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2015年3月

2015年3月31日 (火)

「本丸に立てば二の丸花の中 鷲谷七菜子」

  今日も花便り・・。
隣市の城址公園に朝桜を観賞に出かけた。

5時前に起床、5時半にカミさんと家を出て1時間半歩いた。
朝日に照らされた桜は神々しかった。この一言がすべてだ。

写真はタイトルにあるように旧本丸跡ではなく城の出丸跡だという。
旧本丸は現在はガソリンスタントになっていて昔日の面影はない。

今日も、明日からの生活もこんな色であってほしい。

今年3回目の花見だが、この風景をしっかり胸に刻んでおこう。

ところで・・
今日はわが夫婦の結婚記念日だ。47回目になる。
47年前のこの日も、素晴らしい青空が広がっていた。

新婚時は、前途洋々で夢も大きく溢れていたような気がする。
今は「ハンカチで包めるほどに夢縮む」・・と、いったところか。

でも、まあ健康でここまで生きて来た。
子どもたちも何とか自立して生きている。
今は幸せで良しとしよう。


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2015年3月30日 (月)

ポカポカについうかされて花見かな

  ず~と使っていた家の固定電話がついに使えなくなった。

親機に子機2台のうち、子機2台に内装されている電池が劣化して充電機能が
できなくなったようだ。昨夕、通話中に突然通話が途切れてしまったのだ。

思い切って買い替えることにした。
固定電話の最大の使用者であるカミさんと家電量販店へ出かけた。

このところの気温で桜の花が一気に開いたようだ。車から見る景色も鮮やかだ。

買物が済んで電話機の設置も15分で完了。
あまりの上天気、暖かく春の日差しがサンサンと注ぐ、そうだ花見に行こう!
花見をして、昼食もどこかで外食だ・・と意見が一致、隣市の公園へ出かけた。

ところが渋滞がひどい、駐車場は満杯、諦めて国道を越えた運動公園へ向かう。
こちらはどこもガラガラ、川沿いの遊歩道にも人影は皆無。桜は満開(写真)

ユックリ公園内を回って散策を楽しんだ。レストランで食べた食事も良かった。


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2015年3月29日 (日)

「雉子若し春の彼岸をかきわけて 中山純子」

  朝7時、カミさんが「ちょっと来て」と呼んだ。
「シーィ」と音を当てるな、と唇に指を当てている。

彼女は黙ったまま、わが家の2階から窓の外を指さした。

なんと・・
家の裏の畑(近くの農家の耕作地だが手入れが悪く荒れ果てている)に
一羽の雉子が佇んでいた。(下の写真) ときたま鳴き声をあげている。

駅から4~5分、周りには田畑があるがすっかり住宅地になった所だ。
それに川と道路と住宅に囲まれて野生の雉子が入り込む所ではない。

この場所に住んで約半世紀、カモは来ても雉子が来たのは初めてだ。
もっとも少し歩けば自然がイッパイだから雉子自体はよく見ている。

歳時記によると、「雉子」は春の季語で繁殖期は春から初夏にかけてだと
いう。この雉子はきっと雄で恋の相手を探しているんだ・とカミさんは言う。

「こいつは朝から縁起がいいや!」
鳴き声を聞いているこっちの住宅はシニアばっかり、たまには恋の喜び
を聞くのもいいもんだ。例え鳥の鳴き声でもネ。

「雉子鳴いて忘れた春を思い出す」

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2015年3月28日 (土)

時間的締まりがあれば負け試合

   ますます暖かくなった。
厚着を脱いで出かけたいが、花粉が多いというので躊躇してしまう。
少し外歩きしただけで目がチカチカ、鼻ムズムズ、クシャミ連発・・。

スポーツの盛り沢山だ。選抜高校野球に加えてプロ野球、夜はフィギア
スケートのTV中継があった。もっともフィギアは録画で結果はネットでわ
かっていたけど・・。

プロ野球は混セと言われるセ・リーグが面白くなりそうだ。
巨人が大敗したのも、セの前途に何かを暗示しているような気がする。

ユックリ本でも読んでいたいんだがいろいろ気になって気が乗らない。
野球の終わる時刻が読めないのもその一因かも知れない。

せわしくチャンネルを変えるのも億劫だし面倒だ。
野球型よりサッカー型の方が時代の流れに合っているかも知れない。

オヤオヤ・・、ご贔屓球団、見事に完封を食らって負けてしまった。
試合時間が短くて結構だが結果が悪い。上手くいかないものだ。

2015年3月27日 (金)

成長の脱皮にしては騒ぎ過ぎ

 大塚家具のお家騒動は勝久会長の娘の久美子社長側に軍配が挙がった。

どっちが勝っても茨の道が待っているのは事実、それならどうする?

