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旅行・地域

2017年11月 9日 (木)

いも掘りの看板目立つ開墾地

  今朝は、最寄駅発の1番電車に乗った。
行き先は都下に住む娘宅、朝の5時は未だ暗い。

用は娘夫婦が出張や早朝出勤で、朝の数時間、孫娘だけの時間に
なってしまうから、いわば孫娘を登校させるまでの見守り役だ。

孫は時間が来ると素早く朝食、身支度を済ませた。頼もしい1年生。
さすが乳児期からの保育園育ち、身の回りの動きはムダがない。

ジイは途中まで、ジイの手を握らせて歩いた。楽しいネ。
これにてお役目は無事終了。 一休みしたが、それでもまだ9時だ。

幸い良い天気、帰宅前に少し歩こうかと思った。
武蔵野線北朝霞駅へ、東武東上線に乗り換えてみずほ台駅で下車。

歩きたいのは、埼玉県三芳町に広がる三富新田だ。
ここは、川越藩主・柳沢吉保によって元禄7(1694)年から約3年かけ
て開拓された所だ。

最初に、三好町の歴史民俗資料館へ。
ところが、いくら歩いても資料館に着かない。
やっと3人目に尋ねた若い娘さんが、スマホで地図を示しながら教え
てくれた。私はガラケーだが、改めてスマホの威力に驚く。

資料館で地図をもらい、ひたすら歩いた。
並木が美しい国道254号線(川越街道)を横切り、淑徳大学前を通っ
て関越自動車道を東草橋を渡り角屋バス停に・・。

関越道を越えると、三富新田の地割を目で確認できる。
開墾時は1戸あたり 間口40間(約72m)、奥行375間(約675m)、広さ5
町歩(5ha)
の屋敷地、耕地、平地林が拡がっていた。壮大な広さだ。

「いも街道」の看板がかかったけやき並木通りを歩く。(写真:上)

建物はいずれも現代のもので、殆どが「いも掘り」の看板を掲げている。
途中に旧島田家住宅があり、往時のすみかを見学できる。(写真:中)

この後、三富開拓農民の菩提寺である多福寺(写真:下、境内の紅葉)
に寄り、関越道を越えて壮大な船津家の屋敷と長屋門を見ながら、途
中でバスに乗り、東上線ふじみ野駅へ出た。

こうして約6時間、3万歩に及ぶ1日の旅は終わった。
なが~い1日だった。  
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2016年10月29日 (土)

旅はよしここのお米とここの孫

  信州のカミさんの実家へ2016年産米をいただきに行った。
車に乗ったのは、私の他にカミさん、娘、娘の飼い犬(小型犬)2匹。
娘には、往復約3時間の運転を私と交代で務めてもらうことにした。

それに、もうすぐ100歳になる義母を見舞う目的もある。

帰路は、これらの人と犬の他に、米袋150kg(30kg×5袋)が加わる。

午前中は雨の予想だったが、朝から晴れて上々のドライブ日和となった。

実家では、義弟一家が迎えてくれた。
義弟夫婦、義妹、当方の3人で、賑やかな会話が始まった。
女性4人と男性2人、圧倒的に女性がしゃべる。男は影が薄い。

少し遅れて、義弟の長男一家が加わった。
義弟の孫娘のHちゃん(写真)は未だ1歳、不思議な人がいるようだ・・と、
こっちを見ている。可愛のい盛りだね。さらに話が盛り上がった。

米の30kgは重い。でも義弟の長男は軽々と車に積み込んでくれた。
若さは素晴らしい! 立派な跡継ぎが育っているね。
それに、何よりも一家が明るいのがいい。

食事をいただいて、近くの施設に入所中の義母を見舞った。
四肢は弱っているが頭はしっかりしている。満面の笑みで迎えてくれた。
それぞれ、しっかりと手を握り合い再会を約して別れた。

