一茶来て百万石が通る道
前半は、信越本線北長野駅から北国街道へ出て新田宿を経てJR
牟礼駅まで歩きました。3時間35分の歩行でした。
お天気は文字通りの五月晴れ、木々の緑、春の花がイッパイの旅。
後半は、牟礼駅から黒姫駅へ電車で移動、黒姫駅から一茶旧宅、古
間宿、落影立場跡、小玉坂、牟礼宿を経て牟礼駅まで4時間の歩行
でした。柏原と牟礼の標高差を考え下りの道を選らんだのです。
柏原を最初に訪れたのは60年以上も前、街並み、街道の様子はすっ
かり変わっています。そんな中で土蔵だけが健在でした。
今日1日の歩行実績は、総歩数43600歩、総歩行時間8時間余、総歩
行距離約26kmでした。
北国街道・田子地区にある旧飯山城裏門です。明治天皇の小休止跡碑
が建っています。飯山で中学まで過ごした私にはひとしおの感慨でした。
江戸へ奉公に行く15歳の一茶を、父は柏原宿から牟礼まで送ってきた。
場所は特定できないけど、一茶の句碑を行人塚に建て、裏に別れの文
が刻まれています。藤沢周平の小説「一茶」はここから始まっています。
碑の表には「父ありて有明みたし青田原」とあります。
ここからは北信五岳(黒姫山、妙高山など)の見事な山容を望めます。
柏原宿の一茶旧宅です。左奥に一茶が生涯を閉じた土蔵が見えます。
右は復元された弟の家、文政の大火前は左の石碑から写真右端まで
の間口があり、この家を左右で分け隣り合って生活していたそうです。
一茶の7代目の子孫が写真左側で茶屋を営んでいます。
小玉坂の急坂を下ると牟礼宿。写真は牟礼宿枡形の十王坂です。
シダレ桜が咲く頃は更に街道を彩ることでしょうね。
牟礼宿は江戸と加賀金沢の中間とのこと、中間点を示す自然石の
碑が、小玉坂寄りに立っています。
加賀藩の参勤交代では約3000人の行列が通ったと言われています。
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