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2015年10月

2015年10月31日 (土)

何となく10月晦日暮れて行き

 今日は一段と寒くなった感じがする。

この日で10月も終わる。2015年もあと2ヵ月だ。

この10月を振り返ってみた。
旅行が3回(1泊2日を1回、日帰り2回)、大学の公開講座、孫の運動会などへ
の参加、孫の来宅とお相手、川柳句会参加、友人との会食、図書館へ数回など、
そうそう医院へも通った。それなりに充実した1ヵ月だった。

秋晴れが続き雨が少なかったので、2~3日を除いて毎朝歩くことができた。
健康に少し問題があるが、総じて楽しかったと言える。
本ブログも1日も休まず書けた。

11月もそこそこ予定が入っている。
1日1日を無事で過ごせれ良しとしよう。

2015年10月30日 (金)

今もなお生きる怪物門の上

 「マオ 誰も知らなかった毛沢東 下」(ユン・チアン著、講談社版)を読み終わった。
512頁の大著、1日50頁ずつ読んで10日かかった。(「お気に入りの本」参照)

下巻は毛沢東の53歳(スターリンと張り合う)から82歳(最後の日々)の死までを描い
ている。

上巻、下巻に書かれた毛沢東の生涯から、彼の性格、思想、そして彼の統治を知る
ことができた。直接、間接を問わず彼が中国人民7000万人を死に追いやったことが
決して誇張でないことがわった。こんな権力者は世界で彼が初めてだった。

毛沢東の股肱の臣である周恩来の死も、彼の作為によって早められたとは・・!

最終章「最後の日々」とエピローグに著者の思いが全て集約されていると思う。
一部を引用して感想としたい。

“1976年9月9日午前零時10分、毛沢東は死んだ。毛沢東の頭脳は最後まで明晰で
あり、その中を去来していたのはただひとつ、自分自身と自分の権力に対する思い
であった。”「(第6部 復讐の味」より)

“今日なお、毛沢東の肖像と遺体は首都北京の中心部にあって、天安門広場を威圧
  している。現共産党政権は自らを毛沢東の後継政権と位置づけ、全力で毛沢東神
  話の不朽化をめざしている。”(「エピローグ」より)

2015年10月29日 (木)

やっぱり上から目線この言葉

 11月2日に日韓首脳会談が行われるという。

昨日のM新聞夕刊(3版)の2面にこんな記事が載っていた。

題して『江戸時代の儒学者、雨森芳洲に学ぶ 日韓外交に「誠信」を』と、ある。

この紙面の他の見出しをながめて見ると・・
“「互いに欺かず、争わず」多文化共生説く”
“相手よく知り、じっくりと”

確かに書かれているとおりだ。
ただ、現実はそう単純ではない。
新聞なら、現実の2国間関係に具体的にどう向き合うかを提言すべきだろう。

芳洲に光を当てた韓国の元外交官の談話して以下のコメントが載っている。
“韓国人にとって日本による植民地支配はやはり悔しいです。世界の植民地
史を見ても、隣国や先生の役割を果たした国を植民地にした例はないんで
すから、でもいつまでも過去では・・”

ここでも上から目線だ(上の下線部分)。今の韓国の識者でもこの有様だ。
歴史を現在の価値感でみるべきではない。
なぜ、そうなったかを当時の国際関係から冷静に分析しなかれば未来につな
がらない。

また幼い時からの反日教育、こんな状態では「誠信」とは言い難い。
反日と拝金と嘘の増殖が蔓延るだけの未来が待っているだけだ。

また書物に寄れば、近世の朝鮮通信使として日本を訪れた朝鮮の高官も日本
に根強い蔑視感を持っていたとある。いわゆる日本を下に見る小中華思想だ。

ネットの拡大で日本国民は韓国の素顔を見てしまった。
安倍首相に安易な妥協はしてもらいたくないし、また彼は妥協はしないだろう。

ニュースで聞く限り、何の成果も期待できない会談になりそうだ。



2015年10月28日 (水)

有明や朝の散歩の足照らす

 昨日は旧歴の9月15日、夜は満月だった。
昨夜は、プロ野球日本シリーズをTVで観戦していたので満月とは知らなかった。

今朝、5時半にカミさんと散歩に出ると、西の空に真ん丸お月さんが輝いていた。

おそらくこの月の大きさなら旧歴9月15日前後だろうと考えた。まさに図星だった。
この季節のこの時間、まだ薄暗い、まるで2人の足元を照らすようだ。

特に刈り入れの終わった田んぼ、農道脇の木々、遠く歩く人のシルエット、これら
の景色の上に輝く満月、一部分を切り取れば広重の浮世絵みたいだった。

残念ながらカメラは持っていない。持っていても多分、月は目で見えるような大き
さには撮れなかっただろうね。

気分爽快の朝だった。


2015年10月27日 (火)

こんなことあったんだねと請求書

 「東京駅開業100年周年記念Suica」のお払い・・と称した請求書がJR東から
送られて来た。支払い期限は11月14日と書かれている。

この件、すっかり記憶の外にあったので過去の申し込み履歴を調べて見た。

確かに、今年の1月30日にカミさん分も含めて6枚の申し込みをしている。

当時はほしい、ほしい・・の気持ちだったんだね。
JR窓口が大混雑したニュースも流れていたね。
そんな時流に乗せられていたかも・・、それもはるか昔のような気がする。

ほぼ10ヵ月経った今考えると、今はその熱気は冷めているようだ。

世の中の流れが速すぎるのか、それとも当方の記憶力が弱いのかね?