私だったら、経営は次代に任せて口出しはしない。
会社が潰れても、それはそれで後継者の選定と育成を怠った結果だと諦める。

会長は私と同世代、まず先がない。世の流れに柔軟に対応できない。
昔の成功にこだわり頑迷になっているのが普通だ。いざぎよさが必要なんだ。

私が勤めた会社も入社時は東証1部上場企業だったが、当時は実質的に家族
経営だった。役員会には役員ではない社長の奥さんまで出席していた。

その後、規模が大きくなるにつれて普通の会社へ脱皮して行った。
首を切られた社長の義兄弟とはいろいろあったと思うけど表面化しなかった。

高学歴の子息やその仲間が後継者として入社してきたが上手く行かなかった。

大塚家具はこうした過程での出来事だと思う。
ただ、これだけ経済がグローバルし先が読めない時代に娘が適任者かどうか
は不透明だ。

後継者争いがゴールではなく、何周かの遅れのスタート台に立ったばかりだ。
間違いなくゴールが遠のいたわけだ。

改革に学歴も前職も関係ない。かえって高学歴がジャマをするかも知れない。
ストーリーは始まったばかりだ。外野席からそのドラマを見させてもらおう。




2015年3月26日 (木)

大先生見込み違いで匙投げる

   聖学院大学学長で政治学者の姜尚中氏が、同大学の学長を3月で辞任すると
いう記事が週刊誌に載っていた。

この大学は埼玉県上尾市にあり、定年後、ここで学んでいる旧知のシニアも多い。

初めて知ったが、同大はプロテスタント系で幼稚園から大学まで有する総合学園
で、姜先生も30代に上尾市に住み洗礼を受けているそうだ。

記事によると、この縁で「姜尚中氏は、2013年4月に学長含みで三顧の礼をで迎
えられ、翌年4月から任期5年の学長に向かえられた」とある。

辞任の背景には、「いろいろ改革をやりたかったようだが、全てはたたき上げの教
員や牧師で構成する理事会の同意が得られなかっただようだ。姜先生は、想い通
りのガバナンスが出来ず匙を投げたと思う」・・と記者はまとめている。

有名な先生だし大学も遠くはないから、公開講座など機会があれば参加したいと
思っていたけどそれも叶わぬこととなった。

理論は立派でもそれと大学経営の能力とは別のものだ・・と知ったならさっさと辞め
た方がいいかも知れない。ひっそりと辞めるようだが、その方がいいと思う。

2015年3月25日 (水)

ホルモン剤髪の毛までも伸び止める

  強い風が吹き荒れている。

哀れにも満開の庭のハクレンの花が吹き飛ばされている。
毎年のことだが花の命は短いとしみじみと感じる。

カミさんに言われて理髪店にカットのために出かけた。
そう言えば指摘されるまで頭髪についてそんなに意識していなかった。

前回はいつカットしたかを調べてみた。
今年の手帳に記録がなく、昨年の手帳に12月下旬にカットの記録が
あった。実に3ヵ月ぶりの理髪店だ。1ヵ月半毎が普通だったのに・・。

どうしてこんなに間隔が空いたのか?・・と考えた。
昨年は12月初頭には持病対応で男性ホルモン抑制剤を飲用していた。
その結果、髭の伸びが緩慢になり、毎朝の髭剃り回数が半分になった。

腋毛もすっかり無くなった。体が女性化しているようだ。気味悪いネ。

持病の主要マーカーも1/3に減ったから、案外、この治療の副作用
かも知れないね。

ちなみに、経済的には薬代のほうがはるかに高い。
無病で頭髪がドンドン伸びた方がいいに決まっている。

3ヵ月ぶりだったけど、店の理髪師さん(女性)は私の顔を覚えていて
愛想よく前回と同じようにカットしてくれた。気分スッキリ!

