神仏相撲とったら神の勝ち
頼んでおいた「神と仏に明治維新」(古川順弘著、洋泉社版)
が届いた。副題に「その時、寺院、神社、霊場では何が起きた
のか?」とある。
われわれは、古刹と思われる寺や、煌びやかな神社などを訪ね
ると、何の疑いもなく、古くからの歴史遺構として受入れてし
まう傾向があるように思う。
本書は、明治初期の廃仏毀釈によって、日本の神社・仏閣が大
きく変貌してしまったことを説明している。われわれは、参詣
・参拝に、そんな歴史の転換点をまったく意識しない。果たし
て歴史を楽しむ者として、私はそれで良いか・・と、逡巡して
いる。
良い例が、神奈川県にある大山阿夫利神社だ。2回訪れている
ので例として挙げた。
古くから神仏習合進んでいた大山、山頂には大山阿夫利神社の
本社(上社)があり、維新前、東側中腹の現在の下社の場所に
は、壮大な伽藍を有する大山寺(おおやまでら)が建っていた。
中世には山岳霊場として栄えていたそうだ。
それが慶応4年(1868)、神仏混淆禁止令により、一山は大
山阿夫利神社になったという。仏像・仏具は売却された。
その跡地に建てられた拝殿が現在の下社だ。
女坂の途中に移された大山寺の本堂は、その後、取り壊されて
大山寺末寺の来迎院の建物が移されて本堂とし明王寺と称した
が、大正5年(1916)大山寺の号に復し再興されている。
そんな歴史も知らないで、ただボケッと下社にお詣りして、山
頂を極めただけで、大山を知った気でいた自分が恥ずかしい。
やがては、神道は国家神道になり、日本を破滅させる原動力に
なって行く。今も形を変えた動きが見えるようで一抹の不安を
感じる。歴史を繰り返してはいけない。
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