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旅行・地域

2021年3月25日 (木)

気候良しみちのく招く歩き旅

  JR東日本の4月号の会員誌が届いた。

興味を引いた記事が載っていた。
タイトルは『奥州十三藩 お殿様の参勤交代事情」で、内容
は奥州街道の脇街道とされた「羽州街道」の紹介だった。

福島県の桑折宿から青森県の油川宿へ続く、全長約500km、
58の宿場があり、津軽藩、秋田藩など大小13の藩が参勤交
代で利用したそうだ。

初めて聞く街道名だ。
私はこの区間、弘前、秋田、新庄、山形の各市、各城趾など
を点でしか訪れていない。機会があればぜひ線で歩いて見た
いものだ。

叶うかなこの夢!
英国の探検家、イザベラ・バードも歩いているらしい。
まず、彼女の本を書棚から出して再読しよう。

 

2020年12月18日 (金)

コロナ禍が過疎に追い打ちかける郷

    日帰りで古里の信州へ行った。
朝の金沢行き新幹線は空席が目立った。
乗客はユッタリ気分だが、経営的には苦しいと同情する。

埼玉県のJR駅から、途中、ノンストップで1時間未満で
長野へ。軽井沢からは一面の銀世界だ。大雪の余波を感
じる。雪を嫌って故郷を飛び出した頃を思い出す。

同級生が経営している病院で受診、今日の主目的はこれ。
この病院へは、緩い坂を上る。昨夜来の降雪が凍り付い
て道はツルツル、冬の小樽で滑って転倒したことを思い
だし、滑り止めのついた靴を履いて来て正解だった。
同級生の医師から、健康上の指摘を受けた。改善のため
の努力しようと思う。

電車で実家に寄る。実家は弟夫婦が継いでいる。
まず、両親の墓参り、先月の29日は母の命日だった。
墓前で亡き父母へご無沙汰を詫び、般若心経を唱えた。

墓参後は、実家で昼食をいただきながらの会話が弾む。
ここでも高齢化と人口減少が続く。共通の話題だね。

帰りの新幹線もガラガラ、出発時には1車両に数人しか
乗客がいなかった。重い土産品を詰めたリックを隣りの
座席に置いてノンビリ移動できた。

寒かったが、青空に恵まれ楽しい旅ができた1日だった。













2020年12月15日 (火)

これがまあ治水対策溢れ水

 予告なしに自宅横に設置された排水設備について(続き)

市役所から連絡受けて、市役所の河川課へ行った。
同席する自治会の会長も既に到着していた。
私が12月7日に提出した要望書に返答するという。
議論は2時間近くに及んだ。

返答は予想した通りだった。
見苦しい排水機の制御盤を支える、支柱兼受電柱の移設、圧
縮を求めたことに対し、この支柱に塗装をするという答え。

私の返事は,この件については保留。
驚いた! こんなことで市役所に呼び出すとは失礼だね。

次いで排水ポンプの性能、能力、稼働音などについて尋ねた。
ポンプの能力や稼働音については、これから調べる。
こんな調子で、治水面から見た諸問題には殆ど答えなかった。
これでまあ、制御盤だけ予告なしに設置とは!

問題を起こしたのは市役所なのに、そんな謝罪の意識もない。
それどころか、「こちら(市役所)は自治会から頼まれたの
工事に入った。いやならポンプ設置を止めてもいい」という。

激論の末、空しくなって議論を止めた。
十数目の質問事項を聞かせ、返答するように言って
帰った。
短期間に返答はあるまい。市民のためとは聞いて呆れる!



2020年8月30日 (日)

大江戸をネズミがつなぐ街歩き

    参加費が1000円で、手頃な街歩きが出来る「大江戸街歩き」
(NPO法人東京シティガイドクラブ)の
2020年度下期版が
送られて来た。新コロナ禍でクラブの
活動を心配していたが、
どうやら動いているようだ。

体調が許せば、2~3の街歩きに参加したい。
個人的には既に出かけた地点も多いが、それは、あくまでも点
に過ぎない。この街歩きでは決められたテーマで訪問地点それ
ぞれが線でつながっているわけだ。それぞれガイドもつく。

興味を持ったテーマは・・
・ 江戸城36見附を歩く 筋違橋御門から牛込御門まで
・ 多摩御陵
・ 江戸情緒溢れるひぐらし散歩と谷中銀座でお買い物
・ 廃線跡を巡りながら戦争遺跡を訪ねる(
武蔵野市)
・ 義賊では無かった!あの鼠小僧ゆかりの下町3地域を回遊散歩

最下段の「鼠小僧云々」は面白そうだ。谷中もいいね!