2015年3月24日 (火)

石段を上る静寂ここ都心

 古里以来の旧友たちとの親睦会で東京都心へ出た。

こんな時は東京の街歩きを楽しむことにしている。。
30年以上通勤で都心へ通ったが、概ね自宅と会社の往復だった。

まだまだ訪れたことのない所もあるし日々街も変わっているから思わぬ所で
思わぬ発見もある。そんなことで早めに家を出た。

東京メトロ銀座駅で下車し銀座通りを新橋へ向かう。今夕の会場は新橋駅の
すぐ近くだ。相変わらず中国人と見られる観光客が多い。

新橋駅前から日比谷通りへ出て通りを南へ向かう。

芝郵便局で右折、慈恵医大付属病院前から愛宕神社へ向かう。
病院の中へ入ってみる。常識的な白一色の内装でなく緑色も使われていて落
ち着いた雰囲気だ。これなら患者さんも気持ちも癒されるだろう。

日本で初めてラジオ放送が始まって90年、愛宕山の木々の中にNHKの建物
が見える。この愛宕地区に足を入れるのは初めてだ。

愛宕神社の石段(写真上)を上る。都心の喧騒が嘘のような静寂さだ。

85段の急階段を上がると愛宕神社(写真中)だった。参拝者は数人で外国人の
観光客もチラホラ。小ぶりでいい神社だね。

同じ石段を下りて虎の門ヒルズ(写真下)前へ、ここ虎の門ヒルズへ入って見た
かったが時間の制約もあり断念、新橋の親睦会場へ向かう。

アチコチ体が痛いから始まっ飲み会、予定の2時間を越えてたちまちお開きに。

店を出て、なるべく裏通りを抜けて東京メトロ三越前駅まで歩く。
残業を終えたサラリーマンが家路を急ぐ、出勤する銀座ホステスの香水が匂う、
昼夜の役者が入れ替わる時間だね。

あれやこれやで今日は朝から夜までに23300歩、およそ15km歩いた。
酒の酔いと疲れで今晩はグッスリと眠れそうだ。

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2015年3月23日 (月)

「がん患者」生きていてこそ書ける本

  ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が書いた「がん患者」(講談社版)を読んだ。
健康・医療フォーラムで抽選に当たったもので鳥越氏のサイン入り本だ。
(「お気に入りの本」参照)

“大腸がん発覚から5年、手術4回、ステージ4のがん患者が、告知、手術、
治療、転移、仕事、家族、死ー 「がんと生きる」すべてを記録した”(帯表紙)

ジャーナリストらしい観察眼で自らのがんを冷静に綴っている。

がんの部位は違うが、私も発覚から3年、告知、手術、治療まで同様な経過
をたどっている。同じ経験をした者として十二分に気持は伝わって来る。

確かに強い精神力で次々と乗り越えていく氏の生きる力には圧倒される。

さて、同じ病の患者が本書を読めばどんな感想をもつだろうか?

氏のレポートに何か物足りない気持ちを持ったのは私だけだろうか?

むしろ、氏と対照的に治療空しく亡くなっていった幾多のがん患者さんの方
に学ぶべき事例が多いように思われるのだが・・。
残念だが、亡くなった人たちは全くの無言だから訴えにならないだけだ。

鳥越氏の例はむしろ稀有な例で誰でもたどれる道ではないんだ。
例えば、最高の医療機関、最高の医療チーム、思いやりのある家族、適切な
検査などに囲まれたがん治療がすべての人に当てはまるわけではない。
だから、この手の本が売れるような気がしないでもない。

経済力や地域差の問題もあるだろう。

こういった社会的な側面からも自身のがんを見つめてほしかった・・と思う。

2015年3月22日 (日)

青空にこれ見よがしに桜花

 今日も花便りとしよう。

朝の散歩コースをちょっと外れた所に早咲きの桜の大木がある。
この季節になると、散歩コースを外れてカミさんと早朝に観桜に行く。
ちょっとした高台で富士山もハッキリ眺められる。

今朝は今年初めての花見となった。

ここの垂れ桜と品種不詳の桜(写真下)は一足先に周りより早く咲く。
垂れ桜はもう散ってしまった。

青空に枝を広げて朝陽に輝いている姿は美しい。神々しいくらいだ。

残念ながら品種がわからない。八重咲きは確かなんだが・・
ソメイヨシノでないことは確かだ。

今日も気分よし!

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2015年3月21日 (土)

無理やりにこっち向かせて写真撮る

 わが家の庭は春爛漫、目を下に向ければ椿の大輪がうなだれていた。
花を起こして支えをしてシャッターを切ったのが下の写真(上)

目の上にはハクレンの花がビッシリ!、花が上向きでカメラが届かない。
脚立に乗って撮ったのが下の写真(下)

風が吹いてハクレンが散る頃に桜が咲く。自然は確実に移ろっている。


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2015年3月20日 (金)

