし付近も散歩できた。散歩では地域の文化財でもあるシイノキの大木も見たし、説明板で見沼の歴史の一端にも触れられた。センターに戻れば持参した本も安心して読めた。

これらのシステムを動かしている基盤はコンピュータの活用にある。加えてセンター職員の応対が良い。笑顔と親切な言葉使いで気分が落ち着く。やはりハードとソフトが噛み合わなければいいサービスは実現しない。

最後は自動精算機で支払い完了。寒かったけど30分かけて駅まで歩いてしまった。この日の歩数は11600歩、いい運動になった。気分転換になるのが良かった。

さて、肝心の診察結果は・・
正月明けから本格的な検査が始まる。医師と相談してその予定を決める。予定表は支払後に発行される領収書に予約表として添付されている。
検査結果で最悪が予想される確立は50%だと医師が言った。最終結果の予定はしばらく先になりそうだ。それでいい・・。恐怖は先送りにしよう!

2011年12月25日 (日)

この時季は4時間待ちの難苦行

  年末の日曜日、この医院は日曜日には午前中だけ診察している。

昨日の電話でこの医院へ検査結果を聞きに行った。8時40頃に受付をしてから待つこと4時間余り、やっと午後2時過ぎに自分の番が来た。説明はたったの2~3分、年末と日曜日が重なりまれにみる長い待ち時間になった。文庫本なら1冊を読める時間だ。

それに検査結果は予想以上に悪かった。これ以上の対応はこの医院ではムリだろう。

明日は早起きで大学病院へ紹介状を持って再度の検査に行くことになった。明日は1日かかりそうだ。

2011年12月24日 (土)

また一つ不渡にする厚顔さ

  工事が止まっていた群馬八ツ場ダムの本体工事が再開されるという。
工事再開の是非についてはともかく、2年前のマニフェストでムダな公共事業の典型としてやり玉に挙げておきながら国民にきちんとした説明もなく建設続行とは・・!、その変節を憂う。

整備新幹線、東京外郭環状線工事再開もしかり、そんな金があったら復興資金に回したら・・。
そのほかモロモロ大仰な手形を乱発しておいて殆どが不渡りかその状態だと思う。
いずれにしても2年後には決済してもらおう。期待を裏切った代償は大きいと思うよ!

上のようなことを考えながら2階自室の障子4枚の張替作業を1階でやった。
張り替えが終わるまでは順調だった。ところが・・
2階へ運び上げる途中、階段角にぶつけてバリッ! 情けない・・
私鉄某線開通100年記念の大きなシールで破れをを塞いだ。これから毎朝、障子を開ける度に電車のシールが目に飛び込んで来ることになる。

落ち込んだ気分へ更に追い打ちが医院から・・
数日目に採血した検査の結果、数値が高めなので至急来院願いたいとの電話だ。またか!念のための採血だったが、また気分が重くなった。

ささやかな夫婦だけのクリスマスイブ、静かな夜を迎えるハズだったが当てが外れた。残念

2011年12月23日 (金)

ご近所と家で支えた高齢化

「お気に入りの本」で紹介したのは「江戸時代の老いと看取り」(柳谷慶子著、山川出版社)だ。

本書によると・・
“江戸後期では20歳まで生き延びれば、60歳以上の余命をもてるようになった。飛騨国の寺院過去帳によれば21歳以上の平均死亡年齢は、男性61.4歳、女性60.3歳で、51歳以上の人々の享年は70歳を超えている。”

“老いを生きる”
まず人口の大部分を占めた農民は老いてもなお働いた。当主として高齢まで家を守った者も多く、さらに60歳を過ぎて当主となる女性も存在した。武士では傘寿をすぎても現役を努める者がいたし定年制などはなかった。老衰隠居は70歳なって初めて認められた。江戸後期の幕府には94歳の高齢役人がいたそうだ。女性では病気や老衰で退くまで努めた奥女中も多かった。

“長寿を寿ぐ”
江戸時代は長寿を祝う儀礼や習俗が、身分を超えて、広く地域に根付いた時代だった。算賀の儀や年祝いが地域の風習として定着していた。庶民から歴代の徳川将軍家の年祝いの儀式を紹介している。