 

 

2020年3月14日 (土)

白山の裾に恐竜よく似合い

  昨日のM新聞の夕刊に「恐竜王国福井県 30年の歩み」
という特集記事が載った。

何年か前に、福井の友人たちと福井県側から白山に登る予定
で福井に出かけた。

登山初日は山頂の山小屋に一泊予定だったが、生憎の嵐(台
風だったかも)で登山を断念、勝山の恐竜博物館へ案内して
もらった。(登山は翌日日帰りで無事登頂、疲れたねえ~!)

さて、恐竜博物館は恐竜の卵を模した巨大な建物だった。
大きな恐竜の骨格標本が何体も所狭しと並び見応えがあった。

当時から今まで、恐竜と福井県の繋がりがわからず、そのまま
になっていたが、この記事でやっと恐竜と福井県が結びついた。

やはり先駆者がいた。きっかけは、福井県に住む当時中学2年
生だった松田亜規(51)さんが現白山市で拾った小さな石だっ
たそうだ。以降、恐竜研究の道を進む。恐竜化石で行政を動か
して行った。「太古のロマン探求が使命」だそうだ。

機会があったら、もう一度勝山を訪ねたい。
博物館の他に発掘現場も見学したい。


 

2018年6月10日 (日)

佐野ラーメン旅行の最後締めくくる

 
  Aさんが所有するリゾートマンションの一室は最上階の14階だった。、
窓から見る景観は素晴しかった。向かいの山は頂が尖った独特の姿で、その山
裾にはスキー場が広がっている。(下の写真、道路は関越道)

昨夜は日付が変わる時刻まで、飲み、食べ、語り合った。
夕食前に入った風呂は1階の大浴場、露天風呂あり、ほぼ貸し切り状態だった。

今朝は5時に入浴し、朝食はAさんが作ってくれた。我らまた語り合った。

後片付けをして、Aさんの見送りを受けてはマンションを退去した。

Bさん、Cさんは赤城山に行ったことがないと言うので、お天気次第で考えようと
取りあえず出発した。けれど長~いトンネルを抜けると台風の影響か雨模様。

山を諦め、一路、栃木県佐野市を目指す。佐野ラーメンを食べようと言うわけだ。
佐野ICで降りて、栃木フラワーセンターを見学(この日は「栃木県県民の日」とか
で入場無料だった)、その後、佐野ラーメンの有名店「おぐら屋」へ。

店頭は沢山の人が行列を作て順番を待っていた。
辛抱強く順番をまって、佐野ラーメンと餃子を食べた。Bさん、Cさんも満足したよ
うだ。

こうしてジジイ3人の旅は終わった。多分、2日間で600kmは走ったはず。
Bさん運転ありがとう。Cさん車の提供に感謝します。

     20180610img_4174

2018年6月 9日 (土)

姦しやジジイ3人車旅

   
 男3人車で旅に出た。車での長距離移動は1年ぶりだ。
行き先は、Aさんの会社が持つ新潟県湯沢町のリゾートマンションだ。
Aさんが現地に先行して、われわれ3人を待っているという。
こちらはBさん(70歳)、Cさん(80歳半ば)、それに私の3人。
お互いに何十年かのお付合いだが、一緒の旅行は始めてだ。

Cさんの車をBさんが運転、その車に私が途中から同乗させて貰った。
Cさんの車にはETC装置はあるがカーナビは付いていない。
勢い、私が運転するBさんのサポート役となり、助手席に座った。

梅雨時の土曜日だが、高速道路は渋滞もなくスムース、天気は晴れ。
快適なドライブを楽しめた。車内ではジジイたちのヨモヤマ話が続く。

関越道に入り、途中のSAで昼食、湯沢ICを予定時刻前に出た。

さあ、それからが苦難の連続だった。
BさんがPCから印刷した地図で目的地を目指したが・・
コンビニで聞いた道順に従って走ったけど、着いた地図上の所番地
は急坂の途中だった。それらしいマンションは見当たらない。