被害者は苦を引きずって二十年

  20年前の3月20日、あの忌まわしい地下鉄サリン事件が起こった。
もう20年も経つのかが実感だ。メディアもサリン事件の特番が目立つ。

当時、私は通勤に地下鉄日比谷線(北千住~人形町)を使っていた。
この日はたまたま勤務を休んで栃木県のゴルフ場へ行っていた。
ゴルフの休憩中に事件の報道に接した。
なんらの理由でゴルフを中止していたら事件に巻き込まれたかも・・。

次女も通勤で北千住から茅場町まで日比谷線利用だった。
当日、次女は事件に遭った電車の1本前に乗っていたという。
カミさんは彼女からの電話で無事を知ったという。

少しズレただけで不幸が、自分や家族に降りかかってくる現実を感じた。

事件に巻き込まれて亡くなった人のご家族、いまだに負傷の後遺症で
苦しんでいる人たちの悔しさは察して余りある。

事件を知らぬ世代が広がってきている。
格差社会に希望を失くした若者がこうしたオカルト集団に参加しないよう
注意する必要がありそうだ。

2015年3月19日 (木)

撃ち合いで日本の流儀通じない

  18日、チュニジアの首都チェニスで武装グループが博物館を襲撃し、外国人ら
19名が死亡した。日本人3名が巻き込まれて死亡した。また邦人3名が負傷。

亡くなった方々にはお悔やみを、負傷された方々にはお見舞いを申し上げたい。

私は海外で事件に巻き込まれた経験はないが、初めて米国へ出張した1970年に、
彼の地では空港などには自動小銃を持った警備員が巡回しているのに驚いた。

ヨーロッパも極東ソ連のハバロフスクでも同様だった。

このことは・・
事件で撃ち合いがあれば犯行側、警備側とも容赦はしないことを示している。
日本では人質があれば犯人側を説得するのが一般的だが、これは海外では通用
しない。

アメリカでは一般市民も車の中に銃を置いているのが普通だ。

ISなどの出現で世界はますます騒然となっている。
日本流の安全は通用しないと思って出かけることが求めれられると思う。

特に観光では危険地域には近寄らない、
それでも出かけたら現地情報も十分吟味して行動する。

最悪の場合も考えて覚悟を決めての出発も必要だと思う。

2015年3月18日 (水)

山茱萸の文字を読めずに花を愛で

  いつもの散歩コースにある木に今年も黄色い花が咲いた。

幹の高さは2mくらいだろうか?
幹と枝に沿って小さい黄色い花が少しずつかたまって咲いている。

幹の下に花名が書かれた小さなタグがついている。
花名は「山茱萸」・・とある。

恥ずかしながら読めなかった・・
去年も花名を調べて覚えたはずだが、私もカミさんも思い出せない。

今日は、帰宅してしっかりと調べた。「ヤマグミ」だった。
歳時記を見たら植物名は「アキグミ」だという。

初夏に花が咲くというから種類が違うかも知れない。
細かいことは別にして、読めなかった文字が読めたので気分スッキリ!

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2015年3月17日 (火)

「はくれんを手燭のごとく延べし枝 轡田 進」

  今、夕方の5時だが部屋の中では22度もある。

すっかり春の気配だと思っていたら気温が下がる日もまだあるらしい。

ポカポカ陽気に浮かれて外出したら鼻ムズムズ!目がチカチカ!
まだまだ、花粉症対策には気を抜けない状態が続くようだ。

庭の白木蓮(白レン)が咲きだした。一部は花びらが大きく開いている。
歳時記にば白木蓮は木蓮とはまったくの別種だとある。初めて知った。

この花が咲く頃は強風の季節だ。
花には長く咲いていてもらいたいのだが、その期待を強風が裏切る。
わずかな期間だけど花を観賞しよう。

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2015年3月16日 (月)

ガン細胞疲れて少し中休み

 3ヵ月毎の持病の検診日で大学病院へ行った。

この3ヵ月間、最初の1ヵ月はホルモン療法による副作用で苦しんだ。

今日の検査数値が一定値を超えていたら、また同じ苦しみに耐えなければなら
ない。
採血が終わり検査結果が出て、医師から説明があるまではやはり心配だった。

結果は・・
3ヵ月前の数値の1/3になっていた。
ガン細胞も疲れて一休みといったところか、ほっと息をついた。
これからの3ヵ月は薬なし、これはめったにない朗報だ。

覚悟はしているつもりだが、ふっと不安がよぎるのも生身の体なら仕方ないよね。

暖かい日でウキウキしながら1万歩歩いて帰った。

2015年3月15日 (日)