そんなことを考え乍らコンビニに振り込みに行った。

2015年10月26日 (月)

テレビでは切歯扼腕伝わらず

 プロ野球日本シリーズ、前夜に続いて昨夜もヤクルトはソフトバンクに負けた。

どう見てもソフトバンクの方が戦力が厚いし、試合巧者だと認めざるを得ない。
この気持ちは試合前からわかっていたつもりだが、実際に負け試合を見るのは
ヤクルトファンとして辛い。

投手陣は1試合4失点だが、これはまあ仕方ない。
鳴り物入りの打撃が不調なんだ。昨夜の3安打しかなかった。これじゃ勝てない。

明日からの神宮球場での勝利を期待しよう。
このシリーズ、せめて1勝はしてくれよな!

1年間、ペナントリーグを最後まで楽しませてくれたからネ。


2015年10月25日 (日)

大躍進国民半ば死のうとも

  1958年~1961年といえば私の大学生時代だった。
アルバイトに追われ勉学に全力投球できたわけではないが、気持ちの上では
充実した生活を送っていたと思う。高度成長期のはしりで希望に溢れていた。

この時期の中国で何が起こっていたのか?
今、「マオ 誰も知らなかった毛沢東 下」(ユン・チアン著 講談社版)を読んで
いる。半世紀は経っているが、改めて中国で生まれなくて良かったと思う。

本書から一部を引用して当時の彼の国の政情を覗いてみたい。

“中国全土で、苛酷な供出制度と奴隷労働に異議を唱えた人々が追い詰めら
れていった。鄧小平(毛沢東の死後に指導者になった)によれば、1958年~59
年の2年間で推 定1000万人が粛清されたという。

翌1960年には2200万人が餓死した。歴史上、1年でこれほど多くの餓死者を出
した国は中国以外にない。”

ユネスコの記憶遺産にハッキリ登録したらどうか?
もちろん中国内部からはムリだが、著者のように様々な資料が海外にあるはず。
日本が一方的に申請してみたら・・。

本書はこれから文化大革命へと続く。
毛沢東の権力慾は凄まじい! 国民は不幸だ。
今はどうだろうか?

2015年10月24日 (土)

毎土曜浅学菲才悟らされ

 新聞をM紙に替えてから半年以上過ぎた。

M紙土曜日版には毎週クロスワードの紙面があり、毎週これを解くのを楽しみだ。

効用を挙げると・・
全問が埋まると、やはりささやかな達成感がある。低山の頂上を極めた気分だ。
また、世の中には知らないこことが多すぎる・・と、改めて浅学菲才を悟らされる。

回答欄はカナ16文字で、今の政治・経済・社会情勢ニュースを表す言葉になるが
全部は解けなくても前後の関係で推測できる。解答欄を埋めるきることより全部の
マス目が埋まった瞬間の喜びが大きい。

恥ずかしながら今日、覚えた言葉の例・・
宗教を題材にした組曲→オラトリオ、元旦に服用する延命長寿の漢方薬→トソサン
あまりに場違いの言動から、その場に居合わせた人たち全員が後ずさり→トンビキ
エビ・魚・野菜などをたっぷり用いた酸味と辛みの強いタイのスープ→トムヤムクン
などなど・・。

まあ、自分の生活圏外の言葉だから知らなくて当然だと思うけど・・。

2015年10月23日 (金)

借金で首が回らず踏み倒し

 よく眠れたので昨日の疲れは取れたようだ。今朝の散歩は気持ちが良かった。

昨日のブログに帰路に寄った群馬県甘楽町は城下町だと書いた。

江戸時代、どんな藩だったかと調べて見た。(以下「大名の日本地図」による)

まず、当時の名称は小幡藩と言った。禄高は2万石で城ではなく陣屋だった。

道の駅甘楽付近に大手門という交差点があったので、多分その当たりに陣屋
があったのだろう。緩い坂道には水が流れ、道路沿いには情緒が溢れていた。

織田信長の次男、信勝が領した大和松山と上野小幡のうち、小幡2万石を信勝
が子の信良に分封した。陣屋は信良の子、信昌が造営したそうだ。

1767年(明和4)に七代信邦の時に幕府謀叛事件に連座して蟄居を命ぜられ、養
子信浮は出羽高畠に移された。

かわって幕府若年寄松平忠恒が上州上里見から2万石で入封、幕末まで続いた。

凶作などで藩の窮乏著しく、幕末の借財は年収の10倍、七万四千余料に達した。
・・とある。

どこの藩も同じようだったと思うが、小幡藩のような山の中の小藩はとりわけ厳し
かったに違いない。ノンビリした田舎風景の中に歴史ありだね。

地図に「織田信長一族の墓」と載っていたわけがこれでわかった。

2015年10月22日 (木)

