黙祷で悼む犠牲者思い馳せ
東日本大震災から今日で6年経った。
各メディアはどこも震災関係を報道している。
私は午後、片道電車で20分、徒歩20分の公共図書館での講演会に参加していた。
講演途中の休憩後、司会者からの申し出で震災犠牲者を悼んで参加者全員で黙
祷をした。
震災の当日、私は筑波山で地震に遭遇、帰宅できず避難所で一夜を明かした。
黙祷の1分間、その日の行動が走馬燈のように頭の中を巡った。
まだまだ仮設住宅に大勢の方々が暮らしているという。
復興の速度をなお一層上げて、早く普通の生活が出来るよう願っている。
講演の中身は、私の思惑とは離れたものだったが、違った世界を覗くことができた
と思えばそれはそれとして意味があったと思う。
違った町を40分も歩けたことは良かったと思う。
と思えばそれはそれとして意味があったと思う。
違った町を40分も歩けたことは良かったと思う。
« 出来ぬのは他人のせいだと言っている | トップページ | ハクレンが咲く頃嵐吹き荒れる »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 要支援賀状に滲む夫婦愛(2022.01.05)
- 膝がくがくワンコ背中の初詣(2022.01.02)
- 歳末の日の出は今朝も世を照らす(2021.12.28)
- このマスクアホのマスクと言い換える(2021.12.27)
- 高ければ温度も上がる?灯油代(2021.12.22)
コメント