帰路は、夕日に映える浅間山を眺めながら、軽井沢に寄り道をして、プロ
野球日本シリーズの試合が始まった頃に帰宅して長い1日が終わった。

2匹のワンちゃんたちは大人しかった。
家ではわがままイッパイだが、車や訪問先では静かで粗相もしなかった。
へえ~、君たちを見直したよ!・・と、いうのが私の感想だ。


お米を下ろした後の車の軽かったこと!、文句も言わず300kgを超える荷
物を積んで峠を越えてくれた車に感謝しよう。また頼むよ。
  
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2016年5月22日 (日)

景勝と幸村話す場所はここ

  朝7時34分、高田駅近くのバス停から春日山に向かった。
乗客は私1人、運転手さんに教えてもらった中屋敷バス停で下車。歩きが始まる。

埋蔵文化センターを経て大手道へ左折、舗装道路が途切れ復元された古道が続く。
往時はこの大手道が城の正面だというが、今は深山幽谷の雰囲気が似合いそうだ。
               
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    写真:埋蔵文化センターの謙信像と春日山(中央奥)

       
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写真:春日山駅左の道、2本目左折が大手道、左の尾根を上り、右側を下りた。
頂上から中腹にかけて移動し史跡を訪ねた。林泉寺は下右端(鋭角の道の先)

少し息が弾んだと思う頃、南三の丸に着いた。
ここから柿崎和泉守の屋敷跡までの一帯は屋敷跡と地図にあるが一面の森林だ。

すぐに上杉景勝屋敷跡、上杉の人質になった真田信繁(幸村)もここで景勝に会った
のだろうか? 勝手に屋敷を想像し二人の出会いを頭で復元してみた。
二人の顔はNHK「真田丸」の俳優の顔になったのはご愛敬だね。
             
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      写真:上杉景勝屋敷跡 右方向に広がっている

ここから続々と史跡が続く。
400年経った今でも満々と水を蓄える大井戸から本丸跡、天守台、護摩堂跡、毘沙門
堂、お花畑、直江屋敷跡などを歩き、本丸下に戻って米蔵跡、三の丸(上杉景虎屋敷
跡)から二の丸へ出た。そして再び毘沙門堂へ上り、千貫門を経て春日山神社へ下っ
た。おみくじを引いたら「旅は良し」と」出たから、まあこの山城巡りは成功だったかも。

本丸や天守台から見た景色は素晴らしい!
眼下に上越市内、遠くには日本海、米山、妙高山、火打山、煙を出す焼山も青空にク
ッキリと顔をだしていた。信玄がここに本拠地を置いた気持ちがわかる気がした。
             
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             写真:春日山城本丸

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       写真:春日山城本丸から見た上越市内

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写真:春日山城天守台から山々(左から妙高山、火打山、焼山)

さて、謙信銅像から立派な舗装道路を下り、出発時に左折した大手道に戻った。
ここから林泉寺を目指したが、どうも遠回りをしたようだ。
春日山神社の鳥居前の階段を下りれば良かったのに・・、でも今更遅すぎる。

謙信公が眠る林泉寺で宝物館を見学、謙信公のお墓を見て寺を出る。

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写真:林泉寺惣門(謙信公が春日山城から移築したと伝えられている)

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            写真:上杉謙信の墓

ここで春日山の城巡りは終了、4時間に及ぶ山城巡りだった。

戦国の世はともかく、平時はとてもこんな城では生活はできまいと思ったね。
往時、麓から見た春日山はまるで蜂の巣のように見えたのではないか?