“老いを看取る”
看取りの場は基本的には家だった。看取りの中心は家族だった。そのために「養老」の教えと具体的な看取り方法が授けられた。本書には武士、庶民について具体的な方法が記述されている。幕府や藩が高齢者を褒賞したり、孝行を実践した家族を称揚する善行褒賞の例も増えてる。このことは高齢者を虐待する例も増えていることの裏返しだろうか。
問題は現在の“孤独死”、当時の孤老の看取りだろう。この役割を当時は地域が担っていたわけだ。

“・・一方、家産というものをもたない都市の下層民の社会にあっては、借家人同士たがいの生存を支えあうような暮らしが、人としての営みとして再生産され続けていた。扶助の絆である。”

さて、これからの高齢者社会を生きるわれら、誰にでも孤老になる可能性がある。誰を、何を「絆」にすればいいのだろうか?

明日はクリスマスイブ、先ほど娘から孫の写真が送られてきた。1歳3ヵ月、この子らが成人となる頃はどんな社会になっているのだろうか!111223

2011年12月22日 (木)

歳月の速さ感じる賀状書き

 年賀状書きもほぼ終わった。明日にでも投函しよう。
この後はEメールで賀状を発信する作業が待っている。

今年いただいた年賀状を見て改めて歳月の流れの速さを感じた。
日頃ご無沙汰している方々は昔の顔で思い起こす。
どんな顔になっているのだろう?

わが夫婦が仲人をした数十組のカップルは殆どにが孫がいる。
お世話になった先輩たちは鬼籍に入り、今はその子供達が社会の第一線に立っている。
賀状の文面も世代により大きく異なる。若い人たちの賀状は希望に溢れているし、年配者はそれなりに簡素で落着いている。

この日、地元の大学のプロジェクトサークルの打ち合せに顔を出した。
この地の工芸品を写真、それも絵葉書で残そうとする企画だ。撮った写真の中から適当な画像を選択して編集する作業だったが途中で時間切れ。残りの作業を教授や学生お願いしてきた。
プロが使う編集ソフトとかで1回の説明では理解できない。理解度も齢相応というべきか・・。
学生たちもわが子供たちより二廻りも若い。まさに「歳月は人を待たず」を感じた日だった。

2011年12月21日 (水)

このままじゃメタボで亡ぶ三代目

 チャンネルを回せばどこのテレビも金正日の遺体と太った三代目の画像ばかりだ。

目立つのは三代目の体型だ。周りはメタボらしき者が見えないだけに余計に目立つ。

性格は親父譲りかどうか分からないが体型は首領様、将軍様の体型をそのまま引き継いでいることは明白。「われ満腹汝人民飢えて死ね」は・・言い過ぎでもなさそうだ。

性格、政策、施策が親父譲りだったら北朝鮮の国民はあと20年は飢えなけれならない。本当にご同情申し上げる。なんとかならないものか!

さて、わが健康について・・。
今年最後の検診、エコーによる内臓検診が終わった。前立腺肥大が見られるがその他の内臓には癌の兆候は見られないとのこと。また少し神様から命をいただいた気がする。

2011年12月20日 (火)

年迫り重荷になるね家仕事

 私がやらねばならぬ年末までの家仕事は3つある。

1つ目は20枚近くある網戸洗い
2つ目は100枚以上の年賀状書き
3つ目は10枚ある障子の張り替え

網戸は先日の晴天日に洗った。カミさんが外しとはめ込み、私が洗って干すの分業だった。

昨日からは2つ目の年賀状書きが始まった。書くといってもパソコンで作るわけだがそれでも時間がかかる。まだ半分ほど残っているけど昔に比べれば楽になった。作成枚数が7割ほど減っているから・・。メールに替えたり義理を欠いたりしたからネ。

障子紙の張り替えが1番辛い。だからいつも最後になってしまう。
屈んで糊付けや紙の貼り付けをするから腰が痛くなる。でも張替後の真っ白い障子は気持ちがいい。それでも大晦日が迫るにつれ気が重くなるネ。

2011年12月19日 (月)

半島の生きた歴史を見るチャンス

 午後、北朝鮮の金正日総書記が死亡したニュースが駆け巡った。

私の年代なら、金日成の時代、ご存知死んだ金正日の十数年、そしておそらく後を継ぐ金正恩の時代もいくらかは見られるだろう。まさに金王朝の三代の生きた歴史を眺められるわけだ。

本で読んだが、おそらく現代の金王朝は李氏朝鮮の歴史と根本的な考えは似たようなものではないかと推測する。

ただ昔と違うのは今はグローバル社会だということ。一つの国だけでは生きて行けない。情報は瞬時に世界へ伝わる。今後、金日恩がどんな施策をとるか注目される。それとわが国の外交力も問われる時だ。頼りない野田内閣で大丈夫か!