BさんがAさんに電話で確認したが要領を得ない。
仕方なく途中のコンビニまで引き返し、Aさんに迎えを待つことにした。

Aの後から車でついて行くと、ある橋を渡ると右折した。
先ほどのわれわれはここで左折したんだ。その先で急坂を上ったんだ。

・・というワケで、狭い山間の狭い道路を右往左往する結果となった。

BさんがAさんに地図に書いてった所番地と、実際の場所を確認したら
同じ番地だという。結局、googleの地図の間違いだっと決めたらしい。
写真はやっと辿りついたリゾートマンション。(室は左側の建物最上階)

私はgoogleのミスではない
と思っているが、仲のいいAさんBさんのこ
とだ。適当に理解し合ったんだろうね。そんな旅もあるさ・・だ。

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2017年11月 9日 (木)

いも掘りの看板目立つ開墾地

  今朝は、最寄駅発の1番電車に乗った。
行き先は都下に住む娘宅、朝の5時は未だ暗い。

用は娘夫婦が出張や早朝出勤で、朝の数時間、孫娘だけの時間に
なってしまうから、いわば孫娘を登校させるまでの見守り役だ。

孫は時間が来ると素早く朝食、身支度を済ませた。頼もしい1年生。
さすが乳児期からの保育園育ち、身の回りの動きはムダがない。

ジイは途中まで、ジイの手を握らせて歩いた。楽しいネ。
これにてお役目は無事終了。 一休みしたが、それでもまだ9時だ。

幸い良い天気、帰宅前に少し歩こうかと思った。
武蔵野線北朝霞駅へ、東武東上線に乗り換えてみずほ台駅で下車。

歩きたいのは、埼玉県三芳町に広がる三富新田だ。
ここは、川越藩主・柳沢吉保によって元禄7(1694)年から約3年かけ
て開拓された所だ。

最初に、三好町の歴史民俗資料館へ。
ところが、いくら歩いても資料館に着かない。
やっと3人目に尋ねた若い娘さんが、スマホで地図を示しながら教え
てくれた。私はガラケーだが、改めてスマホの威力に驚く。

資料館で地図をもらい、ひたすら歩いた。
並木が美しい国道254号線(川越街道)を横切り、淑徳大学前を通っ
て関越自動車道を東草橋を渡り角屋バス停に・・。

関越道を越えると、三富新田の地割を目で確認できる。
開墾時は1戸あたり 間口40間(約72m)、奥行375間(約675m)、広さ5
町歩(5ha)
の屋敷地、耕地、平地林が拡がっていた。壮大な広さだ。

「いも街道」の看板がかかったけやき並木通りを歩く。(写真:上)

建物はいずれも現代のもので、殆どが「いも掘り」の看板を掲げている。
途中に旧島田家住宅があり、往時のすみかを見学できる。(写真:中)

この後、三富開拓農民の菩提寺である多福寺(写真:下、境内の紅葉)
に寄り、関越道を越えて壮大な船津家の屋敷と長屋門を見ながら、途
中でバスに乗り、東上線ふじみ野駅へ出た。

こうして約6時間、3万歩に及ぶ1日の旅は終わった。
なが~い1日だった。  
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2016年10月29日 (土)

旅はよしここのお米とここの孫

  信州のカミさんの実家へ2016年産米をいただきに行った。
車に乗ったのは、私の他にカミさん、娘、娘の飼い犬(小型犬)2匹。
娘には、往復約3時間の運転を私と交代で務めてもらうことにした。

それに、もうすぐ100歳になる義母を見舞う目的もある。

帰路は、これらの人と犬の他に、米袋150kg(30kg×5袋)が加わる。

午前中は雨の予想だったが、朝から晴れて上々のドライブ日和となった。

実家では、義弟一家が迎えてくれた。
義弟夫婦、義妹、当方の3人で、賑やかな会話が始まった。
女性4人と男性2人、圧倒的に女性がしゃべる。男は影が薄い。

少し遅れて、義弟の長男一家が加わった。
義弟の孫娘のHちゃん(写真)は未だ1歳、不思議な人がいるようだ・・と、
こっちを見ている。可愛のい盛りだね。さらに話が盛り上がった。

