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2017年4月24日 (月)

敗戦の教訓未だ生かされず

  「1941年 決意なき開戦 現代日本の起源」(堀田江理著、人文書院版)を読み切った。
A5判、400頁を超える大書で、著者が英文で書いたものを翻訳されたもの。
(「お気に入りの本」参照)

1941年、太平洋戦争開戦当日まで、日本の指導者が戦争回避にどう動いたかを、日米
交渉の経過や米国指導者の動向を含めて分析したものだ。

著者は以下のとおりまとめている。
 ・日本の始めた戦争は、ほぼ勝ち目のない戦争だった。
 ・このことを指導者たちは概ね正しく認識していた。
 ・開戦決意は、熟考された軍部の侵略的構想に沿った直線道路ではなかった。
 ・このことを意識せず、日本は幾つかの対米外交緊張緩和の機会をみすみす逃し、自
   らの外交的選択肢を狭めていった。
 ・最終的な対米開戦決意は、「万が一の勝利」の妄想によって正当化された。

いわば博打打ち的政策として、この本は解釈していると書いている。

ならば敗戦から現在にかけて、この負の遺産は克服できたのだろうか?

作者は否という・・。
“東日本大震災における原発事故、新国立競技場の建設問題などを見る限り、より多く
の人々に影響を及ぼす決断を下す指導層で、当事者意識や責任意識が著しく欠如して
いる様相は、あまりに75年前以上のそれと酷似している”・・という。

まったく同感! 東京都が進めた豊洲卸売市場問題はその典型例だ。

私は思う・・
気になるのは、最近の国民の政治離れだ。
当時と違って現代に生きるわれわれには、あり余る自由がある。
当時は「一億総懺悔」と言われ反発があったけど、現代では間違った方法へ向かえば
「一億総懺悔」と言われても仕方あるまい。
「一億総活躍」の裏に潜む危険性を常にチェックする必要がありそうだ。


 

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