時間があったので高田駅まで歩くことにした。
林泉寺~春日山駅前~加賀道を歩き北国道分岐へ、本町通りから高田駅着。
この区間2時間5分かかった。
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     写真:上越市高田市内の旧道(雁木の通りが続く)

こうして、歩行時間6時間、歩数は31000歩の旅は終わった。
山を上ったり下りたりで疲れた。早くシャワーを浴びてビールを飲みたい。

2016年3月31日 (木)

廃屋を隠す葉を出せ山の木々

 信州・春日温泉で旅行2日目を迎えた。

朝6時から7時ちょっと前まで、散策路を歩いた。
ここは標高1000米とか、木々の芽吹きには、まだ日数がかかりそうだ。

葉のない木々の間に見えるのは、無残にも朽ちつつある無人家屋だ。
大きな旅館、谷間の農家、斜面の民家など・・、無残な姿に心が痛む。

山の木々の葉が茂れば廃屋も隠れるのだが・・、早く葉を出せ山の木々。
人口減少社会を痛切に感じる。
住民は元気で他所で過ごしているのだろうか?

木々の向こうには、雪を戴く日本百名山の蓼科山の頂が見える。(写真)
この山には過去2回登っている。そんなことを考えながら歩いた。

今回、この宿では3回入浴した。
3回とも入浴時には私の他には誰もおらず、いわば貸切り状態だった。
大浴場の湯船で思いっきり大の字に体を伸ばす。気持ちがイイねえ!

温泉を楽しんだ後は、カミさんの母親を見舞いに病院へ。
義母は満99歳、100歳まで生きるとガンバッテいる。
でも、いかんせん体が動かない。でも頭はしっかり、笑顔を絶やさない。

どうか穏やかに過ごしてネ。

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2016年3月30日 (水)

古里は春の日差しに包まれて

 車でカミさんと生まれ故郷の信州へ旅をした。

わが夫婦、2人とも生まれも育ちも同郷、信州旅行はウマが合う。

時間に余裕があったので上田菅平ICで下りて、国道18号線を北上し武水別神社へ
寄った。(下の写真)

私の名前は、ここの神主はつけたと亡き父母に聞いていたので、どんな神社か見て
みたかったから・・。

大きく広い神社だった。一の鳥居からまで写真の二の鳥居までかなりの距離がある。
本殿もかなりの高さだ。神社の由来を調べてみたい。

次いで、わが家の墓地へ。
墓地の敷地は購入してあるが、未だ墓石はない。隣の墓は義妹の実家の墓だ。
隣のお墓にお参りして、わが墓地の生えかけた雑草をむしった。

ついでに両親の墓参りも済ます。彼岸に来られなかった不幸を詫びる。

私の実家へも寄り、しばし雑談、故郷情報を満載して佐久市の春日温泉へ。
1時間半のドライブ、春の信州のドライブは快適だった。

夕食は鯉こくがついたヘルシー版だ、温泉に浸かり夕暮れの浅間山を眺める。

ああ、良き古里!

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2015年12月 1日 (火)

山の上人人人と冬桜

  今日の天気予報は晴れとのことだったので、カミさんと群馬県藤岡市の
桜山公園に冬桜見物に行くことにした。

ここは15年前に飼っていた大型犬2匹と出かけた思い出の場所だ。
多分、あの当時のしなびた風景は大きく変わっているに違いない。

開通して間がない圏央道へ入り、関越自動車の本庄児玉ICで降りて桜山へ。
既に第一駐車場は満車、第二駐車場へ向かう道路端に車を止めて歩いた。

来ている人たちは、平日でもあり殆どがシニアの皆さんだ。
テントの店が囲む芝生広場ではステージが作られイベントが開かれていた。
どうやら、このイベントが大勢の人を集めたようだ。

わが夫婦は桜山の頂上へ、その後は山を1周して桜、紅葉、景色を楽しんだ。
平地ばかり」歩いているわれわれには、ここの急坂はキツイ。
イベントではきれいどころ(お着物だけじゃないよ)がグループで踊っていた。

帰りは近くの「桜山温泉 絹の里」で昼食と入浴を楽しんだ。
1人500円(シニア割引)で広い浴槽と露天風呂、食事代も高くなく快適な日帰
り温泉だった。何よりも昼寝用の枕、敷物があったのが嬉しい。

楽しい1日だった。

桜山頂上

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枝に咲く冬桜
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イベントの舞台
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冬桜と鬼石の里
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2015年10月23日 (金)