新聞を替えてみようと決断す

  4月から現在購読中の新聞を止めて別紙をとることにした。
別に勧誘員に乗せられたわけではない。

今の新聞以外に1度も浮気(併読はあるが)したことがない。

いわば私も家人も長年、新聞記事については、この新聞によって頭に擦り
込まれてきたようなものだ。

ホントは2~3紙を併読し、記事の比較をしたいのだが経済的にも辛いの
で切り替えで済ますことにした。
それに、集金日が購読月の中頃というのも気にいらない。サービスが完全
に終わっていないうちに集金はないだろう。

4月からの購読を販売店に連絡したら、さっそく販売員が挨拶に来た。
無料の洗剤とカタログ(掲載の複数の商品から好きな物を無料を選べる)
を置いていった。

今の新聞をこの地でとって45年以上、長期購読者としてのサービスを受け
た覚えはない。
・・なのに新規購読者にこのサービス、たかが半年契約者にだ!

この業界もなにかオカシイね。



2015年3月14日 (土)

東京とまさかまさかの直通に

  私にとって、今日の最大のニュースは北陸新幹線の開業だ。

私は4歳から18歳まで、北陸新幹線の長野より1つ先の飯山市(当時は町)で
過ごした。父の任地だったからだ。小学校、中学校はこの地で学んだ。

上京した思い出は、小学校入学前だった終戦直後に母と東京・大森まで荷物
を運んだ記憶がある。上野駅では孤児が溢れ東京は焼け野原だった。

当時は長野で信越線に乗り換え、軽井沢でELに取り換えて碓井峠を越え、横
川、高崎で更にSLを取り換えて上野に着いた。8時間以上の旅だった。
中学校の修学旅行先は東京だった。その行程は上記と変わっていない。

以降、鉄道の整備は進み、ついに今の家からでも飯山まで2時間足らずの距離
になった。70年かかって距離は1/4になったわけだ。まさに隔世の感だ。
しかも東京から直通とはネ! もちろん世中も大きく変わったけど・・。

もう飯山市には親類縁者は誰もいない。小中学校の同級生とも没交渉だ。

ここ数年、飯山市のみならず上越市、糸魚川市、富山市、金沢市、福井市など
を旅をしている。北陸新幹線の工事の最盛期だった。

こうした沿線都市がどう変わっていくか興味深い。
それぞれ発展して欲しいと願っている。新幹線開通は目的でなく手段だから・・。

この5月には長野市で恒例の高校クラス会がある。
この機会に長野から先の飯山から北陸まで足を延ばそうとも考えている。




2015年3月13日 (金)

看板が泣くよお好み食い損ね

  カミさんと車で茨城県にある道の駅へ野菜を買いに行った。
買物の他に昼食も目的で、ここの十割ソバを食べたかったんだ。

買物が終わって、レストランに入ったのが正午を20分ほど過ぎたくらい。
十割ソバの大きな看板が目立つ店内、さっそくお好みのそれを注文したら、
今日は既に売り切れとのこと。

昼食時でお客さんも多かったけど、食卓は満員御礼という状態ではない。
まだ12時半を少し回ったばかり、メイン食材が品切れとはね!

他に食堂も見当たらず別メニューで昼食を済ませた。残念!

今日は暖かった。空調でなく窓を少し開けたかったが花粉が多いとかで
諦めた。こんな日は大気をいっぱいに吸いたかったんけど・

2015年3月12日 (木)

そこはかと春の気配が忍び寄る

  今朝の散歩は1人だった。
昨夜、カミさんの帰宅が深夜だったからだ。娘夫婦、孫の応援クタクタと
いうことでまだベットの中にいる。

遊水地の遊歩道で陽が昇った。予報どおりの6時3分だった。(下の写真上)

1時間半後には梅の花が咲き誇っているほとりを歩いた。(下の写真下)

朝は少し寒かったけど風もなく穏やかで気持ちが良かった。
桜の季節まで今少し、春はもうそこまで来ている。


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2015年3月11日 (水)

鹿追いに山は見えずと言うけれど

  共働きの娘夫婦、年度末も絡み超多忙だ。
婿殿は出張、娘は連日の残業続き・・。

あおりを食ったのが孫とわが妻だ。
そんな時に孫の急病(大したことなく沈静化したけど・・)だ。

電車で往復3時間、保育園の送迎、小児科での診察、娘宅での見守り
などカミさんが駆りだされている。 老齢のバアには辛いらしい。

連日のカミさんの応援を見ていてこんなことを思った。
家族の応援で追われていると、つい見落としがちなのが子育てに関す
る社会的なシステムだ。

保育園、病児保育、延長保育システム、幼児医療費の無料化などなど
の公的な子育て支援策は、一応揃っていると思う。

ところが・・
親の職場環境が少子化対策に弾力的に運用されていない。
つまり、ワークシェアリングなどで子育てを支援する体制になっていない。

娘夫婦の勤務先は1部上場企業で、一応の子育て支援策もあると聞い
ているが、今回は決算期も同じとあって忙しさが重なったようだ。

大企業がこんな有様だから、中小企業では祖父母の応援がなければ
働きながらの子育てはできない。地方出身者ではムリだね。

女性活用で成長率アップというけれど、今のままでは労働密度は高ま
りこそすれ減ることはない。そして少子化は続いていく。これが現実だ。

2015年3月10日 (火)