国興し明治の気概見せつける

 カミさんと世界遺産に登録された富岡製糸場を見学に車で出かけた。

私自身は、ここへは2002年に地域の仲間とバスで訪ねているので2回目の訪
問になる。もちろん世界遺産登録前のことだ。タイトルはその時に詠んだ句。

朝7時に出発、平日の自動車道は渋滞もなくスムース、9時ちょっと過ぎに富岡
ICで降りてっ目的地の駐車場に着いた。ここから10分程歩くと富岡製糸場だ。

暫くは閑散とした街に歩く人も見かけない。
ところが製糸場に通じる道路に入ると、延々と長蛇の人波が続いている。

どうやら、駐車場のバスから製糸場まで歩いて行く団体客のようだ。
この人波は製糸場正門まで途切れなかった。団体受付入口にも長い列が続く。
若い人はいない。静かなものだ。外国語なんて聞こえて来ないんだ。

さて、世界遺産登録で何が変わったのだろうか?

歴史遺産が好きな自分からは・・
見学料金が1000円になっていた。前回は忘れたが500円以下だったと思う。
製糸場のどこへ行っても人人の波、ユックリ案内版も読んでるヒマもない
東置繭所、繰糸場の内部は大混雑で、人の流れに身を任すしか仕方がない。
あちこち工事中で、昔の面影どころか、まるで工事場の中へ迷い込んだようだ。

元気なお年寄り達を(こっちもそうだが)を見に来たようなものだ。
世界遺産登録で目新しさは何もなかった。13年前のヒッソリ感が懐かしい。

良かったこともある。
生きた蚕を見たこと。
亡き母の実家が養蚕をやっていたので、今でも桑を食べる蚕を思い出す。
あれから何年経つのだろう。60年以上も昔のことだったね。蚕の顔は愛らしい。

場内では、音声ガイド機を借りてガイドによる案内を聞いた。(1台200円)
便利だが、これがなければガイドの声は2mも離れれば聞こえないだろう。
考えて見れば、これも運営側の群衆対策だね。

カミさんは初めてだから、それなりに印象に残ったと思う。これはいいことだ。

富岡の街は格段にきれいになった。これも世界遺産のお陰だろう。
ただ、団体客が多く買物などの経済の恩恵はそう広がってはいないようだ。
多方面の駐車場から個人客を呼び込むことができるかがカギと言えそうだ。

帰りはお隣の甘楽町へ寄った。
道の駅甘楽で農産物を買い、次いで甘楽町総合福祉センター内にある
「かんらの湯」(町外者60歳以上400円)に浸かり、食事、昼寝をした。

この町は城下町で、当時の面影の残っている。
数回来ているが気が休まる静かな町だね。
富岡の世界遺産を核として広域で活性化できればいいと思うが如何?

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2015年10月21日 (水)

大丈夫長持ちするよその身体

 久し振りに東京・新宿で友人Tさんに会った。

相変わらず人が多い。そんな街角のしゃれたレストランで食事をした。

男の会話は長続きしないけど、それでも積もるよもやま話は楽しかった。

彼の今の悩みは、かつて私が経験した症状だった。
私と同じ病気で、かかりつけ医から専門病院での検査を勧められたそうだ。

聞いて見たら彼のマーカは、私の1/3程度だった。
いわゆるグレーゾーンだね。大丈夫 老衰で生涯が終わるよ!

病気は同病でも個人差があるから、素人が生意気に云々することではない
が、少しでも参考になれば・・と、自分の思いを話した。

要は、招かぬ病気で完治できぬとも、上手く病気と付き合って生きていくか
と気持ちを切り換えることだね。

現実を受け止めることができるかのは自分でしかない。
少し間をおいてまたその覚悟ができたかと聞いてみよう。




2015年10月20日 (火)

見えぬ敵今日はガス攻め思い知れ

  昨日のブログにも書いたが、体のあちこちに虫に刺されたような傷跡が残る。

最初に痒みを感じ、次いで虫に刺されたように皮膚が盛り上がり、これを中心に
して半径3cm程の丸い赤い腫れができる。

手当は皮膚科で処方されたステロイド系の薬を塗り込む。数日で腫れは治まる
が傷痕はなかなか消えない。

この症状の原因がわからないからやっかいだ。
1つが消えるとまた別の場所に1つできる。まるで体中が無数の弾丸跡のようだ。
虫ならば姿が見えるはずだが犯人は姿を見せないままだ。

いろいろ考えられる手を打ったが、今日は自室を丸ごと消毒することにした。
薬局で白煙を上げる薬剤を買ってきて使った。

少し水を入れた容器に金属製の筒を入れると、白煙が上がり初め、締め切った
部屋(6畳の寝室と4.5畳の書斎)に充満して行く。急いで部屋を出る。

退室して約2時間、部屋の片づけを始めた。でも、それらしい敵は見えない。

まだ残存ガスの臭いが鼻につく気分で、このブログを書いている。
果たして戦果は出るのか? 気になるところだ。

2015年10月19日 (月)