借金で首が回らず踏み倒し

 よく眠れたので昨日の疲れは取れたようだ。今朝の散歩は気持ちが良かった。

昨日のブログに帰路に寄った群馬県甘楽町は城下町だと書いた。

江戸時代、どんな藩だったかと調べて見た。(以下「大名の日本地図」による)

まず、当時の名称は小幡藩と言った。禄高は2万石で城ではなく陣屋だった。

道の駅甘楽付近に大手門という交差点があったので、多分その当たりに陣屋
があったのだろう。緩い坂道には水が流れ、道路沿いには情緒が溢れていた。

織田信長の次男、信勝が領した大和松山と上野小幡のうち、小幡2万石を信勝
が子の信良に分封した。陣屋は信良の子、信昌が造営したそうだ。

1767年(明和4)に七代信邦の時に幕府謀叛事件に連座して蟄居を命ぜられ、養
子信浮は出羽高畠に移された。

かわって幕府若年寄松平忠恒が上州上里見から2万石で入封、幕末まで続いた。

凶作などで藩の窮乏著しく、幕末の借財は年収の10倍、七万四千余料に達した。
・・とある。

どこの藩も同じようだったと思うが、小幡藩のような山の中の小藩はとりわけ厳し
かったに違いない。ノンビリした田舎風景の中に歴史ありだね。

地図に「織田信長一族の墓」と載っていたわけがこれでわかった。

2015年10月22日 (木)

国興し明治の気概見せつける

 カミさんと世界遺産に登録された富岡製糸場を見学に車で出かけた。

私自身は、ここへは2002年に地域の仲間とバスで訪ねているので2回目の訪
問になる。もちろん世界遺産登録前のことだ。タイトルはその時に詠んだ句。

朝7時に出発、平日の自動車道は渋滞もなくスムース、9時ちょっと過ぎに富岡
ICで降りてっ目的地の駐車場に着いた。ここから10分程歩くと富岡製糸場だ。

暫くは閑散とした街に歩く人も見かけない。
ところが製糸場に通じる道路に入ると、延々と長蛇の人波が続いている。

どうやら、駐車場のバスから製糸場まで歩いて行く団体客のようだ。
この人波は製糸場正門まで途切れなかった。団体受付入口にも長い列が続く。
若い人はいない。静かなものだ。外国語なんて聞こえて来ないんだ。

さて、世界遺産登録で何が変わったのだろうか?

歴史遺産が好きな自分からは・・
見学料金が1000円になっていた。前回は忘れたが500円以下だったと思う。
製糸場のどこへ行っても人人の波、ユックリ案内版も読んでるヒマもない
東置繭所、繰糸場の内部は大混雑で、人の流れに身を任すしか仕方がない。
あちこち工事中で、昔の面影どころか、まるで工事場の中へ迷い込んだようだ。

元気なお年寄り達を(こっちもそうだが)を見に来たようなものだ。
世界遺産登録で目新しさは何もなかった。13年前のヒッソリ感が懐かしい。

良かったこともある。
生きた蚕を見たこと。
亡き母の実家が養蚕をやっていたので、今でも桑を食べる蚕を思い出す。
あれから何年経つのだろう。60年以上も昔のことだったね。蚕の顔は愛らしい。

場内では、音声ガイド機を借りてガイドによる案内を聞いた。(1台200円)
便利だが、これがなければガイドの声は2mも離れれば聞こえないだろう。
考えて見れば、これも運営側の群衆対策だね。

カミさんは初めてだから、それなりに印象に残ったと思う。これはいいことだ。

富岡の街は格段にきれいになった。これも世界遺産のお陰だろう。
ただ、団体客が多く買物などの経済の恩恵はそう広がってはいないようだ。
多方面の駐車場から個人客を呼び込むことができるかがカギと言えそうだ。

帰りはお隣の甘楽町へ寄った。
道の駅甘楽で農産物を買い、次いで甘楽町総合福祉センター内にある
「かんらの湯」(町外者60歳以上400円)に浸かり、食事、昼寝をした。

この町は城下町で、当時の面影の残っている。
数回来ているが気が休まる静かな町だね。
富岡の世界遺産を核として広域で活性化できればいいと思うが如何?

