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2012年1月 4日 (水)

小便の致しどこ無き花の江戸(古川柳)

  .年末から正月までに予定していた最後の本は「江戸のおトイレ」
(渡辺信一郎著、新潮選書、「お気に入りの本」参照)でした。読み
終わりました。
尾籠なお話で申し訳ありませんがしばらくお付き合い下さい。

“水洗便所が一般的な現代から、当時のトイレ事情を窺い知ること
は難しい”とありますが、なにも江戸期に戻らなくてもつい40年以上
前に戻ればいいんです。

子供の頃、たまに訪ねた祖父母の家は農家で、トイレは外にあり肥
樽に2枚の板が渡しあるだけ、特に子供心にとって夜間の排泄は怖
かった・・・。

地方の高校を卒業して兄がいた横浜市西区のアパートに移りました。
もちろんアパートのトイレは共同で汲み取り式。便壷の中は丸見えで
した。

水洗になったのは結婚して新居を購入したときでした。以後の便器の
発展はご存じのとおりです。40歳以下の方々には確かに想像もできな
いでしょう。

ところで路地などの家の前に「小便無用」の小さな立札を見かけますね。
場合によっては鳥居のマークが一緒に書かれています。
この札は京都にはなさそうです。これには歴史があるとか・・。

「小便無用札は無い京の町」(古川柳)
「江戸を見よ小便などは垂れ流し」(古川柳)
江戸と京都ではシ方は違ったようです。

“江戸の町では、小便は肥料にならないという考えから、道端の溝に垂
れ流しが通例であった。男たちは平気で立小便、女たちも人気がなけ
れば蹲居して道端で放尿した。”

上方では尿も蓄えて肥料としたので、町の各所に小便桶が置かれ、い
わゆる公衆便所の役割を果たしていた。
京女は立って、江戸の女は蹲って用をたしたわけです。

江戸期と同じ頃のヨーロッパ、パリなどでは排泄物を窓から放り投げて
いたとか、その頃、日本人は糞尿を肥料として使い、循環型社会を築い
ていたわけです。

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