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2015年10月23日 (金)

借金で首が回らず踏み倒し

 よく眠れたので昨日の疲れは取れたようだ。今朝の散歩は気持ちが良かった。

昨日のブログに帰路に寄った群馬県甘楽町は城下町だと書いた。

江戸時代、どんな藩だったかと調べて見た。(以下「大名の日本地図」による)

まず、当時の名称は小幡藩と言った。禄高は2万石で城ではなく陣屋だった。

道の駅甘楽付近に大手門という交差点があったので、多分その当たりに陣屋
があったのだろう。緩い坂道には水が流れ、道路沿いには情緒が溢れていた。

織田信長の次男、信勝が領した大和松山と上野小幡のうち、小幡2万石を信勝
が子の信良に分封した。陣屋は信良の子、信昌が造営したそうだ。

1767年(明和4)に七代信邦の時に幕府謀叛事件に連座して蟄居を命ぜられ、養
子信浮は出羽高畠に移された。

かわって幕府若年寄松平忠恒が上州上里見から2万石で入封、幕末まで続いた。

凶作などで藩の窮乏著しく、幕末の借財は年収の10倍、七万四千余料に達した。
・・とある。

どこの藩も同じようだったと思うが、小幡藩のような山の中の小藩はとりわけ厳し
かったに違いない。ノンビリした田舎風景の中に歴史ありだね。

地図に「織田信長一族の墓」と載っていたわけがこれでわかった。

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