かかりつけ医者も身のうち使いよう

   今週は私のメディカルウィーク、今日は内科、明日は歯科の予定だ。

17時前にかかりつけの内科医院へ。この時間は外来患者は少なく、医師と話
をするには格好の時間帯となっている。

先月行われた健診結果の聞くのも今日の目的で、結果は一部に基準値から
外れるものがあるが概ね良好とのこと。

次に、過去1ヵ月間に私の肌にできた複数の症状について訊ねた。
医師の意見は、外傷というより体内部の異常から出た症状かも知れないとい
う。そうすると、この症状での診療科は皮膚科ではないことになる。

この症状の原因を皮膚科医院の医師に聞いたら「そんなこと知らんよ」という
のが返事だった。そして処方箋だけ書いて出すだけだった。

どの診療科に行けばよいか、と患者が迷った時、相談できる場所ってどこだ?
情けないことに、臓器別の医療機関はその答えを持ち合わせていない。

ステロイド系の塗り薬で症状は消えそうなので、しばらく日にちをおいて再度
適当な診療機関を紹介してもらうことにした。

それからいつもの診察を受け、その後インフルエンザの流行予想、ノロウィル
スへの対応など、最近の医療のよもやま聞いて来た。

医師は一般に、自分の専門科以外の症状には驚くほど無知だ。
期待しない方が良い。利用すべきは医師の持ってるネットワークだと思う。

私のかかりつけ医は「知らないことは知らない」とはっきり言う。
でも、知っている範囲でいろいろ情報を提供してくれる。

いい関係が出来ていると思う。
ここまで15年くらい時間をかけて作った関係だ。

2015年10月18日 (日)

やれ嬉し孫が見舞いに駆けつける

 

体調は依然として良くないが、雨のため止めていた朝の散歩を再開した。

ついでに少し遠回りして公共図書館に寄り、借りていた厚い本2冊を返すことに
した。ここ数日、相手をしてくれた本だ。時間外の返却口へ入れれば済む。

やはり歩くのは楽しい。行き交う知り合いとの「お早う」の挨拶もいつもの通り。

溜まっていたメールを整理していたら、娘が孫娘のH(5歳)を連れて来た。

まさに、ジイジの見舞いにきたような気がした。
ホントは疲れたムコを自宅で休ませてやりたかったから・・とのこと。

孫が玄関に入って来ても、私はすぐに駆けつけない。
なぜなら、20kgくらいの肉弾がモロにぶつかってくるから・・。
今、私にはこの直撃弾を受ける体力も自信もない。
やはり期待して飛び込んだHは、私がいなくて勢いを削がれたという。

やはり体重は19kgだそうだ。危うく難を逃れた。(但し、後でたっぷりぶつかり
合いの相手にされたけど・・)

「大きなウンチをするとママが喜ぶんだよ」と、尻の始末をさせられたり、買物
に引っ張り出されたり、それなりに祖父の甘さを上手く利用させられたようだ。

夕食前に、ムコの食事の用意があると言って親子で帰って行った。
お別れには濃厚なチューを頬にタップリしてもらった。

素晴らしい見舞客だった。

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2015年10月17日 (土)

寝ていろと言うがますます目がさえる

 昨日からの体調不良が続いている。

依然として37度台の微熱が下がらない。

カミさんは「寝ていろ!」と、言うがそんなに眠れるものじゃないよネ。
午前中は少しウトウトしただけで、午後は完全に不眠の状態になった。

それでも、締切が迫る11月川柳会の課題句を作り関係者に送った。
その他、11月句会当日に持参する自由吟3句の候補句も作った。
ペンとメモ帳があれば、思いつきを5・7・5で書けば良い。寝ていてもできる。

それでも体を持て余した。そこで・・
本を読むことにした。長編は筋を追うのが大変だから短編集がいい。

読んだ本は「米国人一家、おいしい東京を食べ尽す」(「お気に入りの本」参照)
著者のベ米国人、マシュー・アムスター=バートンは家族3人で東京・中野の
アパートに1ヵ月滞在して東京中を食べ歩いたエッセイ集だ。

お茶、中野、ラーメン、世界一のスーパー、朝ご飯など26章が書かれている。
どこから読んでもいいし、興味が湧かないなら、その章は飛ばせばいい。

ヒマはタップリあったから全部読み切った。
食道楽ででない(かつてはあったはずだが・・)自分には同じことはできない。

「お茶」編で、本書に書かれていた東京・銀座のお茶の販売店(2,3階が喫茶室
になっている)が私が利用している店と同じだったこと、それに玉露の栽培、生
産方法を本書で初めて知り、まさに{へ~」という声を挙げたのが記憶に残った。

2015年10月16日 (金)