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2015年10月 9日 (金)

探してたぴんころ地蔵眩しそう

探し当てたぴんころ地蔵は暖かい秋の陽を浴びて眩しそうだった。

わが家のコメは、毎年カミさんの実家から購入させてもらっている。
義弟から出荷OKの連絡を受けて、カミさんと車で長野県佐久市へ出かけた。
お天気は快晴、朝は少し寒かったが陽が昇ると秋に似合わぬ暑さになった。

約束の時刻に間があったので、佐久市野沢の「ぴんころ地蔵」へ寄った。

この地にはカミさんの出身高校があり、彼女は地理がわかっている筈だが
ぴんころ地蔵の所在地が思い出せない。遠い昔だからね仕方ないよね。

道路脇に立っていた若いお巡りさんに聞いたら地図まで出して親切に教え
てくれた。こんなに親切なお巡りさんも初めて! 気分がいい。

ぴんころ地蔵さんは成田山薬師寺門前の庇の下にひっそり佇んでいらした。
丸いお顔に穏やかな笑みを浮かべたようなお姿で・・。(写真)

お賽銭を入れて、古希を超えて今まで生かされたことにまず感謝。
「オサラバはぴんころでよろしく」・・と、言うのもこのお賽銭の額ではムリと言
えそうだ。
 
「できましたらぴんころでお願いします」と、お願いしてでお別れした。

その後、日帰り温泉で入浴、コメの積み込み、入院中の義母を見舞って
無事帰宅した。360kmに及ぶドライブ、温泉のお陰か気分が良かった。

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2015年10月 1日 (木)

秋雨の古城訪ねる独り旅

  横谷温泉旅館の朝風呂にも気持ち良く浸かれた。

朝食後は自由解散、渓谷巡りや帰京組などまたの再会を約して別れた。

私は予てから伊那市にある高遠城址に行きたかった。
いつかは高遠城址の桜見物に思っていたが未だに実現していない。
桜の季節でなくても城址を歩いて見るだけで良い、機会があったら・・と思って
いた時に今回のチャンスが巡って来た。

ところが、蓼科からは交通の便がすこぶる悪い。歩くには遠い距離、車なら1.5
時間で行くはずだけど、実際は4時間かかった。
電車の乗換えが不便で待ち時間が長くなったからだ。

それでもバスで高遠駅に着いて同駅に戻るまで1時間10分の時間ができた。
駅から歩いて高砂橋を渡ると、右手に城址に登る歩道が続いている。

傘を差しながらゆっくりと登ると大手門跡に出た。
そこから車道を歩く、ここらあたりは藩の重臣たちの屋敷跡だという。
車道に沿って元高遠城桜門、旧藩校進館などがある。桜の木も多い。

北口から城郭に入る、桜の木がビッシリ。
桜の季節を想像してみると、これは凄いに一言に尽きるだろう。

説明板などを読みながら桜雲橋、本丸跡、南曲輪、白兎橋を経て南口に着いた。
南口を出て地図を見ても高遠駅までの道がわからない。バスの時刻は迫る。

道を聞きたくても人っ子1人歩いていない。
こんな時は来た道を戻ることだ。山歩きの鉄則を応用することだ。
どうやらバスの発車時刻数分前に戻ることができた。

もう1時間は現地で欲しかったネ。
首都圏に戻ると、どの駅や列車に人が溢れていた。

地方では殆ど外では人を見かけない。
この格差は何なんだ? 
地方再生は具体的にどう手を打つのだろうか?

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           高遠城の概要

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  高遠城、二の丸から見た桜雲橋と問屋門
  周りは桜の木々、桜の季節には門は花で埋まる

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