骨までを燃してしまえば片が付く
今日から3月、昼前から冷たい小雨が降っている。
今月から来月にかけて卒業、入学、就職など人生の節目の月々だが今年のこれ
らはわが家にとって縁がない。ノンビリしたものだ。
朝から雨模様なので朝のウォーキングも途中で短縮して帰宅した。
この歩いている時間、カミさんとコミニケーションを図るにはいい機会だ。
専ら、自分はご近所情報などを聞く立場だが、今朝の話題は終活のことになった。
昨夜から今朝にかけて読んだ「〇(ゼロ)葬」(島田裕巳著、集英社版)をもとに、
人生の終末処理(葬式、墓など)について自分から話題を出した。
この本によれば・・
首都圏では葬式の25%が家族葬だという。
葬式、墓に金をかけたくないのが世の中の大勢でミエを張ることもないらしい。
わが家も・・
子どもは娘が2人、それぞれ結婚して自分たちの家を持っている。
一応、墓地は確保してあるが、すぐ無縁墓になるのは目に見えている。
さて、どうする?
墓石に替わるモノで、数年で土に還るようなのがないのかな?
そうでなければ簡素な墓石でいいんだ。
骨はどうする?
火葬なら火葬場で完全焼却はできないのか、残った灰は始末が簡単だ。
今の技術で完全焼却ができないわけがない。〇葬というのはこのことらしい。
こんなような話をしながら歩いた。
いずれにしても、数年先には現実になることだ。避けてばかりはいられないからね
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