神様は信者だけしか救わぬか
オープンユニバースティ3日目のこの日、大雨の中を歩いて
登校した。会場に着く頃には、ズボンの膝までビッショリ!
どうも、この日のお天気の最悪の場面に遭遇したようだ。
今日のテーマは、遠藤周作の名作「『わたしが・棄てた・女』
を一緒に読む」だった。本書は1963年、「主婦の友」に連載
された。
文庫本の裏表紙には以下のように書かれている。
“大学生の吉岡が躯を奪って棄てたミツは、無垢な田舎娘
だった。その後、吉岡は社長の姪との結婚を決め、孤独で
貧乏な生活に耐えながら、彼からの連絡を待ち続けるミツ
は冷酷な運命に弄ばれていく。人生を信じた無垢な女の生
き方が、読む人すべてに本物の愛を問いかける。遠藤文学
の傑作のひとつ”
今日の講師は、本書のさまざまな解釈を紹介された。
作者が宗教(カトリック)上で、何を訴えたかったかは、私に
はよくわからなかった。ミツの生き方が神にもっとも近いのだ
ろうか?ジックリ見直す必要がありそうだ。
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