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2016年6月29日 (水)

考える元気な時に死生観

 1ヵ月以上も続いた腹痛も、どうやら下火になったような気がする。

本(「老いを楽しむ習慣術」朝日新聞出版)を読んでいたら、“死を忌むべきものと
とらえない心”という記述があった。
体調がすぐれない時は、そんなものか・・と思うのだが、いざ病んでみると苦痛から
逃れたい一心で、逆に死にたくないと考えてしまう。

「人生は80歳から」(「お気に入りの本」参照)を読んだら、こんな文章を見つけた。

百寿者(男性)」の言葉として・・
“用水池で泳いでいたら、池の真ん中で力が入らなくなった。懸命に体を動かしてい
 たら『動くのをやめ、水に身を任せろ』という声が聞こえた。その通りにしたら、溺れ
  ずに済んで、体が浮いて助かった。そこで、困難なときは流れに身を任せることに
 より展望が開けると痛感した。死に臨んでは、此岸と彼岸の境はないので、死を恐
 れることはない。しかし、自分が死に臨んだ時、うろたえることがないとはいえない。”

確かにハワイで高波に呑み込まれたとき、故郷の千曲川で流されたとき、息をを大き
く吸い込んで、じっと波や流れに身を任せていたら、自然に浮く上がったり、浅瀬に着
岸し命を捨てないで済んだ。

どう逆らっても逆らえ切れないときはあるものだ。自然や世の中は自分中心で動いて
いるわけではないからね。そのときは流れに身を任せてしまおうと私も思っている。
・・と、達観しているつもりだが、いざ死に臨んだとき、うろたえない自信はない。

まあ、1日1日を楽しく過ごすこと。後は流れに身を任そう。

写真:花の命は短くて・・
     
Img_38731

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