その夜は空一面に米軍機

  今日は、西高東低の気圧配置で晴天強風の日だ(まだ風が強い)。

70年前の3月10日未明も同じような天気だったのだろうか?

乾燥した空気、強い風の中、焼夷爆弾のじゅうたん爆撃を受けては木造家屋
の日本ではひとたまりもなかった。10万人死亡とはとてつもない規模た。

各メディアではこの東京大空襲70周年を大々的に報道している。
しかし、その報道も一過性ですぐに忘れ去られる運命にあるように思う。

事実、明日は東日本大震災の4周年、震災記事が大きく明日の紙面を埋める
はずだ。もっと継続的に大人災があったという事実をPRをすべきだと思う。

そして・・
2度とこんな惨事を起こさないよう平和維持に努力する決意を掲げてもらいたい。
それも線香花火のようでなく継続的に行うことだ。

浅草の浅草寺も燃えてしまった。
今、その浅草には大勢の外国人観光客が訪れている。
70年前に国のかじ取りを誤ったばかりに大惨事を招いた事実と、その後の平和
への取り組みを世界にPRするには絶好の場所と時期だと思うけど・・。

私は中央区の隅田川に近い会社に30年間勤務した。両国橋もそう遠くない。

勤務の30年間、かつてこの地で10万人が亡くなった歴史を肌に感じたことはない。
ただ、当時9才だったという職場の先輩が、母親と逃げ回ったという話を聞いた。
その時のものだという片腕から背中にかけての大きな火傷の痕を見せられて凄か
ったという思いを持ったくらいだ。

このことは・・
日本の近代史がまともに学校の授業で消化されていないことに原因がありそうだ。

惨事の経験を語り継ぐとともに、政治がかつての方向に向かわないように監視す
るのが後の世代の役目だと思う。


2015年3月 9日 (月)

メルケルさんお話聞けず無念です。

 今日、ドイツのメルケル首相が来日した。

この日、(財)ベルリン日独センター主催の講演会があるというので、先月
い申し込んでおいたんだけど・・。

応募多数の場合は抽選の上で招待状を送るとあって、昨日までに招待状
が届かなかったから抽選に落ちたんだね。残念だけど仕方ない。

ドイツにはそれなりに思い入れがある。
学校でドイツ語を習ったし、現地へも旅行した。

ロンドン郊外での業務研修で、ドイツ人と数か月間一緒だった。
考え方もしっかりした人で、はっきりと言う自分の意見が印象的だった。
これがドイツ人かと推測もした。

メルケルさん、原発政策などの考えを日本の政治かに伝えて下さい。


さて、招待状は来なかったけど別のハガキが届いた。
それは、予て申し込んでおいた「東京駅開業100周年記念Suica」について
だった。
申込者が何百万人とか、発行完了まで1年かかるとか、いつ送るかは別途
知らせるとか・・の内容だった。

こんなものはいつでもいいんだけど、招待状と間違えた束の間の喜びだけ
が虚しく心に残った。





2015年3月 8日 (日)

爆買いも平和のお陰共によし

 中国人観光客による爆買い、8日の東洋経済オンラインによると2月の春節は
まだ序の口だという。

都心の百貨店にとってはまことに慈雨だったし、この慈雨が更に続けばそれこそ
天の恵みとして神に感謝しなければならない。

記事によると、桜前線が北上するにしたがって観光客も北上する。地方の百貨店
にも慈雨がもたらされそうだという。

考えて見れば、これも平和のお陰だね。
国の指導者たちが、メンツをかけて政治のやり取りしているが、その政治に参加
できない中国国民はわれ関せずとせっせとニッポンでお買い物だ。

いずれ買物も一巡する。日本商品の確かさは十二分にわかってもらえたと思う。
そうなれば今度は、ホントに旅を楽しむ段階になる。

ニッポンの文化、人情、親切さ、食べ物の美味しさ、安心・安全などわかってもら
えば国民間の争い事も大きくならない。時間がかかるがぜひそうなってほしい。

間違っても武力など使わないよう両国の政治指導者にお願いしたい。

2015年3月 7日 (土)