飲み終わり2日手前でギブアップ

  朝、目が覚めると何となく体がだるい。われながら起き上がる気力もない。
それに、多少吐き気と目まいがする。 朝食時に体温を測ったら37.5度あった。

原因は2つ考えられる。
1つ目は、風邪を引いたのだろう。寒気がするのは熱が高いからだ。

2つ目は、持病の処方薬のせいかも知れない。
この薬は直接、悪性腫瘍に作用するのではなく、腫瘍を増幅させるホルモンの
出を抑制するものだ。
昨年の暮れにも服用したが、今回と同じ症状が出ている。

したがって、自分が出した結論は、この薬の服用を止めることだった。
薬はあと2日分(1日1錠)残っているが、今の体調の悪さには代えられない。

暮れには血液検査が待っているが、飲み残しても大きな影響はないと勝手に判
断した。 風邪薬はしっかり飲んだ。まず熱を下げなくちゃネ。


2015年10月15日 (木)

老い二人桜迎える散歩道

 だいぶ陽が短くなってきた。

東の空が明るくなり陽が昇る少し前、カミさんと散歩に出るが、日を追うごとに
夜明けが遅くなってくる。多分、1日当たり5分近く遅くなって行くような気がする。

ちょうど、歩き始めて5分過ぎに、広大な遊水池の向こうに陽が昇る。
サギが舞い、カモが群れる草原や水面はにぎやかだ。

自然の中を30分ほど歩くと、冬桜(あるいは秋桜か?)が咲いている。
実は数日前から咲いていたのだが、カメラを忘れて明日だ明日だと思っている
うちに今朝になってしまった。見るとまだ鑑賞に耐えらえるようだ。(写真)

この花を見ると、数年前にワンちぇん2匹を連れて、群馬県境付近の公園へ冬
桜を観に行ったことを思い出す。その犬たちももういない。今は2人だけだ。

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2015年10月14日 (水)

たかが野球それでもいつも胸躍る

   プロ野球のクライマックスファイナルステージが始まった。

セは巨人が、パはロッテが先勝した。
ヤクルトファンとしては残念だったが、アドバンテージが1つあるから、
これからがスタートとなる。明日からのゲームに期待しているよ。

ヤクルトの攻撃はつながらず、畠山のホームラン1本とは情けない。
また、バレンティンの不調は、素人目に見てもバラバラだね。
短期決戦、実力主義で思いきって雄平を5番に据えたらどうだろうか?

パ・ロッテは下剋上の実績がある。
でも今夜はソフトバンクは強かった。延長でロッテを下したね。
残りの試合もゆめゆめ油断召されるなよ!


野球中継に最中に、保育園児の5歳の孫娘Hから電話があった。
明日は保育園の遠足だという。嬉しさイッパイの声は心に染みる。

行き先は多摩動物公園、嬉々とした声が受話器の向こうで響く。
母親(娘)は朝4時起きで、弁当を作るという。その後で6時過ぎに出勤、
父親(婿)が保育園へHを送って行く。

2人ともフルタイムの共働きでよくやっていると思う。
孫の嬉しがり方のこうした両親に支えられているんだ。
安倍総理の出生率1.8願望は、どう考えても困難だ。

2015年10月13日 (火)

ヘソクリを放っておいて十余年

   某銀行から「長期間お手続きのないご契約について」という文書が送られて
来た。たいした金額ではないが預けっ放しの預金があるのは事実だし、忘れて
いたわけではない。

預けた銀行の合併や支店の整理統合で近くの支店が廃止され、解約手続きに
遠くの支店まで行く必要がある。そんなわけでそのまま放っておいただけだ。

自分の小遣いは決して潤沢ではないが引き出しを急ぐことでもないから・・。
(カミさんには内緒の資金だが、彼女はうすうす知っているようだ・・)

送られた文書を見たら、確かに無取り引きで10年以上経っている。

まず思ったのが、長期間の無取り引きで、預金が銀行のものになるのではない
かということだった。

さっそく、銀行支店に電話すると・・
銀行からはそのまま預金を続けるか、解約その他の手続きをするかの確認をし
ているとの説明を受けた。預金債権の移行についてはキッパリ否定した。

10年の月日の流れは速いと感じたが、自分のモノグサにも呆れた次第・・、
近いうちに解約に行こうと思っている。



2015年10月12日 (月)

期待した虎はすごすご帰阪する

  セ・パ両リーグ、クライマックスシリーズの第1幕の各3戦目が行われている。

正確に言えば、今は17時20分、巨人対阪神戦は先ほど終わっていて(3-1で巨人
が勝利)、札幌ドームの日本ハム対ロッテの試合中だ。

札幌の試合は2-1でロッテがリードして8回ウラ、日ハムが攻撃中。
本ブログの更新中にステージは9回オモテに移った。
多くの試合をして、2位になった日ハムにガンバってもらいたいが厳しい状況だ。
試合は2-1でロッテリードのまま9回ウラになった。日ハムガンバレ!
あと数分で第2幕への進出チームが決まる。

ここまで日ハムを応援してきたが、思いは届かずロッテに2-1で敗れたらいた。
札幌の皆さん、来年もファイターズをよろしくネ。

セリーグはヤクルトファンとして阪神と対決してほしかったが、それも叶わなかった。
阪神は拙攻で、得点は福留のホームラン1本だけでは最初から勝ち目はなかった。

東京ドームの虎キチの皆さん、残念でした。
来年に捲土重来を期す阪神をサポートしてあげて下さい。

2015年10月11日 (日)