米の30kgは重い。でも義弟の長男は軽々と車に積み込んでくれた。
若さは素晴らしい! 立派な跡継ぎが育っているね。
それに、何よりも一家が明るいのがいい。

食事をいただいて、近くの施設に入所中の義母を見舞った。
四肢は弱っているが頭はしっかりしている。満面の笑みで迎えてくれた。
それぞれ、しっかりと手を握り合い再会を約して別れた。

帰路は、夕日に映える浅間山を眺めながら、軽井沢に寄り道をして、プロ
野球日本シリーズの試合が始まった頃に帰宅して長い1日が終わった。

2匹のワンちゃんたちは大人しかった。
家ではわがままイッパイだが、車や訪問先では静かで粗相もしなかった。
へえ~、君たちを見直したよ!・・と、いうのが私の感想だ。


お米を下ろした後の車の軽かったこと!、文句も言わず300kgを超える荷
物を積んで峠を越えてくれた車に感謝しよう。また頼むよ。
  
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2016年5月22日 (日)

景勝と幸村話す場所はここ

  朝7時34分、高田駅近くのバス停から春日山に向かった。
乗客は私1人、運転手さんに教えてもらった中屋敷バス停で下車。歩きが始まる。

埋蔵文化センターを経て大手道へ左折、舗装道路が途切れ復元された古道が続く。
往時はこの大手道が城の正面だというが、今は深山幽谷の雰囲気が似合いそうだ。
               
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    写真:埋蔵文化センターの謙信像と春日山(中央奥)

       
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写真:春日山駅左の道、2本目左折が大手道、左の尾根を上り、右側を下りた。
頂上から中腹にかけて移動し史跡を訪ねた。林泉寺は下右端(鋭角の道の先)

少し息が弾んだと思う頃、南三の丸に着いた。
ここから柿崎和泉守の屋敷跡までの一帯は屋敷跡と地図にあるが一面の森林だ。

すぐに上杉景勝屋敷跡、上杉の人質になった真田信繁(幸村)もここで景勝に会った
のだろうか? 勝手に屋敷を想像し二人の出会いを頭で復元してみた。
二人の顔はNHK「真田丸」の俳優の顔になったのはご愛敬だね。
             
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      写真:上杉景勝屋敷跡 右方向に広がっている

ここから続々と史跡が続く。
400年経った今でも満々と水を蓄える大井戸から本丸跡、天守台、護摩堂跡、毘沙門
堂、お花畑、直江屋敷跡などを歩き、本丸下に戻って米蔵跡、三の丸(上杉景虎屋敷
跡)から二の丸へ出た。そして再び毘沙門堂へ上り、千貫門を経て春日山神社へ下っ
た。おみくじを引いたら「旅は良し」と」出たから、まあこの山城巡りは成功だったかも。

本丸や天守台から見た景色は素晴らしい!
眼下に上越市内、遠くには日本海、米山、妙高山、火打山、煙を出す焼山も青空にク
ッキリと顔をだしていた。信玄がここに本拠地を置いた気持ちがわかる気がした。
             
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             写真:春日山城本丸

      Img_3840
       写真:春日山城本丸から見た上越市内

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写真:春日山城天守台から山々(左から妙高山、火打山、焼山)

さて、謙信銅像から立派な舗装道路を下り、出発時に左折した大手道に戻った。
ここから林泉寺を目指したが、どうも遠回りをしたようだ。
春日山神社の鳥居前の階段を下りれば良かったのに・・、でも今更遅すぎる。

謙信公が眠る林泉寺で宝物館を見学、謙信公のお墓を見て寺を出る。

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写真:林泉寺惣門(謙信公が春日山城から移築したと伝えられている)

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            写真:上杉謙信の墓

ここで春日山の城巡りは終了、4時間に及ぶ山城巡りだった。

戦国の世はともかく、平時はとてもこんな城では生活はできまいと思ったね。
往時、麓から見た春日山はまるで蜂の巣のように見えたのではないか?

時間があったので高田駅まで歩くことにした。
林泉寺~春日山駅前~加賀道を歩き北国道分岐へ、本町通りから高田駅着。
この区間2時間5分かかった。
      Img_3827
     写真:上越市高田市内の旧道(雁木の通りが続く)

こうして、歩行時間6時間、歩数は31000歩の旅は終わった。
山を上ったり下りたりで疲れた。早くシャワーを浴びてビールを飲みたい。

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