2011年12月18日 (日)

ささやかな幸せ感の冬日和

 昨夜はご近所のご夫婦とわが夫婦4人での忘年会だった。
いつもの店は満員で予約してないと断られた。いつもガラガラなのに・・。素っ気ない返事。
次は初めて行った店でサービスも良く料理も美味しかった。それに回りは若い女性のお客さんが多くにぎやか!こっちも話も弾んだ。相変わらず話題には病気、病院が入っていたけど・・。

今日は春を思わせるような良い天気。
散歩と昼食を兼ねてカミさんとお出かけ。まず隣市の公園にあるレストランでまで30分以上歩く。公園の日溜りにはさまざまなグループが集まって話をしていた。目的のレストランの「豆腐ラーメン」は美味かった。埼玉B級グルメになっている。

食事後は別コースで家電量販店、ホームセンターなどの店内を見たり買物したりして、ゆっくり歩いて帰宅。いつもの医院前では院長が高級車を磨いていた。「その後異常ないですか?咳は出ませんか?」と気を使ってくれた。

この間、食事時間を挟んで3時間、歩数約12000だった。

ささやか、穏やか、のんびり、・・・1市民の平凡な1日だった。小さな幸せ、これがいい・・。

2011年12月17日 (土)

辛いです朝の2時間トイレ行き

 今日は大腸がんの検査日です

昨日の食事は3食ともおかゆだけ。今朝は朝食抜きで病院へ行って、7時から9時までに2リットルの大腸の洗浄液を10回に分けて飲みます。コップ1杯を空ける度にトイレに行って排便をしなければいけません。出ても出なくてもです。

辛いのはこの液体を飲むことではなく、トイレに行っても排便ができないこと。要するに便が出ないことです。前回も同様でした。今回も気をつけていたけどやはりダメでした。検査自体は問題なければ苦痛も感じなく短時間で終わります。

前回はポリープ4ヵ所を切除。
今回は異常なし。前回の切除部分も問題なしでした。一安心です。

私の直前の受診(40歳後半くらいか)された方は2ヵ所切除したそうです。終わって点滴を受けていました。「放っておいたら大変なことになる」と医師に言われたそうです。

2011年12月16日 (金)

しばらくはお医者任せの年の暮れ

 体のチェックは11月中に終わる予定だったが12月21日まで続く。東電福島第一原発は「冷温停止状態」に達したそうだが、わが身の「健康維持状態」達成にはあと数日かかりそうだ。

・・というのも、レントゲン撮影による肺がん健診で疑いを持たれた影響が大きい。これで日程が大幅に遅れてしまった。まあ、何もなかったので安心したけどネ。

明朝からの検査に備えて、今日の食事は朝からお粥と卵や豆腐だけのシンプル食になった。慣れてくると空腹も気にならなくなるから不思議だ。

風邪もどうやら治りかけているらしい。
今は元気に年を越したい気持ちだ。

2011年12月15日 (木)

いつの日か消えてしまうか匠わざ

 地域の伝統工芸品の製造現場を訪ねた。先行き不透明な工芸品を製造から製品化までの流れを写真に収めておこうという企画の一端だ。

最初は、江戸川縁にある麦わら帽子の工場を訪問した。
まず、近くの神社に参拝。戦後、近くにあったいくつかの神社をまとめたもので、立派なミニ富士山(旧浅間神社)もあった。Img_10631_2

帽子工場は来春の入園・入学を控えて盛業中だった。材料の麦わらはすべて編んだ状態で中国から輸入されているそうだ。中国の経済発展に併せて麦わらの調達や均等な品質確保が難しくなっている。また売り手市場のため価格が相手の言いなりで事業としては見通しは暗いとのこと。・・・その他諸々の課題や抱負を話していただいた。前向きな姿勢がよかった。(写真は帽子の形を作るスチームプレス機)Img_10791

