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2014年10月24日 (金)

昔より今の課題が迫る旅

  昨日のブログに予告した旅を実行した。

奥州道中の喜連川宿から大田原宿までの約18kmを歩く予定で家を出た。

今年5月10日に宇都宮宿から喜連川宿(約25km)を歩いたからその続きになる。

JR宇都宮線氏家駅着が7時13分、7時35分のバスで喜連川本町7時52分着
わずか17分の乗車で520円。地方の民営バスは高い、乗客は4~5人だった。

前回寄らなかった龍光寺(喜連川足利家の歴代墓所がある)へ行く。
喜連川藩は足利尊氏の流れを汲む「古河公方」の格式を誇り、徳川幕府も参勤
交代の義務を免除するなど、普通の大名と別格の「賓礼の扱い」をしていたという。


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喜連川宿はずれの内川を渡って11.2km先の佐久山宿を目指す。
この区間、案内書には史跡の類は一切記載がない。ただひたすら歩く。
古道が全部舗装道路に埋まっているわけではないはず。
例え一部でも昔道があればいいのだが案内書にもそんな記述はない。

2時間半歩いてさくら市(合併で喜連川はさくら市に)から大田原市に入る。
写真右側の道路が奥州道中だ。こんな道が延々と続く。

Img_3216

ここから更に1時間歩いて佐久山宿着。
思ったより人家が多い、ただし人影が見えない。たまにいる人は高齢者ばかり。
町はずれの箒川の河川敷公園で昼食を摂った。写真は佐久山下町の通り。

Img_3217

佐久山宿から2時間で大田原市内を抜けて大田原城址着。ここまで29000歩だった。
途中、間宿だった八木沢宿(大きな家が多かった)を過ぎるとまっすくな1本道。
先の大戦前は3kmに及ぶ松並木だったそうだが松根油のため伐採されたそうだ。

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今回のウォーキング旅行、史跡より今の地方の課題を感じた旅だった。
まず、道路はどこへ行っても立派だ。しかし、高齢化が著しい。車がなければ生活
できない。買物、病院への通院など高齢の単身者には厳しい環境が迫っている。
過疎化でバスの本数が減り、しかも料金が高い。それも乗客はごく僅かだ。

大田原市内は市営バスが循環していて便利だが、市内で目立つのは車ばかり。
恐らく買物客は車で大型店が集積する地区へ出かけるのだろう。商店街には人気
がない。

帰路はバスでJR西那須野へ出た。
広大な工業団地は更地のまま、目立つのは赤十字病院ばかり。それに広い道路。

いっそ、首都圏機能をここ那須野ヶ原へ持って来てはどうだろうか?
水も豊富、空気も旨い。情報通信が発達で何も全部が東京一極でもあるまい。

こんなことを考えながら上野行きの電車に乗った。
この日の歩数は35500歩、経費は全部で4,603円だった。

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