凄まじい目から鱗の中国史

 毛沢東の出生から中国共産党のトップに躍り出て政権を打ち立てるまでを描
いたノンフィクション小説「マオ 誰も知らなかった毛沢東 上」(ユン・チアン著
講談社版)を読み終わった。562頁に及ぶ大書だ。 (「お気に入りの本」参照)

自分が考えていた毛沢東や中国共産党についての認識がすべて覆された。

本書が中国では発禁になってそうだが、それを十二分に理解できる内容だった。

直接、間接を問わず彼が殺した人間は7000万人と言われているがこれも頷ける。
毛沢東の経歴は威嚇、粛清、殺戮の血塗られたものだった。

毛沢東は常にソ連(スターリン)と連絡をとり、ソ連を利用しながら権力を拡大して
行った。毛沢東は共産主義を成功させるにはソ連の侵攻以外にないと考えていた。

犯さず、奪わず、殺さずなどと言われる共産党のいわゆる長征は、事実とまったく
逆で共産党が通過したり滞在した地域ではペンペン草も残っていなかったという。

今年、中国では、抗日勝利70周年の軍事パレードを行ったが、当時の毛沢東のに
ついて著者は本書の「日本語版によせて」で以下のとおり書いている。
“1937年から1945年までの毛沢東の対日戦略は、この時期、彼は抗日と信じらて
 いるが、事実はまったく逆で、彼は日本が中国を広範囲に占領する展開を歓迎
 していた。日本軍が自分に代わって蒋介石を打ち負かしてくれればいいと考えて
 いた。”・・と。
事実、日本軍の相手は国民党軍だった。この事実も今の政権は隠蔽している。

1949年10月1日、毛沢東は北京・天安門の楼上で中華人民共和国の成立を宣言
いたが、“(毛沢東の)演説の最大の特徴は、毛沢東が言及しなかったことにある。
人民の名を冠した政権を打ち立てながら、毛沢東は「人民」ための施策を何ひとつ
打ち出さなかったのである。”

本書を読むと、これでもか、これでもかと殺戮の記述が続く。
中国は、都合の悪い歴史の部分は隠蔽したりねつ造している。
中国共産党は政権維持にキュウキュウするわけだ。

2015年10月10日 (土)

童心に時には還れ高齢者

 近隣のK大学の公開講座を聴講した。

演題は「セカンドライフとしてのレリエーション」、講師は同大学教育学部准
教授のT氏だった。T先生の自己紹介によると同氏は30歳後半とか・・。

参加者は約40名、殆どが高齢者だ。まあ「セカンドライフ」・・というからネ。

90分の講座時間のうち、半分が講義、半分がレリエーションゲームだった。

前半の机上講義は「リクリエーションとは」・・の概要論で通常的な解説。

楽しかったのは後半のレリエーションゲームだった。

まず、2人1組で各自が名前、朝食のメニュー、座右の銘、あだ名を書いてお
互いに名乗り合う。

次に、他の1組2人に自分の組の相方を互いに紹介し合う。

見知らぬ人の名前、食事、嗜好など覚え、すぐに他の人に紹介するのは
なかなか難しい。覚えたはずの名前がすぐに出て来ないんだ。

続けて、2人1組のハンカチ取りゲーム、4グループに分かれてのキング
ゲーム、2組に分かれて風船を使ったバレーボールなどを行った。

あっと・・言う間に時間は経ってしまった。
笑いあり、ミスあり、慰めあり、見知らぬ人たちともすぐに親しくなったね。

初めての経験だったが童心に還った時間だった。

2015年10月 9日 (金)

探してたぴんころ地蔵眩しそう

探し当てたぴんころ地蔵は暖かい秋の陽を浴びて眩しそうだった。

わが家のコメは、毎年カミさんの実家から購入させてもらっている。
義弟から出荷OKの連絡を受けて、カミさんと車で長野県佐久市へ出かけた。
お天気は快晴、朝は少し寒かったが陽が昇ると秋に似合わぬ暑さになった。

約束の時刻に間があったので、佐久市野沢の「ぴんころ地蔵」へ寄った。

この地にはカミさんの出身高校があり、彼女は地理がわかっている筈だが
ぴんころ地蔵の所在地が思い出せない。遠い昔だからね仕方ないよね。

道路脇に立っていた若いお巡りさんに聞いたら地図まで出して親切に教え
てくれた。こんなに親切なお巡りさんも初めて! 気分がいい。

ぴんころ地蔵さんは成田山薬師寺門前の庇の下にひっそり佇んでいらした。
丸いお顔に穏やかな笑みを浮かべたようなお姿で・・。(写真)

お賽銭を入れて、古希を超えて今まで生かされたことにまず感謝。
「オサラバはぴんころでよろしく」・・と、言うのもこのお賽銭の額ではムリと言
えそうだ。
 
「できましたらぴんころでお願いします」と、お願いしてでお別れした。

その後、日帰り温泉で入浴、コメの積み込み、入院中の義母を見舞って
無事帰宅した。360kmに及ぶドライブ、温泉のお陰か気分が良かった。

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2015年10月 8日 (木)