次に、桐箪笥の製作所を訪れた。
桐箪笥の工場は市内には後継者がいないためなどで、ここ1ヵ所だけになってしまったそうだ。工程は製材、桐材の渋抜き、木取り、組立加工、仕上加工(塗装と金具取付け」)と時間がかかる。作業は分業でそれぞれ熟練の職人が不可欠だ。
大量生産のこの時代に、親方、弟子の関係で辛抱して職人になろうとする若者などいないから事業を継承していくのは難しい。オーナーさんはこの製作所も3人でやっている工房とおしゃっていた。
でも出来上がった桐箪笥はさすが工芸品と呼べそうだ。ずう~と続けて欲しいネ!Img_10971

2011年12月14日 (水)

老々戦興味津々泥仕合

   プロ野球界は契約更改、米メジャーリーグへの挑戦や新入団選手が決まるなどストーブリーグの季節になった。

そこへ重なったのが巨人の内紛劇だ。
85歳のになる球団会長のW氏と還暦を過ぎた前球団代表兼ジェネラルマネージャーのK氏との確執だ。13日には互いに相手を訴える訴訟合戦に発展した。

私にはK氏の記者会見の経緯はともかくとして、大新聞社の会長が球団のコーチ人事までに口を出すのか!、このK氏を除いて会長の取り巻きは全部イエスマンばかりじゃないか!、つまりこの大新聞社グループはオリンパス同様の超ワンマン経営と思えるのだが・・。

各メディアの報道も歯切れが悪いね。会長の勇退をすべきだ、引き際を誤るなとの・・などの忠告記事は見当たらない。

関係ないイチ庶民にとってはストーブリーグ、オープン戦以上に面白いネ。
先攻はWチームで10人の名コーチを揃えたとか、後攻はKだが孤軍奮闘に近い。私は判官びいきだからKを応援しようかナ。
果たして9回で終わるか、コールドか、延長戦か、興味津々だ。

巨人ファンの声も聞きたいネ。

2011年12月13日 (火)

白き嶺湖面に映り一茶の忌

 今日12月13日は旧暦の11月19日、文化・文政期に活躍した同郷の俳人、小林一茶が信州・柏原で65歳の生涯を閉じた日だ。いわゆる一茶忌である。「一茶忌」は冬の季語になっている。

この句も11日の句会で清記した句だ。
かつて信州の旅の際、一茶の最期の家(土蔵)、野尻湖などを訪ねた。西に野尻湖(麓の高原のコスモスは見事だ)、東に斑尾山、間に旧柏原宿と野尻湖が静かなたたずまいを見せていた。
初冬の古里・奥信州をイメージした句だ。懐かしさが蘇る。

2011年12月12日 (月)

孫抱いてお披露目してる立ち話

  昨日は帰省していた娘が朝から風邪でダウン、昨日の帰宅ができずわが家にもう1泊。保育園児の孫娘も自動的にお泊りとなった。

昨日、句会から帰ったらカミさんと孫がいない。寝ている娘に聞いたら抱いて外へ出かけたと言う。外を見たらカミさんが孫を抱いて右隣と向かいの奥さんと立ち話している。

向かいは孫が6人、左隣は3人だ、度々孫達が来て外で遊んでいて賑やかだ。右隣にはいない。独身の娘さんに「未婚でもいいから子供を産め」と言っているとか・・。
カミさんは「わや家にも孫が1人いるよ」をお披露目したかったのだろう。

後で聞いたら否定しなかったから、当たらずとも遠からず。

ただ、肝心のわが孫娘、初めて見るオバちゃん達には愛想が悪かったらしい・・。

私もカミさんも風邪をもらったらしい。吐き気、食欲不振、目まいの症状で発熱はなし。
孫が元気なのが救いだ。

2011年12月11日 (日)

野沢菜のおやきの香り母の味

  俳句講座の4回目で最終会だった。

2回目の句会、17名参加、各自で清記3句と選句3句。

自分も3句清記して提出、うち2句に被講あった。(もう1句は時間切れで被講なし)

11月29日は亡き母の命日、この季節になると幼い時に作ってくれた母のおやきを思い出す。長じて帰省する時は大皿に山ほど作っておいてくれた。市販のモノとは違い独特な母ならではの味、特に茄子(茄子は夏の季語)のおやきが大好きだった。次いで野沢菜だった。

源  句 「野沢菜おやきの香り母の味
修正句 「野沢菜のおやきの香り母の味

2011年12月10日 (土)

