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2013年5月12日 (日)

「国境(くにざかい)美濃の方では油断せず 古川柳」

 13年前の2000年5月25日、近江中山道の鳥居本宿から武佐宿
まで歩いたとき、愛知川~武佐間で見たのが「てんびんの里」の
石碑と、その上の天秤棒を下げた商人の像です。(下の写真)

滋賀県神崎郡五個荘町(現東近江市)にあります。

いわゆる「近江商人」の発祥の地です。
いったい、どんな「近江商人」とはどんな姿だったのか?
・・と気になって13年、やっと資料(本)を読むことができました。
「近江商人」(末永國紀著、中公新書)です。

サラリーマン時代、30年以上も流通業に携わりましたが、わが国
の流通の歴史を学生時代も含めて学んだことはなかったのです。

本書によれば・・
近江商人の創業期は、確かに天秤棒を担いで全国を行商してい
たが、時代に下がるにつれ、持下り商法から産物廻し商法へと広
域志向の経営システムに移っていった。


また、多店舗展開、乗合商い、在所登り制度、帳簿(腹式簿記)組
織、輸送と旅の組織化など独特の特色があった。

今流でいえば、商品、情報、物流、人材育成などのシステムを整備
しながら発展してきた流通システムといえるでしょう。

第Ⅵ章「相伝の遺言」で商売遺訓の例を紹介していますが、商売で
はごく当たり前のことばかりです。
でも、永続して守るのは難しい!・・波風が高い時ほど眼前の功利
に走るからです。

わが国の近代化が中国や朝鮮に比べて早くできたのは、江戸期の
商業流通の蓄積が大きかったと思います。名主や庄屋の在所富裕
層の厚みもありますが商人の貢献も大きかったはずです。

この時代、都で儒教の空理空論ばかりに明け暮れ、庶民から搾取
するばかりで、中間層の活躍することがなかったどこかの国とは違
います。やがて過酷な帝国主義時代へ。どちらが生き残れたかは
歴史が証明しています。一時期を区切っての歴史認識は必ずしも
的を得ていないのです。Img_20130512_0001

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