夫婦仲悪くても一人より良し

  今朝もカミさんと一緒に散歩をした。

台風23号(温帯性低気圧になった)の影響で風が強く、その風は冷たかった。
ウインドブレイカーのフードをかぶって歩いたが、ひと際風の冷たさを感じた。

わが家のはす向かいにゴミの収集場がある。

今日は可燃ゴミの収集日で、近所の方が数人ゴミを出すべく集まっていて、
その中のAさんが、歩き終わった私に話しかけて来た。

 「お早うございます」と、Aさん。私も挨拶を返す。

Aさんが続けて・・
 「いつもお二人でラブラブで歩けていいですね」・・と、話しかけて来た。

 「ラブラブじゃないけど歩くのはいいですね」・・と、私は答えた。

この後の会話をどう続けたらよいか?・・を、私はいつも悩んでしまう。

理由は・・
Aさんご夫妻と私ら夫婦は共にほぼ同じ年齢、子供さんはお嬢さん1人で、
わが長女と次女の中間くらいのお年頃だ。

Aさんの奥さんは老人介護施設に長年入所中、お嬢さんは独身で、時々近く
の施設にお母さんを訪ねている。いわゆる父娘世帯だ。

今のところ、わが夫婦は歩くのは問題ないし、夫婦喧嘩はするけどまあ健在
だ。それに子供たちもそれなりに自立していて孫もいる。

お互いに家庭の内情をわかっていて、羨ましいと思われる言葉をかけられる
と戸惑うんだ。穏やかで微笑みを絶やないAさんの心中を思うと、次の言葉
が出ないんだね私は・・。



2015年10月 7日 (水)

「大臣に誰がなろうと通り雨 永田帆船」

  タイトル句作者の永田帆船は、大正3年から平成8年まで生きた柳人だ。

今日は安倍政権の内閣改造の日、ニュースでは次々に入閣者や留任者
が報じられているが、名前を聞く度にこの句を思い出す。

聞くところによれば、この内閣は首相の露骨なお仲間内閣らしい。
また、来年の参院選挙を意識した箔付けで任命した大臣もいるらしい。

各大臣の適性を活かした布陣とは言えないようだ。

第一、それぞれの名前さえ覚える気がないんだ。
ホントに誰がなっても通り雨みたいなもんだね。

2015年10月 6日 (火)

おめでとう見たか日本の底力

   昨日からのビックニュースは、大村智氏のノーベル賞の受賞とTTPの
大筋合意だろう。

大村智北里大特別栄誉教授の受賞は喜ばしい限りだ。
生い立ち、業績は今までの受賞者とひと味違い、またインタビューの様子
を見る限り人柄も文句なさそうだ。

様々な分野から受賞者が出ることは良い事だね。
それぞれの専門分野で世界レベルの業績を目指してほしい。

ところで・・
日本人でノーベル経済学賞の受賞者はまだ出ていない。
先行きの読めない少子高齢化に伴う適切な経済モデルがないし出来てい
ても使えないのだろう。

データはいくらでもあるはず・・。
ぜひ経済学者の方々、ガンバって下さい。
そうでなければ国立大学の文系予算を削られても仕方ないよ。

TPPの大筋合意・・
消費者の立場で言えば、海外から安い商品やサービスが入って来るのは
大賛成だ。

この機会に日本の農業改革を徹底的に進めてほしい。
農家が農業だけで食える態勢をぜひ作ってもらいたい。

生業から産業に転回すべきだと思う。

2015年10月 5日 (月)

勝たなきゃね言われっぱなし勝負事

 プロ野球の球団は一部の試合を除いて殆どが全日程を終了した。

ネットを覗いて見ると、いろいろな球界情報が飛び交っているようだ。
ネットのスポーツゾーンにはオモシロイ情報がイッパイ詰まっていて
飽きさせない。

大量のベテラン選手の引退。
次期監督候補をめぐる情報。

今日は巨人選手の野球賭博情報が飛び込んできた。
・・などなど。

勝負の世界、勝たなければ何を言われても仕方のない世界だね。
1年毎に冷徹に順位がつく世界。それなりの覚悟が必要だ。

会社なら利益を出さなければ経営者は無能力者だと見なされる、と
同じ理屈だ。

要は「勝ちはすべての欠陥を覆い隠す」わけだ。
敗者の言い訳は見苦しい。

でも、一般大衆には興味深々の世界、これから来春までが楽しみだ。





2015年10月 4日 (日)

外出の後は片付け待っている

 今朝から恒例の朝の散歩をカミさんと始めた。
ヒヤッとする朝の冷気は気持はいい。
途中のコーヒーショップで朝食を摂り新聞を読む、至福のひとときだ。

先週は1泊2日の旅行、孫の運動会や所用で外出が多く、日々のメールの
返信、ブログの更新が追いつかず、この日はこれらの処理に追われた。

それに好きな本を読めないのが辛い。
こんな時に限って、図書館から予約した本のOKメールが入る。

図書館の本は貸出期間があるから放っておくわけにはいかないし、今、読
んでいる本は560頁にも及ぶ厚さがあり、しかも残りが200頁もある。
人気本は借出期間の延長もできないし・・。