冬の月 七十億人星の陰

  今、23時10分、5分程前に月がスッポリと地球の陰に入る皆既月食となった。太陽光の反射で月が赤く見える。この状態が23時58分頃まで続くそうだ。

月に丸く写った地球。この星に70億人が生きている。壮大な天体ショーに感慨無量の心持ち、宇宙の広大さから見れば地球なんて日本中でとれる米の中の1粒みたいなものだ。

それでも、われわれはこの星で生きて行かなければならない。
昨夜から長女とその娘(1歳3ヵ月、わが夫婦にとって1人だけの孫)が来ている。明朝に都下の自宅に帰る。2ヵ月毎にムコの実家とわが家に孫を見せに来ると勝手に決めているそうだ。娘も働いているから、たまには子供を親に任せて出かけたいのだろうと思う。

帰省する理由はともかく、成長する孫に会えるのはうれしい。ただし疲れるが・・。今日は昼から外食、買い物などの運転手として駆り出された。郊外の芝生広場ではしっかりと歩いて一段の成長を見せつけた。

70億人中のたった4人だけど、月に写った地球の陰にわれわれが入っていると思うと不思議な気がする。

Img_10491_2

2011年12月 9日 (金)

時雨れるや 駅の南北江戸探し

  寒い1日だった。昨夜から午前中まで雨もよう。しかも雪がチラチラ混じっていたようだ。それでも、わが元気グループ12名はウォーキングに出かけた。午後からは青空になり紅葉が一段と見事だった。

都心に江戸の面影を求めて東京メトロ後楽園駅の南北を歩いた。まず水戸藩二代藩主徳川光圀の代に完成した小石川後楽園へ(下の写真の上)。園内を散策後、北野天満宮、傳通院(下の写真の下:千姫の墓)、沢蔵司稲荷、源覚寺など江戸の史跡を訪ねた。この地域の史跡探索は初めてで楽しいひとときを過ごせた。

冬至が近く16時を過ぎると薄暗くなる。打ち上げを終わり外へ出たらまん丸お月様、旧暦11月15日の満月が輝いていた。明朝は冷え込みそうだ。Img_10331 Img_10441_3

2011年12月 8日 (木)

余裕あり江戸期の旅がうらやまし

  文政五年(1822)正月二日(陽暦2月5日)板鼻(現安中市)の牛宿の主、金井忠兵衛がはるばる長崎まで旅をした。(お気に入りの本参照)

今、「金井忠兵衛旅日記」を読んでいる。B5版で上半分が当時の旅日記、下半分が上の現代語訳になっている。

全行程三ヵ月半、うち一人旅が二ヵ月以上で駕籠も馬もまったく使わなかった。

同書によると・・
“忠兵衛さんは伊勢参りの同行者11で板鼻宿を出発、名古屋で江戸廻りで来た同宿の6人と落ち合い仲間17名とで桑名に渡る。伊勢神宮参拝後、5人は松阪で別れて京都へ。12名になった忠兵衛さん一行は伊賀越えで奈良、吉野、高野山、和歌の浦を廻り和歌山へ。ここで7人は讃岐の金比羅山参りのために別れた。5人になった忠兵衛さん一行は大坂へ向かう。更に大坂で3人が金比羅山参りに向かい、1人が松阪で別れ京都へ向かった人と一緒になるために京都へ向かう。ここから長崎に向かっての忠兵衛さんの旅が始まった。”

名所旧跡、名物、食事、宿の良し悪しなどか書かれていて興味深い。
これらの感想は別途整理してみたい。

私も一人歩きの旅が大好きで、自分がこれまで歩いた区間で、忠兵衛さんと重なる部分も大分ある。そこは実際に現地で体感しただけに特に面白く感じた。

それにしても江戸期の旅人の健脚には驚かされる。
往路は冬で雪だったので1日の距離は短いが帰路は長い。例えば中山道の下諏訪宿から塩名田宿まで11里半(約45km)を1日で歩いている。それも和田峠を越えての旅だからビックリ。

確かに「大人の旅」のヒントが隠されているようだ。

2011年12月 7日 (水)

オレもまあ36年イエスマン

 “ワンマンにイエスマンを配したサラリーマン根性の集大成。半世紀前の気楽な稼業の感覚だったオリンパス経営。”(朝日新聞12/7夕刊「素粒子」)