「梅雨入るや ついうかうかと五十年 頼藤和寛」

   私にとって、深夜の1時過ぎから3時頃までは貴重な読書時間だ。
夜9時過ぎに寝るので、どうしてもこの時間に目が覚める。

この未明、「わたし、ガンです ある精神科医の耐病気」(頼藤和寛著、文春文庫)と
「韓国人が暴く 黒韓史」(シンシアリ著、扶桑社新書)の2冊を読み終わった。
 (両書とも「お気に入りの本」に記載)

前者の「わたし、ガンです ある精神科医の耐病気」は稀に見る良本だった。
作家の田辺聖子さんが自作で褒めていた気持ちがわかった。

著者は精神科とはいえ外科医の経験もある現役の医師だ。

「52歳で直腸ガンになった体験記。検査・手術・抗ガン剤治療などを詳細にレポー
とし、そこから見えてきた諸相を本音で分析」(同書の表紙裏)している。
そう、「闘病記」でなく「耐病記」なのだ! あくまでも冷静な観察だ。

直腸ガンではないが、同病相憐れむの悩む私にとっても為になった。

ガンの治療方法は現在のところ以下の3つ方法しかないそうだ。
 刃物で切り取る(手術)、細胞毒を与える(抗ガン剤)、放射線を浴びせること。

上記に代わる療法(代替医療)は、まだ3つの落ち穂拾いみたいなもので、強いて
挙げればBRM療法で、それも未だ評価が一定していないという。
ガンを克服した人たちが目につくが、言い換えれば多くの人たちが克服できずに亡
くなっていることを示している。亡くなった人たちは声をあげないから・・。

まあ、根本的な治療法は、まだ確立していないと見た方がよさそうだ。


そうなら・・腹をくくるしかない。

本書は終章で(「6.寸詰まりの人生」)で人生論を述べている。
タイトル句はこちらの章からお借りした。
むしろ私にはこちらの方が役に立つような気がする。

興味のある方は同書をお読みください。


 


2015年3月 6日 (金)

「Get up with hope! 陽が昇る」

  3月川柳句会の日、30名近い会員が集まった。

初めて英文、和文混合の句を作った。タイトルに掲げた句で佳作だった。

これは・・
指導講師の句 「A cup of coffee 朝が始動する 哲男」を参考にしたもの。
講師が著した本に載っていた。

もちろん句会での選句が始まる前に、作句について講師へは話ておいた。
これが秀作にならなかったのは、講師も自分を真似た句に秀はつけ難か
ったからかも知れない。

ところが「hope」 をスペルのミスのまま提出、指摘されて恥をかいた。
情けない!

もう1句の自作 「訃報欄まず享年に目が向かう」は秀作だった。

まあ、結果はどうであれイロイロ考えるのは楽しい、ボケ防止になるかもネ。

2015年3月 5日 (木)

身に覚えなくて暴れる過敏症

  駐韓米国大使が、今朝韓国の暴漢に刺されて負傷したというニュースが
駆け巡った。

私には、起こるべくして起こった事件だと思われる。
今回の事件が、米国政府高官の発言に端を発しているかはわからないが
これからも同様な事が発生する可能性は十分に考えられる。

彼の国の民族性(白か黒か、上か下か、右が左か、〇か1か、・・)に加えて
国民への公教育に問題があると思う。

幼い頃から国民が、民族の優越性、嘘を積重ねた歴史、反日教育を受けて
いれば当然に国際関係にも過敏になる。

チョットしたことで暴力が発生する。
自分自身の病状に気がついていないから、根本的が体質改善ができない。
暗殺者が英雄になるような国だし、なにしろ多様性を許さぬ社会だ。

急激な関係改善はムリだと思う。
こんな状況を冷静に見据えて付き合わなければならないお隣さんだね。

彼の国の国民の皆さん個々を異端視する気持ちはまったくない。
むしろそんな風土に生きる方々に同情を申し上げたい気持ちだ。



2015年3月 4日 (水)

物足りぬ一句作るに苦労する

  3月川柳句会が明後日に迫った。

課題句は既に提出済だ。これも送った後で出来が悪いと後悔している。

自由吟3句は当日持参なので、今はアレコレ思案中だ。
句は出来ないのではなく、この1ヵ月の駄作が手帳1頁を埋めている。
書いた時は上出来と思うのだが、数日経ってみるといかにも陳腐だ。

こんな時は歩くに限る・・と思って、20度に迫る陽気の中を散策してみた
が出る句がすべて気に入らない。 

まあ、こんな時もあるさ!