自費で購入した読みかけの本は後回しだ。

机の前に座りっぱなしの1日だった。

2015年10月 3日 (土)

どこ見ても自分の孫を探してる

  孫娘が通う保育園の運動会に呼ばれて出かけた。

早朝の電車で1時間余り、娘宅からわが夫婦と孫の手を引いた婿殿と歩い
て30分で会場へ、娘は見学席の確保のため自転車で出かけていた。

私は、保育園の運動会見学は初めて、過去2回は雨のため屋内での開催
になったからだ。今日の良い天気は過去の怨念が晴らしてくれたかもね。

小さな園児たち、それぞれのプログラムでよくがんばった。
ゼロ歳児から来春小学校入学する5歳児まで、子供の成長段階を時系列
的に見られて興味深かった。

年齢を追うごとに統率がとれた団体競技ができる。
発育をサポートする保育園の職員の方々の力があってこその結果だね。
ありがとうございます。お世話になります。

なにしろ、園児たちは皆同じ服装、クラスが帽子の色分けでわかるが、その
中から自分の孫を見つけ出すのは一苦労だ。

写真はかけっこで走るわが孫のH、4人中で2位だった。(右端)
1位の園児はもうあっと言う間にカメラ前を走り抜けて行った。
かろうじてHをカメラに収めることができた。ホントに動態撮影は難しい!

早朝から出かけ、昼過ぎまで強い日光に晒されてフラフラになった。
こうして忙しかった私の1週間は今日で終わった。
 

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2015年10月 2日 (金)

洩れますか?いえ洩れません泌尿器科

  10月M川柳会に参加。

この日の課題は「漏れる」で、タイトルの句で私が提出したもの。
3年半前の手術の前後、頻繁に主治医から言われていたことを詠んだ。
現在は3ヵ月毎の検査通院だが、さすがにこの質問は無くなっている。

高齢化と共に、この手の句も多くなった。
老いとつながる症状、別に恥ずかしいことではないから隠す必要もない。
こんな背景があるのだろうね。

参加会員のご意見も多岐にわたった。
まず笑いが出た。
 「洩れなきゃ泌尿器科へは行かないよね」
 「私も泌尿器科通っている。患者が多く予約を取るのが大変だ」
 「母の介護で実感した」
・・などなど・・

こうした意見から参加者は概ね60歳の中頃と推察される。
 意見が終わると作者の私が名乗りを挙げる。
そして句についてこの意見を言った。
 「洩れが出た時は危ないかも」
 「皆さんもあと4~5年でこうなりますよ」


夜、ヤクルトが延長戦で阪神を下し14年ぶりにリーグ優勝を決めた。
おめでとう! ファンとして喜ばしい。
1年間、楽しませてくれてありがとう。

2015年10月 1日 (木)

秋雨の古城訪ねる独り旅

  横谷温泉旅館の朝風呂にも気持ち良く浸かれた。

朝食後は自由解散、渓谷巡りや帰京組などまたの再会を約して別れた。

私は予てから伊那市にある高遠城址に行きたかった。
いつかは高遠城址の桜見物に思っていたが未だに実現していない。
桜の季節でなくても城址を歩いて見るだけで良い、機会があったら・・と思って
いた時に今回のチャンスが巡って来た。

ところが、蓼科からは交通の便がすこぶる悪い。歩くには遠い距離、車なら1.5
時間で行くはずだけど、実際は4時間かかった。
電車の乗換えが不便で待ち時間が長くなったからだ。

それでもバスで高遠駅に着いて同駅に戻るまで1時間10分の時間ができた。
駅から歩いて高砂橋を渡ると、右手に城址に登る歩道が続いている。

傘を差しながらゆっくりと登ると大手門跡に出た。
そこから車道を歩く、ここらあたりは藩の重臣たちの屋敷跡だという。
車道に沿って元高遠城桜門、旧藩校進館などがある。桜の木も多い。

北口から城郭に入る、桜の木がビッシリ。
桜の季節を想像してみると、これは凄いに一言に尽きるだろう。

説明板などを読みながら桜雲橋、本丸跡、南曲輪、白兎橋を経て南口に着いた。
南口を出て地図を見ても高遠駅までの道がわからない。バスの時刻は迫る。

道を聞きたくても人っ子1人歩いていない。
こんな時は来た道を戻ることだ。山歩きの鉄則を応用することだ。
どうやらバスの発車時刻数分前に戻ることができた。

もう1時間は現地で欲しかったネ。
首都圏に戻ると、どの駅や列車に人が溢れていた。

地方では殆ど外では人を見かけない。
この格差は何なんだ? 
地方再生は具体的にどう手を打つのだろうか?

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           高遠城の概要

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  高遠城、二の丸から見た桜雲橋と問屋門
  周りは桜の木々、桜の季節には門は花で埋まる

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