自分のサラリーマン稼業歴36年を振り返ってみると・・
まあ、イエスマンだったかなあ、と思う。

社長が実質的な創業者なのでワンマン中のワンマンだった。
でも、社長は私の入社時は40代半ば、こっちも言いたい事は言った覚えがある。会社が成長し東証一部に上場されてからは次第に近寄り難くなった。社長との会食や社長の趣味の小唄を聞かされる席(当然宴席になった)でも全部ワリカン。それなりに公私のケジメをつけていたようだ。内心では「ケチ」だと思っていたが・・・。

年を経てからは人事異動の内示に逆らって取り消させたこともある。でも概してイエスマンだったかもネ。直言型の社員が飛ばされたり辞めざるを得なかった例を山ほど見てきたから、最後は言われたことはやったと思う。生活があるから・・ね。

辞めた後で考えて見ると会社人生は狭い世界だったと思う。
朝日新聞社の社員稼業は気楽だったかも知れないけど、自分のサラリーマン生活は気楽な稼業だったとは思わないネ。

今の経営者は更に世の流れに敏感でなければならない。また使われる方もそれなりの身の処し方を常に考えておかねば・・・。

2011年12月 6日 (火)

出勤にエールを送る朝ウォーク

  ここ数日続いた晴天が一転して今日は重い曇り空、午後には雨になるという。
今朝もカミさんといつも朝ウォークキングに出かける。駅とは反対方向へ約1時間歩く。今朝はとくに風が冷たい。

秋冬は6時半に家を出る。今は夜明け直後だ。
平日は道路に出ると、最初に出会うのは管理職風の中年男性だ。黒鞄を持ち、今は厚いコートを着ているが、頭はツンツルテンで季節に関係なく年中外気にさらしたままだ。こんな日は温かい毛糸の帽子をかぶせたいネ。私は心の中で「ハゲサラさん」と呼んでいる。続けて「いってらっしゃい。がんばって!」と気持ちを込めて心で送る。

続けて急ぎ足で駅へ向かう若いOL。いつも朝のお化粧が長引くのだろう。「ミス朝シャン」とでも呼ぼうか。12月はボーナス月だね。ガンバッテネ!

次ぎは自転車で来る女子高生、向かい風(われらには追い風)ではスカートがめくれるようで他人事ながらハラハラ、ドキドキする。わずか数秒で「スカメク」さんとはすれ違う。朝が早いからきっと都内の私立高校へでも通っているんだ。気をつけてネ!

その他さまざまは出勤・通学者に出会う。
それも毎日、寸分の違いもない時刻で・・。皆さんが社会を支え、日本を動かしているか、いずれは動かす人たちだ。こんな人たちにエールを送ろう!

ある週末、「おや!今朝はハゲサラさんと会わないネ」とカミさんに言った。
「馬鹿ネ、今日は土曜日じゃない」

2011年12月 5日 (月)

「女房と相談して義理を欠き」(古川柳)

 「お気に入りの本」でも紹介したが『江戸に学ぶ「おとな」の粋』に「不義理のすすめ」と題した小文が載っている。そこでは数少ない良品に囲まれた豊かな生活を勧めている。良品を大切な人と読み替えると交友範囲となる。

いわく“シンプルライフを実現できないか。還暦のあたりから、余分なものを削りおとすことを考えるべきであろう。”・・と。
還暦を過ぎて10年を越えたわが身もぜひそうありたいと思っている。夫婦二人の所帯には多くの品物や広い交際範囲は不要だと実感しているからだ。

年末ギフトのシーズンだ。
昨年末に贈物をいただいた数名の方には、次回はお止め下さいと礼状に書いて送った。それでも今年も何人か方から送られてきた。何とか止めていただきたい思うのだが・・。

人間関係にも触れている“私も、これから極力タテマエだけのつきあいはせばめていきたい、と思っている”・・とある。
年が明け新らしい年度がくれば新体制でさまざまな活動が動きだす。シンプル生活を一歩進めるためには今、行動を起こす時だ。

具体的に動こうと思っている。

2011年12月 4日 (日)

選べるか わが身最期の場所選び

 新聞の記事「人生の最期は自宅で迎えたい?」(朝日新聞12/3土曜日be版)が興味深かった。この問いかけに「はい」は50%、「いいえ」は50%とそれぞれ半々だった。