まだ明日1日がある。
明日は出かけるけど、環境が変われば違った発想が出るかもネ。

ともあれ今日1日の無事に感謝しよう。 Sleep with thanks!

2015年3月 3日 (火)

雛祭り今日はジジババ二人だけ

 

今日は、3月3日の雛祭り。

わが家は女系家族、夫婦の他は娘2人、孫は女の子1人だ。
それも娘2人は嫁いで、今は夫婦だけの生活だ。

それでもカミさんはひな人形を押入れから出して飾り付けをした。(写真)
さすが段飾りは面倒になったか飾らなかった。
昨日の孫娘を思い出しながらジジババだけの雛祭りを楽しんだ。

昨日は娘宅で孫娘と会った。
両親の仕事が忙しく保育園の送迎、留守中のお子守を頼まれたから。

娘宅にはわが夫婦が贈ったひな人形が飾ってあって、それとわからぬ
孫はキレイだと言って自慢していた。まだ4歳、可愛い盛りだネ。

お祝いでレストランへ連れて行ったとたんに寝てしまい、ジジババが食事
が終わって目を覚まし、「せっかくお食事に来たのに食べられなかった」
と泣きだした。 子育てもなかなか辛いものだね。

    Img_33721

2015年3月 2日 (月)

ニュース聞くたび恐怖よみがえる

今朝、東京・西神田で高層住宅の20階から出火、3人が怪我をしたそうだ。

ハシゴ車は当然届かない。建物内部でなんとか退避するしか手がないんだ。
その時の恐怖は察して余りある。

こうしたニュースを聴く度に、宮仕え(会社勤め)していた時の恐怖を思い出す。

それは・・
高層ビルでなく、東京・中央区になる7~8階建ビル5階だった。

勤務時間が過ぎて、残業をしていた時だった。
突然、事務室のエアコンの吹き出し口から黒い煙が吹き出した。

ビルの管理人室の電話番号はわからない。

消防署へ、一般電話で「火事でないかも知れないが・・」と一報を入れて部屋の
全員が退避した。(私が電話をかけた)

上から煙が迫る。わずか5階を駆け下りるのが、こんなに時間がかかるとは!
1階の下りたら、消防車が数台赤橙を点滅して着いていた。

煙は原因は、殺鼠剤の煙だった。予告なしで清掃会社が出したらしい。


以来・・
高層ビルへ昇るのは恐ろしい。
低層階でもデパートやショッピングセンターの人混みもなるべく避けている。
地下街も同じ。煙の回りは速い!非常階段は避難する人で混乱するはず。

また、ホテルでの宿泊は、きちんと非常口を確認しておいても、やはり就寝時
には心配がよぎる。

高層マンション、高層ビルに住んだり勤めている人たちは、非常時に出遭う確
率はやはりリスクは高いはず。自分ににはできないね。

2015年3月 1日 (日)

骨までを燃してしまえば片が付く

  今日から3月、昼前から冷たい小雨が降っている。
今月から来月にかけて卒業、入学、就職など人生の節目の月々だが今年のこれ
らはわが家にとって縁がない。ノンビリしたものだ。

朝から雨模様なので朝のウォーキングも途中で短縮して帰宅した。

この歩いている時間、カミさんとコミニケーションを図るにはいい機会だ。
専ら、自分はご近所情報などを聞く立場だが、今朝の話題は終活のことになった。

昨夜から今朝にかけて読んだ「〇(ゼロ)葬」(島田裕巳著、集英社版)をもとに、
人生の終末処理(葬式、墓など)について自分から話題を出した。

この本によれば・・
首都圏では葬式の25%が家族葬だという。
葬式、墓に金をかけたくないのが世の中の大勢でミエを張ることもないらしい。

わが家も・・
子どもは娘が2人、それぞれ結婚して自分たちの家を持っている。

一応、墓地は確保してあるが、すぐ無縁墓になるのは目に見えている。

さて、どうする?
墓石に替わるモノで、数年で土に還るようなのがないのかな?
そうでなければ簡素な墓石でいいんだ。

骨はどうする?
火葬なら火葬場で完全焼却はできないのか、残った灰は始末が簡単だ。
今の技術で完全焼却ができないわけがない。〇葬というのはこのことらしい。

こんなような話をしながら歩いた。
いずれにしても、数年先には現実になることだ。避けてばかりはいられないからね




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