現実は、それぞれの思惑とは違い病院での死亡81%、自宅での死亡12%だそうだ。(2009年)“自宅で最期を迎えたくないの最大の理由が「家族に負担をかけたくない」だった。”死ぬ前の平均寝たきり期間は8.5ヵ月で「ピンピンころり」とはほど遠いそうだから仕方ないよネ。

間違いなく誰にも死は来る。死は誰でもが迎えるものだ。避けるわけにはいかない。腹をくくろう。忌み嫌うことではないと最近は考えている。

さて、わが身はどう思うか?
最期場所はどこでもいい。
通夜はできれば自宅で家族だけで送ってほしい。
葬儀は遺族が考えればいい。TPOで処理すればよろしい。本音は世間的には誰にも知られず静かに消えて行きたいと思っている。

上記のことを最近買った「エンディングノート」に書いておこう。
ただし、12月4日現在の心境だ。

2011年12月 3日 (土)

時雨れるやシャコバサボテン暖かし

 午前中は風雨が強かった。こんな日は籠もったまま・・。
昨日、インターネット回線を100MBから1000MBに変更する工事をした。工事後の片付けついでに朝から部屋の模様替えをした。寒くなったのでベランダに出してあるグリーンも中に取り込まなければならないので、そのためのスペースも作りたい。終わったのは夜の9時だった。

先月、寒くなったので外から窓際に移したシャコバサボテンが咲きだした。この季節の花、毎年のことながら心が和む。Img_10291

2011年12月 2日 (金)

プロアマが目を皿にして陰探す

 10月末の健診の結果について医師から来院せよのお達し。行って説明を受けたら右肺に約8mmの陰があるからCT検査をしたら・・という話だった。
レントゲン写真を見ると確かにそれらしい陰があった。アマの目からもハッキリわかった。

今日の夕方はそのCT検査だった。
「はい息吸って、そのまま」「楽にして下さい」の機械女性の繰り返しが何度かあって写真が出来上がった。「一緒に見ましょう」と医師、一緒に並んで写真を眺める。いや先生は写真をチェックしながら説明したんだ。

CTってスゴイね。いろんな角度から肺のチェックができるんだね。

ところが、どうチェックしても陰なんかどこにもないんだ。心臓と脊髄と肺の動きは完璧、画面で動いているのは血管を流れる血液だそうだ。

残念そうな先生・・
患者の私は言った。「先生! 陰がなくていいんですよ。あって困るのは私なんだから。家でもここ(医院)でも存在感がないから陰が出ないんですよ。今回はそれが吉と出たんですから喜んでくださいよ」
どうも先生、誤診とは言わぬまでも、陰を見つけられなかったことが余程悔しかったらしい。
1年毎に身体のアチコチが癌の疑いをかけられるわが身にとって、「またか!」が本音だ。いつかは本当の病巣が見つかるはずだからそのときは覚悟を決めればイイんだ。10年も付き合っていると言いたいことも言えるし、医師の得意不得意もよく分かる。

あれやこれやで40分近くかかった。終わって戻った待合室は患者でマンパイ。ご迷惑をお掛けしました。

2011年12月 1日 (木)

師走入り初日昼から忘年会

 本日の用事は午前中で終わり、昼からは近隣のお仲間6人と食事会を催した。

駅前の中華料理店で食べ放題、飲み放題で格安料金で楽しめた。これは食通の幹事さんのコネによるもの。やはり情報が大事だね。その情報は人が持っているから人脈は宝だ。

たらふく食べ、ビール、紹興酒、日本酒を飲み、話しが弾み、気がついたら12時半から始まった会は既に3時半だった。食べ過ぎ飲み過ぎた時は歩くに限る。45分ほど歩いて帰宅した。今、23時40分だ。夕食を抜いたけどまだお腹は空かない。このまま寝てしまおう。

昨夜は会社勤務時代にお付き合いした他社OBの皆さんとの忘年会。どうしても話題は業界や元勤務先の話しに傾く。例えばかつての部下が役員になったとか・・。途中で「そんな人も会社辞めたらただのオッサンだよ」と言ったら座が白けたような気がした。

今日は10年未満のお付き合いの方々、昔の会社、地位は関係ないオジサン、オバサンの集まりだ。身近に起こった出来事、遊ぶ話・・・。過去のしがらみがない分気楽だね。

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

無料ブログはココログ

お気に入りの本